イベントカレンダー

2018年7月
« 6月 8月 »
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031 

アーカイブ

新着情報一覧

ディレクターインタビュー 1

インタビュータイトル

ディレクターに訊く 竹久侑

ディレクターに訊く

竹久侑

聞き手:大倉宏

美術館の中の美術に疎遠さが感じられるということを経た今だから、もう一度地域住民の人たちだったりとどう接点をもった作品を作るのかを考えなければいけない時期が、また来たと感じています。

――第1回目の水と土の芸術祭はご存知でしたか?

知っていましたが、見てはいませんでした。

――ディレクターの依頼をどのようにうけとめられましたか?

まず、なぜ私が誘われたのだろうと考えました。優秀な学芸員は他にもいますので、なぜ私かと問うたとき、結局私が水戸で、大友良英さんの「アンサンブルズ」というプロジェクトや、MeToo推進室(*1)という、自分の職務ではない範囲で市民の任意団体のメンバーとして活動していることがあって、それはどれも時間をかけてなにかを一緒に作り上げていくという活動、そこにアートの要素が大きく関わっているのですけれども、それによってそれに関わる人々や、その人々が住む地域が何らかの影響を得ていく、ということを考えた活動を行なっていて、そこを評価いただいたのかなと思ったのです。だから、そういった側面がちゃんと生きる仕事をしない限り、私がこの水と土の芸術祭でディレクターを務める意味がないだろうとまず思いました。

 

(*1 MeToo推進室:水戸の街とアートをつなぐ橋渡し役を目指して、水戸のクリエーターを中心に2008年4月に発足した団体。団体名は、MeToo=「僕も」「私も」という意味と「水戸」を掛け、水戸のさまざまな人々が自主的に関わりをともに活動を行うことで、ムーブメントをつくっていこうという想いがこめられたもの。定期的にミーティングを行い、進行中のプロジェクトのほか今後の活動の立案、運営方法などについて協議しながら活動を展開している。)

――第1回目は北川フラムさんのディレクションで、北川さんは大地の芸術祭もやっていらっしゃいます。 それはご存知でしたね。

ええ

――北川さんに対しどのような認識をもっていらっしゃいましたか?

北川さんは、それまで芸術文化につく予算や政策では不可能だったんじゃないかという角度とスケールで、美術館ではない場所、生活圏のさまざまなところで、アーティストになにかをしてもらう――作品を作って置いていくという設置型のものが当初多かったと思うのですけれども――ということをなさっている先駆的な人として、素晴らしい仕事をしている人が日本にはいるんだ、と若い頃思っていました。

 

ただ、それが一つの成功例という形になり、様々な地域で、例えば行政だったり、大学だったりが主導する形で広がり、普及していったわけですが、ただ作品を設置するというだけでは、コミュニケーションをあまりすることのないような地元の人々も多くいらっしゃるんじゃないかということや、またなぜこの作品を設置するのかとか、住んでいらっしゃる人にとってみれば、唐突に感じる部分も少なからずあると思うんですけれども、そういうところを、どういうプロセスを経て、北川さんは解決なさっているんだろうかと疑問に思うようになりました。 かたやボランティアがいないと立ち行かない制度になっている大型の芸術祭においてのボランティアの関わり方とか、あとは地域振興という、いわゆる芸術振興とは別の目的に芸術が活用されることに関しては、自分が学芸員の仕事をしていくなかで慎重にあたらないといけないと思うようになっていました。この仕事を引き受けるにあたっても、それらの点を考えながら、半ばそれを内部批評、自己批判できる形で見ていく必要があるだろうと思いました。

――北川さんが大地の芸術祭などでやられていたことと、竹久さんが水戸でやられていたことの共通点と相違点については?

ええ……

――MeToo推進室のことを私は知らないのですが、そこでもボランティアの方が……

報酬がないという意味ではボランタリーですけれど、MeToo推進室では自分たちがやりたいことを自主的にやっています。 最初は水戸芸術館主催の事業がきっかけとなって発足しましたが、今は水戸芸術館からの働きかけがあろうがなかろうが、自分たちでやりたいことを行なっています。自分たちで企画して行なうこともあれば、最近はその活動がある程度認められ、手伝ってもらえないかという話が町の商工会議所からきたり、そういうふうになってきています。

――一種の町おこし的な観点から依頼されたりすることもあるのですか?

