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とことんトーク 12人が語るアートプロジェクトのこれから 全2日間総集編! no.11

とことんトーク総集編タイトル小

とことんトーク 2日目-6

行政との連携――反省、課題、提案

大倉: リスペクトのことで言うと、確かに行政は、リスペクトはしているとは思うんですけれども、その行動です。

 

行政側が、ディレクターの人たちのディレクションに対して、どこまでそのディレクションの意味や重要性まで理解してリスペクトしているか。ディレクターはとても偉い先生だというリスペクトじゃなくて、ディレクションの仕事というものをどこまで理解して、事務局として、例えばね、行政として行動するかっていうところを私は言ったつもりです。だから何々先生って尊敬しているというリスペクトではなくて、その人がやっている仕事に対しての理解。

私は1985年から90年まで新潟市の美術館にいたのですけれども、学芸員の仕事に対する理解のおよそなかった時代でした。私が入ったころは、学芸員は名前を出して文章を書いてはいけないと言われました。作品についてたった3行の解説を書くのにも、作家先生にお手紙を書いて了解を得なさいと言われました。そういう時代が、私が美術館に入った頃には日本にあったんですよね。 今ももしかしたら、地方によってはそういうところがあるかもしれません。そういう意味で、例えば美術館の中で、学芸員がしている仕事の実質をどれだけ行政が理解しているかっていうと、それはまだまだ、美術館によってはすごい状況のところがあるんじゃないかと思いますし、その延長に今の行政の、こういうアートプロジェクトにおけるディレクターに対する理解もあるんじゃないかな、っていうことがあると思うんです。だからそこにいきなり「ドクメンタ」を持ってこられても、私はちょっと違うかなと思うんですね。実際今の、ひとつひとつの、日本で行われているアートプロジェクトのディレクションだったりいろいろなことについての、外には見えないところですね、それらをやっぱりもうちょっと表に見えるようにして、そこから具体的に考えるのでないとリアリティがない。今回もそういう場だと思うんですけれども。もちろん同じような問題に違う場で向き合っている人間が、こうして横につながって話し合っているっていうのはすごく大事なことだと思うし、そういう意味では今回の催し、竹久さんの提案で実現しているんですけれども、私も実際参加させていただいて、共感したり反発したりしながら、すごく刺激を受けてはいるし、良い催しだという風に感じてはいるのですが。

羽原: 今の大倉さんの発言を受けて質問をしたいんですけれども、私は現場で関わっていて、行政っていうのは追従するものなんじゃないかと思っているんです。先に、行政以外の人がきちんと作ってあげないと、ついてこないんじゃないかと思っていて、その意味で言うと、こういう場とか、ディレクターとかプロデューサーの言葉をきちんと露わにして価値づけるっていうことが、そこに繋がるんだよ、ということならすごく共感するんですけれども。何か既存の行政に対して、その仕事に対する理解がない、価値観がないと言っているだけではあれだぞ!と。すみません。

大倉: だから、こういう場とかね。これもそうなんですけど、今ここに行政の人が若干来ていますけど、こういう場も含めて、ディレクターの仕事あるいは美術館の学芸員の仕事が何なのかっていうことを理解してもらう努力があって、実はひとつひとつのアートプロジェクトにいろんな影響を与えていくことができるんじゃないかというふうに思うんです。今回のこの催しもまさにそういう催しになっている面があると思いますけれども、私は普段は普通の人たちっていうか、そういう行政の人たちも含めて、美術の世界の人でない人たちと接している時間が非常に多いので、その人たちの中では、ディレクターたちがどんな仕事をしているかっていうのは、全くほとんどわかられていないっていうか、そういう現実を見ているので。行政の世界でも、そういうごく普通の人たちが異動してくるわけですね、芸術祭の担当課に。その人たちにとってもやっぱり同じなわけですよ。 だから、そういう人たちに理解してもらうための何らかのシステムというか、仕組みというか、そういうものがこういうアートプロジェクトを行うにあたっては非常に大事なことで、それがシステムとして今の日本に大きく欠けているんじゃないかと思うし、それが必要なのが、今の日本のひとつの現実的な状況なんじゃないかなっていうふうに思っています。

竹久: もっと、「私、私」って言ってればよかったのかなってちょっと思いました。(笑)これって、自分でディレクションしつつも、それが例えば聞き入れられない、聞き入れられたように見えても実は実行されていないっていう時に、それにどう立ち向かうか、っていうことだと思うんですね。  その時に、やっぱり人としてちょっとした謙虚さもあるので、そこまでずっと自分の考えを主張し続けるっていうことができなかったり疲れたり、いや主張し続けることもあるんですけど……。それが聞き入れられない場合でも、外から見れば「ディレクション足りてないぞ」っていうことになるっていうことを、今の話を聞いて反省も含めて思いました。実際、藤井さんが言ったように、造形責任はディレクターにもあるっていうのはまさにその通りで、今回の「水と土の芸術祭」に関しては、ディレクターが4人っていうのがシステム的には新しかったんですけれども、たぶんそれがあってディレクションが機能していない部分もあると思います。ディレクターっていう船頭が多くて、船、山に登るみたいな。ディレクターが4人だったら総合ディレクターっていう人がもう1人ちゃんと上にいて、その人のビジョンっていうのがベースで、各ディレクターが部門ごとのディレクションをするっていうのだったらまだわかるんですけど、それは結構キュレーションに近くなってくると思うんですけど。だからそこが、やっぱりかなり前の段階から関わらないと絵図が描けない、システムが作れないっていう部分で、批判だとして、その批判は全くその通りだって受け入れて反省しつつ、でもこれを本当にディレクターがちゃんとシステムを作る、ちゃんとビジョンを描く、それをいろんな人に聞いてもらう、そのために事務局にも理解をしてもらう、っていうことをしていこうとすると、やっぱりもっと、例えば事務局の人たちに対するレクチャーだったりとか、そもそものベースを固めるっていうこと自体からやらないと駄目だったんだな、って思いますね。 やっぱり私は美術館の人間で、恵まれているんだなと思うんですよ。 うちの美術館の財団の事務局っていうのはものすごくサポートがしっかりしているっていうのがあって、それが当然だって思っていた部分があって、読みが甘かった。

 

美術や芸術というものが前提となっている世界とそうでない世界のズレっていうことだと思うんですけど、そこをもうちょっと丁寧に付き合ってコミュニケーションしていかないと、理解がうまく得られないと今感じます。

杉田: ちょっと気配を消してらっしゃる丹治さん。

丹治: 私は本当に竹久さんが言われたことは正論で、でも節々でやっぱり、美術館っていう聖域からこちら側に下りている感じがしました。たぶん竹久さんが言われていることを、事務局なり、私もそうですけど、この現場ではなかなかその言語が読み取れないんだろうな、っていう場面はあった。 でも反省とするならば、やっぱりそれも最初からわかった上で、我々がコミュニケーションをとりながら積み上げていく時間が本当は必要だったんだなって、まぁ改めてこの場で反省してもしょうがないと思うんですが、ただちょっと、そもそもここで今から言っても時間の関係もあるから、それは差し控えたいと思うんですが、逆に日本の、日本でいろいろ行なわれているアートプロジェクトをふまえた時に、例えばこれから、次もし仮にですね、「水と土の芸術祭」が行われる、あるいは地方でこれからまた続けていく、そういう場面において、行政との付き合い方っていうのは、私自身先ほどからどう付き合っていけばいいのかな、っていう部分も感じてはいるんです。

