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対談

(編集:大倉 宏)

プロフィール

大熊 孝 (参与)

水との闘いに闘いすぎて、いまの新潟がある。

1942年台北生まれ、千葉育ち、新潟市在住。東大工学部土木卒、工学博士、新潟大学名誉教授、NPO法人新潟水辺の会代表。専門は河川工学、土木史。自然と人の関係がどうあればいいかを、川を通して研究しており、川の自然環境を守るとともに、治水・利水のあり方を住民の立場を尊重しながら考察している。著書に、『利根川治水の変遷と水害』、『洪水と治水の河川史』、『川がつくった川・人がつくった川』、『技術にも自治がある~治水技術の伝統と近代~』、『社会的共通資本としての川』(編著)などがある。「阿賀に生きる」製作委員会代表。

小川 弘幸 (プロデューサー)

アートもいま、社会と無縁にはあり得ない。

1962年新潟県新潟市(旧新津市)生まれ、同市在住。現代美術を主に扱う民間運営の美術館(創庫美術館点)勤務などを経て、1992年イベントプロデューサーとして独立。文化現場を設立し、新潟の独自性をいかした各種ジャンルの文化イベントの企画制作を行う。2004年NPO法人に移行。NPO法人新潟絵屋理事、NPO法人越後妻有里山協働機構理事、新潟市美術館運営協議会委員。映画「阿賀に生きる」製作委員会委員、阿賀野川流域地域フィールドミュージアム事業(新潟県)総合プロデューサー、新潟政令市誕生記念「春、祝祭」実行委員長、水と土の芸術祭2009市民サポーターズ会議代表、水と土の芸術祭2012構想検討会座長などを務める。編著に『甦る坂口安吾』、新潟・文化批評誌『風だるま』など。

お二人の経歴と、これまでのご関係から簡単にお話し下さい。

大熊
私は1942年台湾に生まれ、4歳で高松に引きあげて小学校に入学し、そのあと千葉に20年少し住み、31歳で新潟大学の土木工学科の助手になって新潟県に来ました。長岡に6年、その後はずっと新潟市で、ここが一番長くなりました。助手のあと順調に助教授になり、教授になり退職しました。大学しか知らないという人間です。
小川
私は新潟県新津市*(現在新潟市)の生まれです。能代川*、阿賀野川、小阿賀野川*、信濃川などの川が身近にある空間で少年期を過ごしました。音楽、演劇、美術などに興味があって、新しいもの、面白いものにいつも飢え、関心を持ってきました。東京というか、都会に行かないと面白いものに接することができない、新潟は退屈でいやだと思った時期もありますが、いろいろな事情があって、地元を離れられませんでした。そうなって、では、その新潟を面白くするにはどうしたらいいのか考えるようになり、実行委員会という形で、自分たちの呼びたいアーティストを呼んで公演やイベントなどを企画、主催する活動を始めました。最初は勤めながらでしたが、それを生業にしたらどうなるか、24時間そのことに関わってみたいと思い、30歳で独立し、それまでは有志で行ってきた活動を、今度は個人で行う「文化現場」*を始めました。ちょうどそれが大熊先生との出会いのきっかけになった映画『阿賀に生きる』*が完成し、公開された年です。それから20年、新潟の独自性を生かしたさまざまな文化活動の現場を作ってゆき、新潟の魅力を発信していこうという思いで活動を続けてきました。
註 新津市:2005年に新潟市と合併。現秋葉区。 能代川:新潟県五泉市および新潟市秋葉区を流れる信濃川水系の河川。 小阿賀野川:阿賀野川と能代川を結び、新潟市秋葉区を流れる河川。 文化現場:新潟の文化振興を目的に1992年発足。2004年以降NPO法人化。「風だるま」を創刊し、文化の現場を独自の視点から紹介する活動を行う。代表小川弘幸。 『阿賀に生きる』:監督・編集 佐藤真、撮影 小林茂、制作 阿賀に生きる製作委員会、1992年制作。かつて新潟水俣病が発生した阿賀野川流域で、自然の恵みとともに暮らす人々の日常を綴ったドキュメンタリー。

『阿賀に生きる』のこと

『阿賀に生きる』のこと「阿賀に生きる」より Photo:村井 勇

大熊
小川さんとの出会いは、小川さんが紅顔の美青年でまだ若く勤め人だったころです。映画『阿賀に生きる』を作ることになり、3000万円のお金を皆さんから集め、1000万円借金をして、私が製作委員会の代表にされ、小川さんは委員として会合に参加していました。小川さんは、ほとんど欠席しなかったね。皆勤賞に近い。私もほぼ皆勤賞だった。欠席する人はかなりいたのだけど、いつも小川さんは来ていて、その集まりの議論の中で、あの映画が出来上がっていった。私はあの映画に関わったおかげで、一介の土木屋から卒業できたという感じです。私の脳みそは完全に土木屋に仕立て上げられていましたから、それが大きく変わることができたのは、あの映画と関わったおかげでした。あれはまあ、よくできたなあと思っています。全くお金のないところで、スタッフ7人が阿賀野川沿いに住み込んで、地元に入り込んで映画を作ったわけです。

『阿賀に生きる』のことAGA草紙

小川
去年の大晦日の大掃除-というほどのことでもない掃除で、こんなものを見つけました。『阿賀に生きる』がお金を集め始めたころの、最初期に作ったオリジナル手ぬぐいです。たぶん佐藤真*さんが版画で彫ったカラスの絵をモチーフに「AGA」と書いてあります。長島節子*さんという型染めの染織作家が染めたレアもののグッズ。映画ができる前の、あったことさえ忘れていたものです。
大熊
始めてから完成まで4年くらいかかった。スタッフが集まりクランクインしてからまる3年かかりました。
小川
通常グッズというのは、映画ができてから作ったり、売ったりするもので、『阿賀に生きる』でも、できてからあの手この手で作りましたが、これはそのはるか前、こういう映画を作るので関心のある人を募集していた時期にできたものです。長島さんが自発的に作ってくれたのか、よく覚えていませんが、あの時はとにかくいろいろな、多様な人たちが関わっていた。だから映画ができるまでの間にも、いろいろな副産物-たくさんのものが生まれました。

大熊
みんなエネルギーが余っていて、映画を作るだけでは終わらなくて、『AGA草紙』*という雑誌も4冊も出しています。それからほかにも何冊も本を出していますけれども、本当に皆さんエネルギーが余っていたんだなあと、いま思います。
小川
この「水と土の芸術祭」も、プロセスが大事です。いろいろな人たちとの関わりのなかで、芸術祭が作り上げられていく。そのプロセスの中にも、生み出されていくものがきっとたくさんあると思っていて、『阿賀に生きる』のときも実際そうだったなあと、思いを重ねてみたりしています。

註 佐藤真:映画『阿賀に生きる』監督。ドキュメンタリー映画監督。1957年青森県弘前市生まれ、2006年没。 長島節子:新潟市内在住。染色作家。るくじゅう工房主宰。 『AGA草紙』:『AGA草紙~ 阿賀野川の河道変遷』阿賀に生きる製作委員会(1990年7月)、『AGA草紙~ 阿賀野川の舟運』 同上(1990年11月)、『AGA草紙~ 阿賀野川の川漁』同上(1991年6月)、『AGA草紙~ 阿賀野川と新潟水俣病』同上(1992年12月)、等。記録映画「阿賀に生きる」製作を通じて勉強した歴史・文化、及び出会った様々な人の思いが綴られている。
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