ありますね。

――つまり、北川さん的な活動に興味を持ちつつ、疑問もいだきながら、今回の仕事を引き受けられた。

 

そうですね。

――実際、新潟に来られ、前回の芸術祭のこともお知りになり、4人の中の1人のディレクターとして、具体的にどんなことをしたいと思ったのか。また芸術祭を終えて実現できなかったが、当初には考えられたことなどもあったら、それも含めてお話ください。

 

やはり私は人々の心に強く残る作品、それはモノでなくともいいのですが、そういう作品を作ってくれる作家に参加してほしいと考えました。人々の心に強く残るというときのひとつの有効的な手法として、経験を、現場をともにするというのがあると考えているので、そういう手法――分かりやすく言うと、協働型や参加型のアートプロジェクトと最近言われている活動をしている作家は、一定数は必ず招聘したいと思いました。

――実際の今回参加作家の中では例えばナデガタさんワウさん、白川さんという方々ですね。

そうですね。あと藤浩志さんや日比野克彦さんですね。 カミンもそうでしょう。

下道基行

下道基行ワークショップ―見えない風景―

――第1回の芸術祭は、北川さんは新潟の自然の歴史をポイントにしてディレクションされましたが、実際に新潟に来られ、その第1回の芸術祭の跡もご覧になり、場所とアーティストの関わりという点で考えられたことは?

私の場合は、新潟の自然の歴史を掘り下げるというより、新潟という土地が持っている特異性を作家が掘り起こしてくれるといいなと考えました。  ただ、だからと言って、それがローカルな話題に収拾してしまうのではなく、普遍性を持ち備えていることが不可欠だと考えています。下道さんや佐々木愛さんなど、その場にフィールドワークのように滞在しテーマを探っていく作家も重要だと思いました。こちらがこのテーマで、と決めるわけではなく、今まで彼らがやってきた活動の延長として、ここに来てもらうときっと面白い展開があるんじゃないかいう作家を考えました。

――竹久さんが新潟で、特定のテーマを設定して作家に働きかけるのでなく、そういう視点を自身が持っている……作家自身にテーマを探ってもらうことを考えたのですね。

そうです。 その地に来て、滞在し、人に会ったりしながら、自分で探す――そういうことを手法にしている作家を選んだということですね。もちろん、ある程度のイメージはこちら側にもありましたが。

――協働とその土地でテーマを探るという2つの視点から作家を選ばれたのですね。

それ以外の視点で招いた作家もいますが、その2点がとりわけ目立つかもしれません。

――実際に作家たちが新潟に入って、作品を作り、様々な活動をしたわけですが、ご自分がディレクションされた作家、それ以外の作家も含めて、彼らのやってくれたことについて、今どんな感想を持たれますか?

9割方期待通り、あるいはそれ以上を作ってくれたと思います。そう思う作家ばかりですね。藤井光さんも、新潟という地を踏まえながらも自身のこれまでの活動に即したテーマを探し出し、東日本大震災後のアクチュアルな問題を示唆する作品を作ってくれました。冨井さんには、今回はいつもと違って、屋外の設置ということと大型のものをお願いしたので、それが冨井さんにとってはいいチャレンジ、経験になったと言ってくれています。

――ナデガタさんやワウさんについてはどうですか?

Nadegata Instant Partyと “いしずえ窯“

Nadegata Instant Partyと “いしずえ窯“

ナデガタは、これまでの彼らの活動と比較しても、かなり新潟のサポーターの人たちが……最初は作家が乗せ上手だったけれど、だんだんうまく乗せられ上手が乗っ取っていくような感じがありました。サポーターが作家のつくったフレームのなかに自分たちの場所を見出し築いていくのですが、会期の早い段階からシステムを自律的に運営したり、作家の同意のもと自分たちでイベントを企画し実施するにようになっていきました。それが負荷なくとても楽しく展開されていった珍しい例かなと思っています。