主催者の体制――各立場の権限と責任

吉本光宏吉本: ディレクターがもっと力を発揮できるように、もっとガンガンやったらいいと思うんですけれども、その時にやっぱり体制がすごく重要になってくるんですよね。この開催概要の後ろにある、ディレクター4人の名前があって、その上にプロデューサー、それから大倉さんのアドバイザー、参与、それで最後が実行委員長の篠田市長の名前があるわけですけど、何かこの、ディレクター以外の方々の役割って、権限とか責任とかどうなってるんでしょうか? そこがもっと重要な気がするんですよ。

大倉: 竹久さん、言っちゃっていいの? 「言っちゃっていいの」って言いましたけど、今新潟の現状を、皆さんにそれこそ本当にお見せすると、3日間くらい話しても足りないくらいの論点がいっぱい、湯水のごとく湧き出してくるんですけれども。地盤固めってあるじゃないですか。新潟市の場合は、本当に芸術祭の1回目が、そういう点では、私はとても良くなかったと思います。さっき北川さんのディレクションは良かったって言ったけど、別の意味では、本当に良くなかったと思います。北川さんという、あれだけ経験を積んだ人がやってきて、それなりの良いディレクションをやって、ただ北川さんはほとんど新潟に、ほとんどと言ったら失礼ですけど、私たちがいるくらいは決していなくて、たまに来て指示を出して、事務局の方が実際にやっていくという、そういう第1回をやってしまったがゆえの問題点がすごく尾を引いています。1回目にもうちょっと、いろんな意味で行政を巻き込んで、ディレクターが現場に行っていろんな苦労をして、その共働の経験が経験値として行政側に蓄積されていれば、今回の2回目はもっと違ったんじゃないかなというふうに思います。

実はこの芸術祭はいろいろな問題があって、2009年に最初やっていますけど、次の2012年に行なわれるのが決まったのは、2010年の終わり。だから結局、1回目があった後、2回目があるかわからない状態、宙吊りがずっと続いていて、1年前にようやくやることが決まった後に、それからさらに時間が経ってから、竹久さんだったりディレクターが揃って、という経過で行われているんですね。だからそのことも、まぁ、こんなこと言い訳になってしまいますけれども、ここにいる方々も、そのことも踏まえて今回のディレクションは見ていただきたいというふうに思いますけれども。私はなんとか、準備段階では「絶対もう1年先にやってほしい」と言い続けてきたんですね。地盤作りがなければ、竹久さんみたいな人に来ていただいても、本当に実力を発揮していただける状況はなかなか生まれないだろうと思っていました。

 

そういう中で、4人のディレクターが実際驚異的に頑張られて、今の形があると思いますけれども、それでもやっぱり実力を発揮しきれていない部分がいっぱいあったと思います。そういう意味で、ディレクターの決まる前のシステムこそ、私は大事だと思います。今回小川弘幸さんという総合プロデューサーがいて、彼が本来いろんなことをもっと判断するべきであったと思いますけれども、こんなことまで言ってはいけませんね。ちょっとこう限界まできていますので、控えますけれども、小川さんは私昔からよく知っているし、とても素晴らしい面もいっぱい持っているけれども、やっぱり経験値だと思うんです。今回は、今になってようやく、こういう仕事がディレクターの、こういう仕事がプロデューサーの、こういう仕事がアドバイザーの仕事なんじゃないかな、っていうのがやっとおぼろげに見えてきたような具合で。もう1年先に始まっていれば、たぶんこの芸術祭、もうちょっと違った形のディレクションになったんじゃないかなというふうに思います。答えになってないかもしれませんけれども。

吉本: 今の話の続きで、ちょっとだけ参考例をご紹介したいんですけど、私、横浜市の創造都市政策にずっと関わっています。その中で「BankART1929」とか「急な坂スタジオ」とか、いわゆる創造界隈事業っていうのがあるんですけれども、それをどういうふうなやり方をやっているかっていうと、評価委員会っていうのを作っているんですね。それで、例えばBankARTでも、かなり先端的なことをやっていますけれども、それをどう評価するっていうのは評価委員会が最後に評価レポートを出して、それを市に提出するわけです。そういう時に、どういう軸で評価するのかっていうこともそこで議論しているんですね。 ですから、市役所が直接やるっていうと、やはり無理があって、だからその場で出ている議論のなかで例えば一例をあげると、横浜市の創造都市政策は今は文化観光局っていうところになっちゃったので、わかりやすく言うと、「BankARTがどう観光に貢献できるか」みたいな議論になっちゃうわけですよね。だけど、そこで言うのは、いや観光に貢献するようなことをBankARTが目標にしたのではBankARTではなくなりますよ、っていうようなことを委員会ってやっぱり言うわけですよね。あるいは市民にわかりやすいことをもっとやるべきだ、と。これはまぁその努力は必要かもしれませんが、もっとわかりやすく言うと、今の市長がわかるようなものをやったら駄目です、っていうようなことを言うわけですよね、評価委員会の人たちが。それはやっぱり市長に委嘱されている立場としては、言いにくいことも責任を果たす意味で言わなければならない。そして、役所の人間はそれを公式なものとしてリスペクトせざるを得ないっていうか、そういうふうになっていくんです。だからそういう仕組みがあるんですよね。でもこの体制を見るとそれがないんですよね。何か1人1人プロデューサー、アドバイザー、何をやるんだかよくわかんないっていう感じがあるので、そこは次回に向けてひょっとしたら行政の、新潟市の立場の方がその仕組みをもう少し考えるっていうことが重要のような気がします。

杉田: ほか、どうでしょう。  今のその体制の話とかも、本当に大切だと思うんですよね。それでまた大倉さんに文句を言われそうだけど、例えば「ドクメンタ」とかだとやっぱり会社を作るわけですよね。会社を作って、行政の力が半分くらいしか入ってこないような形をうまく作る。例えばそれが、日本にどのような形で輸入できるかっていう、まあ輸入はできないと思うんだけども、それに類似したシステムっていうか、それは本当に会社を作りたいわけではなくて、会社と言う形態をとると何かがそこれスルーできるっていう工夫なんですよね。  それに類似した工夫が、いったい日本でどのような形であり得るかっていうところは結構大切だと思うんですけれど、ただやはりそれができているところもあれば、あるいは昨日例をあげた徳島の神山とかだと、それは何人かの人たちによってかろうじて成立している、みたいなのはあるかもしれないけれども、それをもっと、他のもうちょっと大きな行政区に持っていった時には、それは実現できない、っていうような問題もあると思うんですよね。そういったものを、もちろん理想型を描いて、さぁそこに向かいましょうっていうのではなくて、これもまぁ最初のアートプロジェクトの話で出た、小森さんが分類してくれたのかな。トップダウンのやり方とボトムアップのやり方があって、ちょっとずつ、下のレベルをどうやって変えていけるのかっていうのを、実は皆さん本当はそれぞれにアイデアをお持ちなわけですよね。経験もお持ちで、例えば飲み会で話をしていたなかでは、竹久さんの方から。水戸芸がなぜああいう形になったのかっていった時に、熱心なサポーターを、かつて水戸芸にいらっしゃった森さんっていう方が連れて歩いて個人的に教育していくっていうふうなことをやっていたんだとか、それはまさにボトムアップ的なある種の、システムをどう変えようっていう中から見えてこない工夫ですよね。そういった工夫もとても大切だし、もちろんこれは規模の大小ではないので、例えば歩いて、そこの人たちをどうやって取り込んでいくのか、あるいは商店街や商店、行政区とはまた違った変なルールがあって、地元の商店街では僕はいろいろやったことがあるんですが、それはそれで難しいですよね。そこに理想の自分たちの活動をインストールしていくっていうのはとても難しいことで、そういったときに工夫を出し合うっていうことが本当に必要だと思うんですよね。今回のみずつちはおそらくそういった問題が整理されてきて、継続的にいらっしゃるのは丹治さんか大倉さんとかがそれを次回に持ち越していっている、その問題を踏まえてそれを解決していくっていう形をとらないと、行政の中でも受け渡しができていかないわけですよね。行政もどんどんポジションが変わるっていうこともあって、これを行政も含めたひとつの社会と言っていいのかわからないんだけれども、地域社会のなかにどうやって根付かせていくのかっていうまた別の問題が出てくると思うんですけれども、そのへんについてはどうでしょうね。継続していくっていうか、システムをある種その中で育てていくっていうことが必要だと思うんですけれども、育てていくっていうのには、極めて日本の行政のシステムっていうのはうまくできていなくて、ある時点でポジションが変わってしまうというのがあって、これは東京もそうですよね。至るところでその問題は出ていると思いますし、直面されている方もいると思うんですけれども、どうですか、雨森さん。