そして最終日前日の窯出し後、クリスマスパーティと感謝祭といって、自治会の方々を含め、ご協力いただいた方々にサポーターとナデガタが感謝するという会をやったのですね。そこでひとつの出し物をサポーターの中心的な方々が作家にもサプライズで用意していて、それがナデガタを使って劇をするというもので、作家がやってきたことを、逆襲のような形でサポーター側が設定していたんです。少しのセリフ合わせをして、ナデガタが着物に鬘を被せられて、新潟の礎町に関するエピソードを演じさせられるということが起こりました。作家性をよく理解した上での、すごく高度な応酬をサポーターが作家に対してしているようで、それを見た時、作家が新潟で発見し、サポーターらとともにつくりあげた特別な場所が、閉幕後、作家の手から離れて次のものへと展開していく出発点を見たような気がしました。とても興味深いケースだと思います。

wah document ワウ ドキュメント おもしろ半分制作所

「おもしろ半分制作所」

ワウに関しては、本来は即興で面白いアイデアを参加型の集団で実現させるというのが彼らの仕事ですが、今回は会期が長い中、その面白さが「形」として見えるようにという話をし、インスタレーション、造作物を作るということになり、それがプレハブ小屋とめぐり合ったことで、アジトを作るという展開になりました。彼らにとっても新しいケースだったんですよね。でもそのなかで、たんに面白い場所を作るだけではなく、そこに来た人が感化され、面白いアイデアを考えてしまうような場所という《おもしろ半分制作所》というのがいい落としどころだなと思いました。ワウとナデガタは比較されることがありますが、話を聞いていくと実は結構違っています。作家が種をまいて水をやりはじめて、会期終了後にはサポーターの方たちや関わった市民の人たちがそれを育てていく、その初期段階がこういった芸術祭のできることの一つだと私は考えています。そういう意味では礎保育園のように残したいという声が上がることや、「沼垂ラジオ」も残ることになったと聞いていますが、活動や場が残るというのがひとつの望ましい結果というか、成功例というように考えがちですし、実際そうだと思います。しかし、ワウは必ずしもそうではなく、別に場や活動をそのまま残すことにこだわっていなくて、それより、いかにインパクトを与えるか、それさえしっかりしていれば、違う形となって、数年後に開花していくことができたら本物の芸術じゃないかということを考えているんです。

――そこに直接つながっていくわけじゃなく、別な形になっていっても……

そうですね。コミュニティを作ることを目的としてはいないんですよ。 一定期間何かをともにする過程が重要というよりも、その作品を経験したことで感じさせる何かが勝負どころというか。

――それはワウさんに限らず……

多くの作家が、そうですね。

――今回竹久さんがディレクションをされた中で特に注目されたのが大友さん、飴屋さんの作品でした。このふたりを選んだ理由とできた作品について。

大友良英×飴屋法水たち 「Smile」

大友良英×飴屋法水たち 「Smile」の一区画

大友さん飴屋さんという2人組で最初から提案しましたが、それはまず大友さんにこれまでの仕事の中で、音楽に限らず、ジャンルや経験値の違いで敷居を作るのではなく、面白いものをそれぞれの個性の形で作るというあり方に私は共感を覚えていて、その大友さんが新潟に来たらどうなるか、まず期待をしたのです。そして大友さんは誰といっしょに仕事をされるかが非常に重要なのですが、そのお相手として飴屋さんを思いました。このペアの協働は、どんなふうになるか想像がつかない。得体のしれない「とてつもない何か」が生まれえる条件をそろえたいという心持ちでした。

――これまでお2人は、一緒に仕事をされたことはなかったのですか?

飴屋さんの作品に大友さんが関わったり、大友さんのライブに飴屋さんが参加したりということはありましたが、今回のようなスケールと形でゼロから作品を作り上げることは初めてだったと思います。そういう意味で、自分も含め多くの人が見てみたいという期待感を抱かせるペアだと思いました。 飴屋さんが何をするか予測のつかない部分が多々ありましたが、飴屋さんも大友さんも、「なぜ新潟か」ということを真剣に考えてくださって、ここで自分が制作することの必然性を考えた末に、いろんな人の痕跡が残っているモノや音を使って、人の存在や気配を感じさせる作品をつくりました。あの水揚場という場所でお2人があの作品を作れたということ、場所とのマッチングが、非常に重要だったと思います。場所をとてもセンシティブに感じながら構想を考えて下さり、時には私が想像する以上にはるかに多くのことを考えに組み入れながら作品を作って下さって、私にとっても勉強になりました。飴屋さんは、事前に構想をことばで明確に示していくというより、まさに現場でご自身の感覚をフルに稼働させて形にしていくというか、つまり最終形が共有されていない状態で進んでいくので、キュレーターとしてどう関わるのがいいのか迷った点もあります。本当にぎりぎりまで制作が続きましたが、オープン当日の朝に作品を確認したときには、前日とは打って変わって異なる空気や光があの場に満ちているのを感じさせる何かが確かにありました。  興味深いのは、私は新潟にいつもいないので、来る度にあの作品を見ましたが、なぜかその度にいつもちょっと違うように感じるんです。

 

まわりの環境、天気、入り込んでくる光の強さ、風の冷たさや強さが、季節や時間帯によって変わる。そういった周囲の要素があの作品にはより直接的に影響を与えますし、そもそもそれを念頭にいれての作品です。

 

素材自体が元々状態のあまりいいものではありませんし、展示場所がほぼ半屋外なので、風化というか、時間の経過にそってちょっとずつ変わっていく何かがあって、また不思議と生(せい)を感じさせます。あの作品のなかにいると自分の目や耳といった感覚が敏感になり、なにかすごく「居させる」作品でした。

 

作品と向き合いながら、自分と向き合うような寛容さがあり、感応した人には、深く入り込む作品になったと思います。

――最初に水揚場という場所をご覧になったとき、竹久さん自身はどのようにお感じになりましたか?

特に大かまぼこは、この空間と向き合える作家はそんなにいないと思いました。 小分けにしてブースを作って見せるというのでは、場所を殺してしまうことになるし、やはりこの空気感、この雰囲気を生かすタイプの作家にやってもらいたいと思いました。大きな作品をただドンと置くだけじゃないとも。誰にあそこに展示してもらうのかが、ディレクターの今回の一番重要な仕事の一つであり、そこがある意味、芸術祭の成否を分けたところだと思います。

――いろんな議論もありましたが、5か月という長い会期について、始まる前に思われたことと、実際に5か月を終えて思われることを聞かせて下さい。

最初は運営側の体力と気力がもたないだろうと思い、そこが一番心配でした。それと作品がもつだろうかという懸念。写真やオブジェのようなものであれば、ある程度耐久性はあるけれど、インスタレーションや、人々が入り込んでいく造作物は、どんどんメンテナンスが必要になるので、その手間や経費にかかるリスクは大きいと思いましたので、どちらかと言うととても心配でした。 結果的には、お客さんの流れを見ていると、夏にあまりお客さんが入らなかったことと、秋になってすごく入って、そして12月もずっと人が途絶えなかったというのは、新潟の人はそんなにすぐには動かないよとみんなが言っていたのが、本当にそうだったというのが分かったということですね。それからやはり新潟という場所が、私が想像していた以上に季節によって様子を変える、それによって作品の見え方が変わるということを、私は十分想像できていませんでした。

 

その点は堀川さんの言っていた通りで、長い期間見せたことのよさも確実にあったと思うんですね。よさと懸念は、ある意味、両方あたっていたということでしょうか。

藤井光「わしたちがこんな目にあって、 あんたたちは得をした」撮影風景

藤井光の映像作品のための撮影風景

――大震災があって、自然とどう向き合うかが時代のテーマのように語られだし、芸術祭の3本柱の1つであったシンポジウムは「自然との共生」を明確にテーマとして打ち出していたのですが、竹久さん自身は、新潟の自然に関してある方向性を持って作家を導くことはしないというスタンスでした。 これまで暮らしてこられた場所の自然と新潟の自然について感じたことと、実際震災をふまえた展覧会を水戸芸術館ではされていて、そのあたりでもテーマになったであろう自然との関係について、今回の芸術祭を通じても感じたことがあればお話ください。

普通に、一新潟訪問客として、いくつかの点で驚きました。海抜が低いというのはこういうことかと思ったのですが、すぐそこに水が、すぐに水が溢れてきそうな感覚を持ちました。何度も水害に見舞われ制御されている河川がこうだということかが意外で、そうなんだと思うしかないんですが、そこが自分の持っていた川の認識と大変違いました。あとは阿賀野川が川なのにテトラポッドがあること。どれだけ水の流れが急なのかということにも驚きましたし、冬に鳥がたくさん飛んでくることも、ここの土地の人たちはすごく誇りに思うだろうと思いました。