体制を育てる、メソッドを継承する

雨森信雨森: そうですね……。体制ができていないのに、最初から成功を前提とした大きなプロジェクトをするっていうことが、そもそも問題じゃないかなと……。大阪でも「水都大阪」という大きなイベントが2009年にあったのですが、大阪でそういった大きなアートのイベントをやるのは初めてということもあり、事務局体制が整っていない状況で、かなり壮絶な現場でした。その反面、メディアにもかなり取り上げられ、交通の便も良かったということもあり、予想以上の来場者(のべ190万人)が押し寄せ、行政的には大成功。 ここで私が問題だと感じているのは、現場で働いていた人や参加アーティストにとって実際どうだったのか、またそこで問題となったことを検証されないままで実行委員会も解散になり、その経験が蓄積され次に引き継がれていく場がなかったということです。私自身もそのなかで仕事をしていてかなり疲弊しましたが、そのことが次の機会に生かされていくのであればその苦労も報われるんですけど、そういった場がなかったのは非常に残念なことです。

 

そういった経験を次に引き継いでいくことが重要なことだと思うんですけれども。

杉田: 竹久さんはどうですか。もちろん水戸の方ではある種の継続性ってことで直面されている立場でもあると思うんですけれども。みずつちでは問題点が露出した形で、それを体験されたかもしれないんだけれども、どうでしょう、水戸の場合。

竹久: 水戸の場合とあんまり同じ問題じゃないので、あまり水戸と比較しては語れないんですけれども、とりあえず今の雨森さんの話を聞いていて、先程から思っていることがそうかもなって思ったことがあります。ひとつは、さっき杉田さんがおっしゃったようにアーティストは結構横のつながりがあって、藤井さんとかがギルドを作ってたりするんですね。アーティストとしての立場をうまく、ユニオンじゃないけれども、ちゃんと確立させて受け継いでいくっていうのをシステムとして作っていっているっていうのがあるんですが、キュレーターはないんですよね。 そろそろそれをしないとちょっと立ち向かえないかなっていう気が最近してきています。とくにこれは芸術祭に関わらずなんですけれども、美術館で行う展覧会に対してもそうなんですが、やっぱり無視できない入場者数っていう点で評価されることが多くて、そこでそうじゃない評価軸もあるということを1人の学芸員が言っても弱いんですよね。 だからそこで、そう思っている同業者がそろって声を出さないと、みんな徒労に終わっていくというか、くじけていく。くじけそうになるんですよ、たまに。なので、そういったことも含めて、互いの苦労や共通の問題がわかり合える者同士として、情報と知恵を共有することで、こういうアートプロジェクトだったり芸術祭だったりっていうのをやる時に必要な体制や姿勢などについて、キュレーターやディレクター側の意見を外に出していくっていうのも必要なのかなと。実際にこの芸術祭をやるなかで、次も行うんだったら改善されるべき課題や問題はいくつも現場にいるとわかってくるわけですけれども、これが確かに継承される機会が設けられるかどうかは大いなる謎で、でもそれが継承されないと駄目じゃないですか。それがたぶん私の最後のディレクターとしての責任なんだろうという気がするので、そこはちゃんとまとめて文章化するなりなんなりして出していかないと駄目だなと、水都の話を聞いていてなおさら思いました。

小森: 今話していたのって、芸術祭のノウハウなどをどうやって伝えていくかって話ですよね。

 

その方法って現場ではどうなってるんだろうって聞きながらすごく気になりました。ノウハウを伝えていく時に、竹久さんが(以前、水戸芸術館に勤められていた)森さんから直接いろいろなことを伝え聞いたっていう話も、徒弟制みたいなことですよね。こういうことを言って悪い印象を与えたら申し訳ないんですけれども、要するに直接の人間関係があって、そこでこの人には何々ができそうだから弟子に伝えていて、とても緩やかなシステムとして伝えられているのが今の現状で。それに対して今の時点で、何ができるんだろうなって考えていて。

 

ギルドを作るのもいいかもしれないし、ずっと前から気になっているのはノウハウをドキュメント化して受け継いでいくっていうパイプだったり、ドキュメントが誰でも鑑賞できる形で公開されているアーカイヴはあるんだろうかということです。昨日話していたことですが、現状では、現場の人たちが行政に対して戦略を立てて二枚舌的にしかおもしろい企画を通せない、動きにくいという状況になっているとしたら、僕がリサーチをした限りでは、報告書というような形でノウハウをアーカイヴするということも行政側が基本的に総括していて、現場の非常に生々しい声がドキュメントとして参照できるものだったり方法論としてまとめられているものはほとんどないように思います。調べれば簡単に出てくるような、行政が出している今までの芸術祭の記録集や評価書を見ていくと、ものすごく薄っぺらいことしか書いてないんですね。  この項目はこの評価、はい、この項目はこの評価、っていうので3行くらいでまとめられていて。あれを見ても次の世代を担うべきキュレータの卵には何の参考にもならない気がします。もちろんそこから何が得られるのか、誰に対して出版するのかっていうのはありますけど。  なので、そういうドキュメントとしてもうちょっと中身のあるものは作れないんでしょうか。そこには何か課題がありますか。

竹久: 吉本さんとかどうですか。

吉本: もちろん、ドキュメントはちゃんと作った方がいいと思うし、さっき紹介した横浜市の評価報告書なんて毎年これくらいのものを作っていますよね。 データはデータで集め、他にも全体的なものとかも集めてってやっていますが、その努力は必要だと思うんですよね。でも、逆説的に言うと、ドキュメントがあったから継続できる、っていうものではないっていうふうに思うんですよ。だから両方必要なんだっていうふうに思うんですけどね。でも評価は本当に難しいと思いますよ。永遠の課題なんじゃないですかね、これをどう評価するかっていうのは。すいません、ちょっとうまく答えられないですね。でも、例えば今日、この2日間がどんなふうに記録になるのか、キーワードをね、ずっとこうやって書いてくださっていますから、それだけでも記録になると思うし、録音もしているのでどうされるかわからないんですけれども、何かやっぱり残していって、それの積み重ねっていうのが何よりも重要じゃないかなっていう気はしますよね。評価をする時は、みずつちが何を目指しているのかっていう具体的な目標がないと評価ってできないですよね。  たくさん人に来てほしいのか、逆にそうでないのか。たくさん来てほしいんですっていう人もいるし、いやそんなのは芸術祭の目的じゃないでしょっていう人もいるし、っていうことがたぶん起きていると思うので、それを明確にできることが評価を明確にするっていうことになるわけで、ですから評価をするのが目的じゃなくて、プロジェクトのゴールというか目標を明確にしていくっていうのが、評価をする大きな意義だと思うんですよね。そのことを踏まえて総合評価の仕組みを作っていくことが大切なんじゃないかなっていうふうに。

杉田: おそらく定性的、定量的どちらの評価、そういった資料もとても必要で、越後妻有に関して言えば、評論家たちが書いたものもいくつかはあるんだけれども、僕が知る限りでは現地に入って研究されていた、本当は今回も呼ぼうと思っていた研究者の方がいるんだけれども、その人の分析っていうのは意味があって、例えばそういった研究を小森さんもどっかでやるとかね、そういったことが蓄積されていくと。

雨森: 評価や報告書ではメソッドは残っていかないんですよね。

 

小森 真樹

小森: 評価書や記録集を一例に出したので、評価の方に話がずれてしまったかもしれないんですが、あるメソッドを継承していく時に、何が有効なんだろうかということです。実際には本当に徒弟制が最善なのかもしれないんですが、そこを何か他の方法の可能性がないのか。アイデアでもいいので。あるいはそれはできないんだよ、みたいな課題についても他の人に聞きたいなと思いまして。

杉田: ものすごく乱暴なことを言えば、さっき言っていたディレクター会議みたいなのをやって、それをビデオにとってドキュメントなりなんなりで撮って、今回工夫したのはどんな点なの、みたいなのがあって、それがぽんぽん残っていて公開されていれば、本当に見ていく気持ちがあれば、ものすごく乱暴な方法だけど、そういうのもありかなって思うんですよね。例えばアーティストとかって制作過程とかも含めて話し合ったりするみたいなドキュメントを、今延々と終わりのないトークとしていく、っていうのを結構やっていますよね、今。例えばそこでは、アーティストから学ぶっていうこともできるんじゃないかなって思うんですよね。アーティストは今どんどん表現の仕方が変わってきて、アーカイヴとか展示自体じゃなくて、展示の前のそのプロセスっていうのをどういうふうに改善していくかっていうのを結構やっていますよね。そういった工夫を、もしできれば、アートプロジェクト自体も取り入れていくっていうことができるとおもしろいのかなっていう感じがしますけどね。

とことんトーク 12人が語るアートプロジェクトのこれから 全2日間総集編! no.12

とことんトーク総集編タイトル小

とことんトーク 2日目-7

アクションによって変えていく

冨井: アートプロジェクトっていうふうに考えると評価とかも書類的な話になったり行政とかって話もさっきあったんですけど、アクションで考えたらどうなんですかね。 っていうかこれもひとつのアクションでしょ? 作家としては、一回こっきりのタイマンなんですよ。一回で終わるわけ。だけど、キュレーターの皆さんと僕らは違うなと思うのは、(キュレーターには)一応次があんのよ。俺にはそう見えるの。そうでしょ? 次ないもん、僕ら。だから、もうアクションしかないの。とにかくアクション、アクション、アクションで、それを残して発信するしかないんですよ。で、アートでしょ、全部。さっきから行政の話とかばっかりしているけど、結局アートじゃないですか。だったらそこをまず皆さん、やられたらどうなの? だからアクションをアーカイヴして発信するとか、そのアクションをとりあえず写真でもなんでもいいから記録に残すとか、乱暴かもしれないけど、乱暴なこともできないで何をアートするんですか?

竹久: 私がやっているプロジェクトはアクションのひとつです。そのアクションを通して、行政を説得していく。そういう小さなプロジェクトがいかに有効かっていうことを実践を通してどう示せるかっていうことで。さっき最初に乱暴なこと言いましたけど、そこをどう説得していくかっていうところも、ディレクターの仕事として考えています。

 

杉田: 1回こっきりのアクションであることを承知の上でね、トークで失敗したりしますよね。

冨井: キュレーターとかディレクターの造形の責任っていう時に、僕は重要なのはどこを向いているか、っていうことなのかなと思うんですよね。

造形っていうとちょっとややこしくなるけど、単純にこの展覧会がどこを向いているのか、実際にどこを向いているのかは、もちろん集客ってのはあるけど、やりゃあ人は来るんだから、当然ですよね、それは。だけど、人を呼びたいんだよと、すごく人を呼びたいんだと、人を呼ばないとしたいことはできないんだと、人を呼べる作品を作ってくれって言われたら、そしたらそれで頑張るし、だけどそういうことじゃないんだと、こういう内容的なのが重要なんだと、人は来なくてもいいんだと、例えばこういう人に本当は見てもらいたいんだとか、それをどういう形でもいいので、それを言うのは難しいっていうのは百も承知ですけど、でもそれをまずやる、言うってことを大前提に行政の人たちといろんな話ができないといけないんじゃないかなって思うんですよね。 だからそれは後半の話の直前に出ていた、キュレーター主導の展覧会とか白川さんがおっしゃっていたような、ゼーマンのような展覧会の方法が良いのが悪いのか、そんな話にも絡んでくると思うんですけど、単純にアートと思うんですよっていうのが1つと、あとさっきから聞いていてやっぱりこう、作品が見えてこないと(いけない)みたいな話をディレクターの方々がおっしゃっているんだけれども、大丈夫なので、そのへんのことは気にせずに展覧会をガンガン作品として考えていってほしいなっていうのが、僕ら作家側。  なぜかっていうと、展覧会に参加しているんで、作品だけを出しているわけじゃないんですよね。自分の作品だけで評価されたいっていうなら個展やるから、心配しないでください。個展やる場所はいくらでもあります。なので、そのへんは気にせずにもっとガンガン出てほしいなっていうのが、僕がここでどうしても言いたかったことです。

白川: 今の冨井くんの話に続けてですが、僕ら作家は次がないっていうか、僕の理解ではディレクター、キュレーターっていうのはこれも、欧米みたいな感じで考えれば、同じように作家みたいに、どんどん展覧会を計画してそれが評価されて、そのキュレーターはヨーロッパの場合だと地方にいたキュレーターが次はギャラリーのディレクターになっちゃったり、次は「ドクメンタ」のディレクターになっちゃったりする昇り方が見えて、そういう視点が社会に対するプレゼンテーション、こういうことが大切なんだぞってこういうアートがあるんだぞってことで、みんながある意味で言うと巻き込まれたり納得するっていうような部分もあるので、やっぱり日本の場合、僕よくわかんないんですよ。どこが上がりなのか、日本の中の。例えば東京都現代美術館まで行けば上がりなのか、それとも国立美術館に行けばキュレーターとして上がりなのかという。やっぱりヨーロッパはその「上がり」があるじゃないですか。やっぱり作家もね、良い作品つくる。だからそういうものは関係ないっていう作家はそれでやっていくんだから、キュレーターはキュレーターで、やっぱり同じようなクリエイティヴィティっていうか、それはそういうところに姿勢として現われると思うんですよ。だからそういうところを、今日の話で出た個人史っていうのとか、そういう姿勢みたいな、そういうところに逆に僕らは「あぁ、そうか」みたいな、「そういう展覧会だったら出たい」「くそっ」みたいなね、そういうおもしろさがないと駄目ですよね。