――水戸と比べて

全然違いますね。すごく自然の豊かさと近さを感じます。

――水戸も海岸が近いというか

水戸市には海岸がないです。新潟は自然が生活に近い感じがします。出身地の大阪にも淀川とかありますけれど、新潟は川辺で普通にジョギングするとか、住宅地の川辺ではほかの県でもあるとは思いますけど、新潟は都市と自然の関係がすごく近いと思いました。

――「水と土の芸術祭」というネーミングについては?「水と土」という言葉自体が、自然を主体とした芸術祭というイメージですが、それと新潟の関係については率直にどう思われますか?

正直、それに正面から応えようとすると、作家の幅が限られてしまいますよね……と思って、私はあまりとらわれないようにしました。作家の幅が限られない方が、より豊かな芸術祭になると思われるのですね。大地の芸術祭があり、前回の水と土の芸術祭があって、重複している作家も何人もいたということ。また「水と土」というとき、そこに反応する作家は、世代的にも限定されてしまうのではないか。そのテーマで真正面からやっている若い作家は少ないだろうと思いました。ですので第2回にあたり、私が紹介する作家としては、そこに真正面から応えるのではなく、自然に限らず新潟の特異性に注視してもらえる人を招きました。……第3回があるとすれば、そこにも作家の層に幅があることは重要だと思います。そうでないと、そのテーマだけだと展開が難しい、何度も続けていくなかでは。

「とことんトーク」の様子

8月4・5日に行われた「とことんトーク」の様子

――「とことんトーク」について、今回地域のアートプロジェクトを問い直すという、いろいろな方々を集めて長時間のトークを行う提案を早い時期にされて、実現されたわけですが、考えられた動機、実施されて感じたこと、見えてきた課題などについてお話し下さい。

動機は、先ほど言ったことと関わってきますが、やはりこういう大型の芸術祭が美術館の外で行われる際に、芸術振興とは別の目的が働いていることが多々あって、そのなかで芸術を見せていくことについて、芸術に関わる様々な立場の人がどう考えているのか、いろいろ考えているということは分かっていたのですが、それを分かる形で外に出す必要があるだろうと思いました。越後妻有の大地の芸術祭が2000年から始まり、2012年に第2回水と土の芸術祭が行われていて、この10年強の短い歴史として、地域振興に寄与する芸術祭というようなものが定例化して普及していくなかで、そのメリット、デメリットは何にでもありますし、2000年から数えて、次の10年目に入った段階で、そこをきっちり検証する時期に入ったと思っていました。実際に同類の芸術祭を行なっていく中で、そのことについて実践を伴うかたちで考えることが重要と思い、そこをやらずしてこの芸術祭をすると、課題の検証や反省なくして同様の試みがここでもまた行われているだけになってしまうので、その問題点を認識した上での芸術祭だということを出したいと思ったのです。それであのような形の長時間のトークで様々な立場で芸術に関わる人たちに出ていただきました。

――様々ではあるが、芸術の立場の人たちに集まってもらったということですね。

そうですね。

――実施され、結論を出すというトークではありませんでしたが、ご自身も参加されて見えたこと、また見えきれなかったことがあると思いますが……

記録がようやく昨日あがってきて、まだ見返していれないので、今は記憶が薄れているところもあるのですが、思ったのは、地域振興など他の目的があるにしても、関わるディレクターも、参加する作家も、芸術祭にどんな名目があるにせよ、それを乗り越える作品の作り方というのはできるわけで、それができてこそ本物というか、本当にいい作品が生まれたと言える、と思ったことです。地域振興という目的にそのまま回答する作家というのはそんなにいないし、そこまで主催側の、たとえば行政がたてる名目に目くじらを立てなくても、分かっていながら、そこをうまく脱臼させていくというか、いい作品を作ることができれば、人々の心に残るわけです。いい作品を作れば、長い間をかけて複数の人を介し、場合によってはあるエリアを面白い界隈へと変え、それが結果的に地域振興につながることもあり得ます。柔軟に、あえて言えば、乗っ取っていけばいいと思いました。 それはとことんトークだけを通してというよりも、この芸術祭をはじめ2012年の仕事をしていくなかで、作家や芸術関係者と対話することで得た意識でした。

佐々木愛「『残された物語』 Migrating Stories」

佐々木愛「『残された物語』 Migrating Stories」

――竹久さんは美術館学芸員として、美術館という場所で展覧会を企画されています。 美術館の中での企画と、外での企画――いろいろな意味で性格が違うと思いますが、実際両方を体験されて、感じられたことは?