丹治: 今ちょっと白川さんの話を、「えっ」て思ったところもあるんです。今、例えばそのヒエラルキーの頂点が東京都現代美術館で、そしたら世田谷いってそれから金沢いってそれがヒエラルキーなのかなって私は思っちゃったので、それがキュレーターのこの国のゴールだと思ったら、この国どうなっちゃうのかなって思って。例えばそういうスタンスのなかでリアリティがあるんであれば、そこにトライしてもおもしろいし、そこに何かリアリティがあってこそのアートだと僕は思うんですね。  ステップを踏みながらそこから見えるものに融合していく、あるいはそれでステータスを感じるっていうより、それはもう時代に取り残されているかなっていう感じを私は受けちゃって、そこの回路の違いっていうものをちょっと感じちゃったところもあるので、ちょっと皆さんから話を頂ければと……。

白川: 確かにそういう動きもあるかな、動きもあるんですけど、日本の中にそういう変なヒエラルキーのある場所が明解にあってもいいんじゃないかみたいな。それが今まで日本のアートの中になかったから、いつもオルタナティブだなんだって言っても、結局オルタナティブが力を持てないみたいな。何を対象に戦っているのか全然わかんない、全てが相対化されちゃって、それはやっぱりおかしいので、人工的にでもいいから作ってください、みたいな。そういう、仮想敵とかそういうものは、必要だと思いますね、僕は。

芹沢: 同感で聞いてたんですけど、でもあれですよね、オルタナティブとかそういうものをずっと言っているのに、どうしてぐちゃあってなっているのかっていうと、やっぱり戦う相手がしっかりしてくれてないからっていうところはすごくあるなぁって思うんで、だから美術館とかそういうのが、もっとしっかりしてよ、みたいな気分はありますけどね。だから竹久さんには頑張れって言ってるんですけどね。だけど白川さんがおっしゃっている意味もすごく感じるところはあって、やっぱりそういうの、仮想でも作った方がいいのかね? よくわかんないけど。

杉田: 僕が必要ですって言うからいるみたいな感じになってあれなんだけれど、僕もオルタナティブな活動とか、CAMP(キャンプ)とかいろいろやっているので、どちらかというと仮想敵っていうかそういったある種のものは、あるとやりやすいっていうのはすごくわかるんだけれども、実際それががっちりあったらそれはすごく嫌です。それはそれですごく嫌だっていうのはあって、ただちょっと話がずれちゃうかもしれないんだけど、僕はやっぱりこういった芸術祭みたいなある展示をやるとするならば、これ自体のその質的な評価っていうのはもうちょっと求めてもいいような気はしていて、繰り返しになっちゃうけど、例えば光州とかがアジアのビエンナーレとかにも関わらずすごく注目されて、テーマも良くてよかったよねっていうふうに言われるっていうものを、日本の今の芸術祭っていうのは、越後妻有はかなり固有なものとして、実はもともとは一種のパクリとして生まれて、評価はされているけれども、それ以外にも例えばみずつちはみずつちでもう少し固有のここでの質みたいなものは、どうしたら求められるのかっていうようなことは、もちろんディレクターの方とか含めて、もうちょっと話し合ったりしていけたらいいのかなと思うんですね。たぶんひょっとすると、藤井さんがさっき言ったディレクターの思考が見えないっていうのにもちょっと関わっているのかなって思っていて、ある種の明確なコンセプトみたいなものをそこで、ディレクターの中が見えてくる。4人いてもそれぞれが共有している部分と共有できてない部分はあるっていうのが少しでも見えると、そこで参加するアーティストとかも意識が変わるのかなっていう気はするんですよね。

それはさっき冨井さんが言った、作品で評価されたいんだったら個展でやるっていう、まさにその通りだと思うんですね。個展でなくて芸術祭に関わる意味みたいなものが、どういう形でディレクターはそこで想像していくのかっていうところが、結構やっぱり問われているような気がしてるんですよね。これ最初に吉本さんが整理されたところにゆっくり戻っていったような気がしていて、結局ここで話し合って何にも解決できなかったっていう暗澹たる気持ちにもなりつつですね、でもやっぱりディレクターの役割を求めるってことは、必要だと思うんですよね。

冨井: それこそアクションですよね。だからみずつちと妻有が圧倒的に違うのは、こういうことが行なわれたってだけでも変わるわけじゃないですか。足元の部分から1個1個拾い上げていくって作業をしているにも関わらず、されてないのか、話に出てないのかみたいな感じに思えたので、それは1個ずつやってきゃいいんじゃないですかね。ていうふうに思うんですよね。僕らはそういう意味では足元しか見てないっていうか……。足元って色々見えちゃうんですよ。見えちゃうから、横のつながりとかの方が強くなっちゃったりするってことであって。 頑張りましょうとしか言えないですけど。ただ、この話をどういうふうに持って帰るかってことですね。足元にどういうふうに還元するかっていうことで、これがまた行政が何だとか大きい話にして霧散させてしまうよりは、こういう話を個々でも皆さんやられて、横のつながりっていうなら、今繋がったんだから、これからゆっくりでもいいじゃないですか。そういう簡単なことをまずはしましょうよってことが言いたい。我々はやっていますっていう。

杉田敦杉田: みずつちとかに関して言えば、行政が何か与えてくれるっていうのではなくて、例えばみずつちについて市民レベルで語り合う会みたいなのを継続的にやっていくっていうようなことはできないんでしょうかね。そうすると、行政による空白期間みたいなのを多少なりとも埋めることができたりとか、そういうアイデアみたいなのを、もちろんこれは新潟にいらっしゃる方が主導でやっていくことになると思うんですけど。

大倉: 私個人で言うと、「水と土の芸術祭」は北川さんが始めた時にはすごい距離感があって、ずっと観客で来たんですよね。今回、その私が1回目と2回目を比べると、ディレクションとしては、1回目が良かったと思っています。はっきりと。北川さんがやりたいことがすごいはっきり見えた。1個1個の作品のレベルじゃなくてね、水との戦いを見せたいっていうのがハッキリわかったので、作家さんももしかしたら反発を感じた人もいたかもしれないけど、それが全国的には伝わらなかったかもしれないけど、私は新潟にいて頻繁に見て、すごくそれが入ってきたんですよ。だからそういう意味で今回の2回目は、全体の展覧会の造形としては、見まわってて思ったんですけど、1個1個の作品のレベルはすごく高くなっているんですけれども、ディレクション全体の造形としては弱くなってるっていうふうに思っています。だけど、こういうふうに変わったことのなかで、実は初めて新潟でこの「水と土の芸術祭」は、やっと始まってるんじゃないかなとも思える。今話を聞いていて、アクションって話もありましたけど、個人的にはこの芸術祭についてはあまりアクションを起こしてこなかったんですけれども、こうやって話を聞いていると、私がアドバイザーとして会議に出させてもらったりしたことのなかに、すごいアクションを促すものがいっぱいあった。  これまで、1回目の後にサポーターズの方々が定期的に会合してアクションを起こしてきているし、それは私も部分的に知ってはいるし、またそれがどこかで生かされているっていうのもすごくあると思うんですけれども、2回目のこの芸術祭は、全体の芸術祭としてのインパクトとは別に、いろんなものが、前回はなかったような形と広がりで、起こっているんだなあって感じていて、竹久さんが提案したこのトークも、はっきり言って初めはあんまり関心がなかったんですけれども、出させていただいて、出て初めて意味がわかって、今回は関わってみて初めてわかったことがいっぱいあるから、3回目があるかどうか本当にわかりませんが、いや実は本当にやりたいと思ってるんですよ、だけど私はいろいろなことを知り過ぎているので、3回目をやることの難しさをわかっているから、やるかやらないか、やれるかやれないかは別として、この2回目の体験は非常に大事だなぁと思っていて、これをそのまま表に明らかにするっていうことがいいことなのかどうかわからないけれども、冨井さんのアクションに、私個人としても何か繋がるものを感じています。それはディレクターの方々も、本当に感じてくれているんじゃないかなと思います。

杉田: 例えば芸術祭自体に関して言うと、行政の話にならないように言うと、芸術祭っていうのが必要なのかっていう話もあって、全部ぶっ壊すみたいで申し訳ないんだけども、例えば芸術祭をやるのが良いのか、例えばそこに50人のアーティスト・イン・レジデンスを恒常的に置いておいた方がいいのかっていう問題ありますよね。 もう展示なんてしなくて良いじゃん、そのレジデンスで滞在しているアーティストがそれぞれにやっていけばいいじゃない、そこにはでも実は広くテーマを与えますよみたいな方が、実は地域との結びつきとか行政の方の指導っていうのは継続的になっていくかもしれなくて、ひょっとしたらそっちの方が良いかもしれないんですよね。その選択っていうのは、行政とかその地域の人々が、芸術祭っていう突発的にある期間だけ起こることが必要なのかっていうのを、必要だっていうふうに考えているのかどうなのかっていうのは、本当にそこに住んでいる人が考えるべきだと思うんですよね。今、ここで継続性とかメソドロジーとして確立できるかって言われたら、全て時間っていう流れの中で1回起こったアクションをどのようにそこから引き出していけるかっていう問題だったと思うんですけれども、それはディレクターとかアーティストだけの問題ではなくて、その地域に住んでいる人々も、そこに関して、本当に考える必要があると思うんですよね。やっぱりそこで、レジデンスっていう形になったら形態は違うけれども、そこで呼ばれればやるわけですよね。  形態は違うけどやるわけですよね。アーティストはそこで自分なりの関わり方っていうのを発見していくっていうのもあるかもしれないし、いくらでもその結び付きっていうのは、実はもっと可能性があるのに、本当に芸術祭っていう形をとる必要があるのかどうかっていうところもよく考えていく必要があるかな、っていう感じがしますよね。そうかもしれません。

どうでしょう最後に、もうそろそろ最後のセクションもあと30分程になってきたんですが、最後に少し言っておきたいという意見があれば、参加者の皆さんからも少し意見を聞いたうえで、ご来場の方からいくつか質問とかも受けていきたいなっていうふうに思うんですけれども。どうでしょう。参加者の方、どうですか。どうぞ。

羽原: すみません、主観的なことになるかもしれないんですけれども、その芸術祭っていう方法をとるかどうかというのはやっぱり、何にしろ、何を目指すかですよね。どこを向くかって話と一緒だと思うんですけど、おそらく何を目指すかという点で、大小の規模はあれ、その全ての、その土地に誰とどう生きているのかっていうのを明らかにするための、すごくダイレクトな方法論なんじゃないかなって思っていて、それって結局生きることに直結していて、それはその3.11以降に、中途半端な被災地だった茨城で、ずっと考え続けていたことなんですけれども、土地をどう変え、その土地でどう生きるかっていうのを、立ち返らせる仕組みで、それを考えるのが今の時代ものすごく必要なんだなっていうのを感じてます。主観的ですみません。

――会場からの質疑応答――

杉田: では、会場の方、何か質問とか感想とかでも構いませんので、少し意見をお聞きしたいなと思うんですが。どうでしょう。どうでしょう。

 

どうですか?

来場者D: すみません、途中から入ってきた蒲原といいます。今回、新任サポーターとして、現場を手伝わせてもらったんですけれど、自分が前から感じていることなんですけれども、市民芸術祭ってうたっているんで、それは誰のための市民芸術祭なのか。皆さんにちょっと聞いてみたかったんですよ。キュレーターさんのためなのか、それとも作家さんのためなのか。 であれば、市民芸術祭とうたう必要はないんじゃないかっていう、それを。市がやってますよね。それでサポーターとして自分が関わっていたんですけど。

杉田: わかりました。昨日もちょっと似たような質問が出たんですけれど、市のお金を使っているプロジェクトであって、それは一体誰のためのものなんだろうっていうような質問であると。

来場者D: 税金を使って市の芸術祭としてやるんであれば、市にお金を落とすような算段で仕組みを作っていかないと、市民の方も興味を持っているんだけど、「なんだぁ」って思う人が増えてくると思うんですよ。自分は新潟市民じゃないんですけど、やっぱり税金を使うためにはそういうふうな感じで動いてもらいたいなっていう。

杉田: 昨日いらっしゃった?

来場者D: いえ全然、今日が初めてです。

杉田: わかりました。昨日少しそういうような話が出てですね、繰り返しにひょっとしたらなるかもしれませんけれども、もし発言される方いらっしゃいましたらどうでしょう。  ここはやっぱりディレクターの方が。

丹治: 急に振られて、昨日の今日でもう20時間くらい経っちゃったのでなかなか思い出せないところもあるんですが、ちょっと今整理させてもらうと、「市民プロジェクト」でということですか、それとも芸術祭全体についてということですか。

来場者D: 芸術祭全体についてです。

丹治 嘉彦

丹治: 芸術祭全体が、例えば作家のためなのか、あるいは一部の人たちのためだけに行なわれるというふうなイメージが?

来場者D: それもあるし、芸術祭をやる役割ですよね。やって何を求めているんですか。芸術祭をこれから続けて、新潟市の子どもたちとか、そういう人たちに芸術祭に興味を持ってもらって、自分の興味、きっかけになってもらえるような場所を作っていきたいのか、それとも作家さんのための仕事場を作ってあげてるのか。

丹治: 私の口から100パーセント応えられるかどうかもわからないんですけど、私の考えのなかで答えさせていただきたいと思います。昨日もそういう話が出ていたんですが、まず作家のサポートに関して、あるいはボランティアっていう形に関して答えたいと思います。それは私自身も思っていたところです。 ボランティアっていうキーワードが果たして誰のものになっているのか。あるいはボランティアは単純労働で、それに対しての金銭的な報酬もあっていいんじゃないかっていう話も、昨日でましたが、最終的にやっぱりそのボランティアに関わった人が、「あぁ楽しかったな」。あるいはこの芸術祭を通して、ボランティアそのものがこの芸術祭を通しておもしろく感じられるような場面になったなら本当に良かったなと。ただ、私自身の反省も含めてですけど、そういうツールがある部分で負荷になっていたのであれば、それはまずかったし、次回もし開催することがあれば反省点として生かさなきゃいけないっていうふうに僕は感じています。芸術祭そのものが市民のためでなくて、公金を使えることで芸術祭そのものがみんな有効なものになっているかっていう点に関しては、今すぐ判断ができるかどうかって言ったら、難しい問題だと思う。確かに公金は大きい問題だし、それに対して新潟市民80万人に対する説明責任っていうのも当然出てくると思います。ただ、こういう場を通して、皆さんに開かれた形で芸術祭っておもしろい、そこからこういうふうな関わり方もあるし、作品鑑賞だけでなく他のメニューでこんなにおもしろい場面もあるんだよっていうところも、広報も含めて発信していければ、私は芸術祭の意味として伝わるかなっていう気もします。ただ、まだそのへん行き届いてないかなっていう部分も、反省として、まだ芸術祭が始まって1カ月も経ってないですけれども、これからやっていかないといけない。あるいはやらないといけない部分にも繋がっている気がします。