美術館は、「守られた空間」だと思ったということですね。  美術館から一歩外に出ただけで、建築法などの法律の問題が出てくる。そこをどうクリアしながら、否定的な意味で妥協することなく仕上げていくか。そのせめぎ合いと、それを作家にも理解してもらわなければならない部分、あとは事務局スタッフが、作品を絶対に実現させたいという思いの中で知恵を出しあって、どういう形でその規制をクリアするかを考えることは、美術館の中ではないことでした。そこが私の専門外でもあるし、美術館の外で仕事をした中で、初めて見えた部分であり、難しさでした。

――それは水戸でもある程度体験されて……

水戸の街中で私がやってきたは、モノを設置することはあまりしないので、プロジェクトだったりイベントだったりですので、種類も予算規模も違いますし。

 

だから思った以上でしたね。

――美術館の学芸員の仕事が、芸術家がより理想的な環境で制作し、かつ発表することを共に行っていくということだとすれば、美術館の外は決して理想的ではないわけです。けれどもそれゆえの何かというか、美術館での展覧会と違う価値というか、そういうものもあるような気がするのですが……そのあたりについて、竹久さんなりに感じられたことがあれば……

大友良英「オーケストラNIIGATA!」 

大友良英「オーケストラNIIGATA!」 

美術館が守られたところだということは、芸術にとって守られた場所という意味で使ったのですが、それは実は敷居にもなっているわけで、芸術に興味を抱かない人が実際マジョリティとしているなかで、だからこそ水戸芸術館も館外で作品を展示したり、地域連携のプログラムを行う必要性を感じて事業をやったりしているんですけれども。アクセスしてもらうチャンネルを広げるということで、美術館の外に出ることの意味はまずあると思います。それは広い層の人びとに見に来てもらうということでもそうですが、もう一つは作家がやはり、美術館で発表するものと、こういう水と土の芸術祭のような場で発表することは、対象となる人の層や興味が違うことを想定すると思うんです。そういうとき、大衆寄りになるということではなく、いわゆる美術慣れしていない人たちも含めて、どう届きうる作品にするかということは、当然考えると思うんですよね。それだからこそできること、というのもあると思います。本来は市民を対象に作られるべき芸術が、いつの間にか美術館のために作られるというか、「美術」のなかだけで評価が成立するため閉塞を招いてしまった歴史があると思います。多くの人びとにとって美術館の中の美術に疎遠さが感じられるということを経た今だから、こういう2000年代の越後妻有からの流れもありますが、そういう文脈の上でもう一度たとえば地域住民の人たちだったりとどう接点をもった作品を作るのかを、ある意味、美術史のなかで歴史的に考えなければいけないポイントがまた来たんだなと思っています。

――最後に、竹久さんがこの新潟の芸術祭の約一年以上関わった、竹久さん自身にとっての意味は?すぐには言えないかもしれませんが……言葉にできるものがあれば……

そうですね――本当はもう少し時間をおいて考えたいところですが、ここ数年、美術館での仕事をしながらも、美術館の外でも自主的にMeToo推進室で活動したり、職務の中でも地域の人たちが関わるプロジェクトを展開するなかで、美術は何のためにあるのかということを意識しています。美術に必ずしも慣れていない人たちも含め、市民という言葉が適切か分かりませんけれども、 市民のための美術というのがどういうふうにすると立ち上がっていくのか、どうすれば美術が閉塞的にならずいろいろな人に意味あるものとして伝わっていき得るのかをずっと考えてきたので、今回の仕事は、それをいつもとは違うスタンスで、実践を通して考える機会になりました。これは私がキュレーターとして仕事をしていく限りは、ずっと続いていくことですね。

2013年8月16日   カテゴリー: アートプロジェクト
y[Wgbv
Copyright © 2012 ? All Rights Reserved.