竹久: 今のはたぶん2つの質問があったと思うんですけど、1つは誰のための芸術祭なのか、何のためにやっているのかということと、もう1つはその芸術祭をやる上で、どこにお金を落とすかっていうことの2つだったんじゃないかと思うんです。  まず1つ目の質問に関しては、作家にとっても言えることであることは確かなんですが、作家が提示するアイデアだったりプランだったりというものを実現していく、そのプロセスにおいて、どういった人たちが関わり得て、そこからどういったものを感じられるかっていうことをすごく重視して行っています。もう1つは、作品ができあがった上で今芸術祭が開催されているわけですから、その期間中にいろんな人によって作られたものが、どんな形で見る人に作用していくか、ということを重視しています。2つ目の問題点に関しては、その地域で手に入るものは地域のものを使ったらいいと思います。ただ、いろんな理由でそうはいかない時というのがやっぱりあるんですね。そういう時に地域の業者とか物を使わないとできない、というのが足枷になるのはやっぱり違うと思います。

杉田: 芸術の存在理由そのものにも結構関わるような質問で、たぶんここで答えが出るっていうことではないと思うんですよね。

 

例えば子どもたちにっていう例を出された。 例えば家庭があって、ある家庭には全く花がない。でも、ある家庭にはそこに必ず花が飾ってある。花が飾ってある家庭のなかで子どもたちを育てたい。その時に、親は花屋さんにお金を払うけれども、花屋さんのためにお金を払っているわけではなくて、それは花屋さんから花を買ってきて、花で飾られて、わからないんだけれども、効果は明示できないけれども、生きていく上での空間を、何かそれがない空間よりも芸術がある空間の方が良いだろう、というくらいのことを漠然と思っているにすぎないと思うんですよね。おそらく、今回ここに参加されているアーティストの皆さんも、とってもいいお金をもらってこれでアーティストとしてオッケーってわけでもないだろうし、ディレクターの方もそうだと思います。もちろんお金が流れるので、公金が流れていくので、誰にそれが戻ってくるのかっていうのは、常にチェックしなければいけないのだけれども、誰でもここに来れば、その花類似のものが、花っていうと語弊があってきれいなものならいいんだろうっていうふうになっちゃうんだけれども、現在ではとても汚いものとか不気味なものまで花になりつつあるので、芸術という花が、ですね。でもその花がつくる空間で生きていってもらいたいっていう思いが、おそらく人間のなかで結構あると思うんですよね。だからこそ芸術はいろんな国の中に残っているんだと思うんですよ。もしも本当に不要なものだったら、お金もかかるし芸術はおそらくこの世界からなくなっていると思うんだけれども、芸術のある世界で生きていきたいって思いを、抱いている人が多くいるんじゃないかなっていうことだと思うんですね。ただ、それが行政とかの機関からお金が多く流れ過ぎていたり、特定の人の影が見えてくると、いろいろと問題が見えてくるんですね。当然それはあるんですけれど、それをチェックしていくのと同時に、芸術そのものの存在意義っていうのも、できれば展覧会とかこういった芸術祭を通して、更にもっと多くの人に広げていくことができればいいんじゃないかな、という気はします。  答えになってないと思いますし、そう簡単に答えられることでもないと思いますが、そのような形で、1日目も少しトークをしたのかなというふうな気がしています。

 

ほかに何かどうでしょう。どうですか? どうでしょう。もう少しご意見とかあればお伺いしたいんですけれども。どうでしょう。第1回にも関わっていらっしゃった杉本さんどうですか?

来場者E: 杉本です。杉田さんが話をした後に話をするのは少しどうなのかなと思うんですが、2009年に「水と土の芸術祭」に関わりまして、その後今回の2012年ということで、私自身はいろいろ関わりたいなぁと思いつつできないということもあり、でもやれることをやっていきたいというなかで今美術館で働いているんですけれども、美術館の中でよかったっていうのが本音です。3年間やってきて、まだまだなんですけれども、頑張っていかなきゃいけないというふうに思っていて、2009年に関わる中で思っていたことは、私自身「大地の芸術祭」に関わっていた中で、「大地の芸術祭」においては過疎化でおじいちゃんおばあちゃんしかいない、けれども、新潟市というのは子どもたちがいて、2009年にすごく新鮮だったのは、新潟市が合併して8区になって、コミュニティ協議会という自治会なんですけれども、そのツアーバスが、毎日のように芸術祭に訪れるんですよ。そのなかに、今まで新潟市美術館を知らなかったし来たこともなかったっていう地域のおじいちゃんおばあちゃんが来て、「あぁ美術館ってこんなにおもしろいんだね」っていう声が聞けたっていうのが、私としてはすごくいいなって思った経験でしたし、新潟市には子どもがいるということ、そんなに大都市ではないけれども、過疎化でもなく、ちゃんとしたコミュニティがまだ残っていて、子どもたちがいるっていうのは大きな財産ではないかと思っていて、もし「水と土の芸術祭」が芸術祭として成立するために必要なのは、そのコミュニティ協議会というものと子どもたちっていうことがキーワードなのではないかなというふうに、私自身はその2009年に関わっていて思っていて、それが2012年においても「こどもプロジェクト」っていうことで、「市民プロジェクト」っていう形で実現されているっていうのは、それでまだ明確な特色付けではないけれども、それがちょっと見えている範囲なのではないかなっていうのは、外で見ていて私自身が感じたことです。以上です。

杉田: どうでしょう。そろそろ残り10分くらいになってきたんですが、マイクで質問するっていうのは、いますか? もししにくい、ということであればですね、参加者の人たちもしばらくはこの会場に残っていると思いますので、ぜひこの人に意見を聞いてみたいと言う人を捕まえてですね、ちょっと話し合って見てください。参加者の方も、少し残っていていただけるとありがたいというふうに思います。この後の、あれ、なんかありますか?

とことんトーク竹久: この後はとくに何もないです。結構多くのスピーカーの方が今日中に帰られるので、とくに何かっていうことはないんですけれども、杉田さん、2日間本当にありがとうございました。  2日間ご参加いただきましたスピーカーの皆さま本当にありがとうございました。 このトークをどうしていくのか、とりあえず記録だけはちゃんとしておこうということで、記録はしているんですけれども、どういう形で何をすればいいのかっていうのは、これから考えたいなと思っています。何らかの形で残して、公開されるべきだとは思っていますので、またその際は皆さまの同意などいただくことになると思いますけれども、その際はどうぞよろしくお願いいたします。

 

次また別府が始まるわけですけれども、こういう議論が別の町でも続いていったらいいなと思っておりますので、ぜひ。はい、ご検討ください。

 

お越しいただいた皆さん、ありがとうございました。

小森: 竹久さん、皆さんの代表になっちゃいますけど今回はお呼びいただきありがとうございました。あと、サポーターの皆さんと、僕らはたぶん休み休みやっていたんですが(笑)、ずっと働き続けていた事務局スタッフの方々、どうもありがとうございました。

とことんトーク 12人が語るアートプロジェクトのこれから 全2日間総集編! no.10

とことんトーク総集編タイトル小

とことんトーク 2日目-5

ディレクターの個人史は重要か?

大倉: 私も1983年から新潟にいて、もう30年が経ちました。このところ、ほとんど新潟の外に出ない生活をしているので、皆さんのようにいろいろなところの話が出るとちょっとわからないんですけれども、「大地の芸術祭」が思いがけず2000年から始まり、それの継続みたいな形で新潟市で「水と土の芸術祭」が始まって、まぁ自分も自分なりに新潟でやってきたことはあるんですけれども、確かにそれで新潟が目に見えて活性化したかっていうと、そういう結果が出たかというと、新潟市に関してはかなり疑問だし、結果が出たかどうかが疑問ゆえに、第3回はないだろうっていう方も結構私の周りにいるのは確かですね。だけど、1回目の時もそう感じたし、今回もそうなんですが、確かにこういった芸術祭をやって、美術館に来るのではない人たちのなかに、何か心の変化と言うか、今堀川さんが「生きやすい」って言ったけど、この芸術祭があることで、新潟で生きやすくなっている人たちが確かにいると思っています。そういうところで見る視点っていうのも場合によっては大事かな、アーティストのクリエイティヴィティも大事かもしれないけれども、そういう人たちの目に見えない、目に見える活性化とかそういうことではないところで起こっている出来事って言うのは、多分さっきおっしゃったあの50年後とかね、そういうところに繋がってくるんじゃないかなと思っています。

大倉 宏それでディレクターのことに戻しますとね、私は「大地の芸術祭」が始まった時に、さっきおっしゃったように、絶対残骸になると思ったんです。最初の時に。「アートネックレス構想」って話を聞いた時に、立川で起こっているようなことがおそらく妻有でも起こって、1回か2回で終わった後に、残骸のように作品が残るという光景がぱっと浮かびました。多分そうなり得た芸術祭でもあって、すごく綱渡りみたいな過程を通り抜けながら、今回まで来ているはずなんですね。やっぱり今回みたいな形で、5回目ですか、にまでなったということの背景には、北川さんという人のディレクターとしての特質と思想の変容があったと思うんです。そこは論じないといけないことだと思う。「大地の芸術祭」を考えるときに、ディレクターの北川さんを、テーマを設定しなかったということも含めて、彼のディレクションのあり方みたいなものを、やっぱり捉える必要があると思うし、「大地の芸術祭」がここまで継続してきた背景にはいろいろなことの絡まりがあるんだとは思いますけれども、北川さんの個人史というようなもの、作家に個人史があるように、ディレクター側にも個人史があって、それが繋がって、関わって継続してきている面があるのではないかと思います。今回新潟市の芸術祭も北川さんのディレクションで最初に始まった後、皆さんもご存知かもしれませんがいろいろなことがあって、北川さんは2回目に関われなくなりました。その結果、代わりに小川弘幸さんが総合プロデューサーになり、新潟で活動する堀川久子さんとか、新潟大学の丹治さん、佐藤さん、そして外から竹久さんが来るということになったんですけれども、今回の芸術祭もやっぱりその4人プラス1人の、総合プロデューサーとディレクターの方々のやっぱり個人史みたいなものも、ぜひ見えるようにしてほしいなぁと思っていて、芸術祭のホームページで、小川さんと、参与で今回の芸術祭の一部門であるシンポジウムを企画された大熊孝さんの対談をアップしてもらいました。この場にいらっしゃる方は大熊さんのことほとんどご存じないと思いますけれども、実はその大熊さんの存在は、今回の芸術祭に関してはすごく大きいんですね。そういう方々の個人史みたいなものも、関心ある方に対しては見えるような形にする努力が、芸術祭側にも必要じゃないかなと思っています。  個人的には4人のディレクターの、今アップされているよりもっと長い言葉を、私の方でホームページ等に残していく作業をしたいなぁと思っていながら、自分の仕事が忙しいのでまだできていないんですけれども。そういうディレクターの個人史、思想、感性の方向性みたいなものが、実はその芸術祭に非常に大きな役割を果たしているということが、もっと気付かれていいのではないかなあと思います。

芹沢: そう思う。そう思うんですけど、どうなんだろうなあ、その独善性みたいなものを、どこまでディレクターが出したら良いのかっていうのは、結局やっていていつもかなり迷うじゃないですか。それは、やっぱり北川さんの話はしにくいですよね、俺は。しにくいけど、やっぱああいう強烈な個性があったからいろんなものが引っ張れていることは、ここまできているのも本当に事実だと思う。けど、個人的に言えばやり方はもう全然違うなぁと思っていて、仲悪くはないですよ。悪くはないけど、やり方は全然違うなぁっていうふうに思って。言っていいかわかんないけど、結局割とオルグ活動がうまいなぁというふうに思うんで、それがボランティアの体制のつけ方なんかもそうで、だからまた継続していける力も持つんじゃないかなみたいな気はしているんですけど、ちょっと言い過ぎているかもしれないけど、たぶんそれは北川さんが持つ個人史とももちろん関係するかもしれないし、僕自体も、そんなにあんまり公式に言ってはいないけど、たぶん自分のやり方っていうのが昨日ちらっとお話したみたいに全く、美術とかそういったバックグラウンドを持たない、一番最初やっているのは数学ですよ。で、そこから建築にちょっと移ったけど建築はすぐ飽きて、都市・地域計画に行き、そのあとアートに入っていく。それで本当に途中から美術に入っていったから、あまりその、美術史とか美術哲学的なところに戻れない。勉強しようとも思わないんですけど、あんまりその言葉にリアリティがどうしても持てなくて、そうすると、絶対前に出そうとは思わないけど、やっぱりその、すごく若い時に興味を持ったそういう、物理学とか数学的なロジックの通ったテキストとかそういったところに、あの頃はこんなことやっていていいのかなって思っていたけど、こうやって随分長い時間歳をとって振り返ると、数学自体は今の仕事に何の役にも立ってないんだけど、だけど物の考え方とか見方の点では「あ、そうだったんか」みたいなところはよく思い出すことがあるんです。だから、本当はそういうことをひっくるめて、そういう人間がディレクションやってくっていうのを明らかにする方が良いのか悪いのかっていうのはまだ迷うんですけど、やっぱりまぁそれはもちろん公にしていくというか、なるべく伝えていく必要はあるのかもしれない。他から見た時にそれは実は公金が入っているということも微妙に関係するけど、やっぱり一応「なんでこういうことをやるのか」っていう必然性については、ディレクターとかプロデューサーは語らなくてはいけないと思うんです。でも、それが一般論で綺麗ごとの話だけで終わらすのではなくて、やっぱり自分の恣意的なものともくっつけてリークした方がリアリティは高まると思うし、その方が伝わりやすい気もするんですよね。まぁ、そんなとこかな。

杉田: どうでしょう、竹久さんの欧米流のキュレーターの教育を受けてきた立場からすると、そんな個人史全然いらないんじゃないの?っていうような立場もアリだと思うんですよね。はい。

竹久: 逆に、個人史って日本だとあんまり危険でないですけど、欧米だと個人史が出自に関わっていたりとかするじゃないですか。どこの民族でどこから来て、とか。 そういう文脈から展覧会を作っている人っていうのは実際にいますけど、ちょっと思うのは、何か表層的に捉えられるとそっちばっかりで受け取られるっていう恐れがあって、それは避けたいっていうのはあるんですよね。わかりやすいキーワード、例えばアフリカ出身を取り上げられて、そちらの方向から全てのキュレーションを理解されようとする、というふうになるのは、自分がその立場だったらやっぱり微妙だなって。

 

たぶんそれは作家も同じじゃないかと思うんですよね。その国籍とか民族によって判断されると、それを超えた次をやりたいはずなのに、難しいんじゃないかというのはあります。だから、その芸術祭のディレクションをするなかで個人史を入れ込んでいくっていうのはやっぱりあんまり必然性を感じないですね。

普通に新聞の取材とか受けますよね。実際私は受けたんですけど、あとはガイドブックのなかで今回自分にとっての転換点は何かみたいな質問を各ディレクターが答えるっていうコラムがあるんですけれども、そういったところで必然的に見えてくる個人史っていうのは、その人が何を思ってこの展覧会をやっているか、芸術祭をやっているか、ということを理解する上ではおもしろいとは思うんですけれども、どうですかね、ちょっとわからないところがあります。個人史を出す……。出さない必要はないけれども、そこに寄り過ぎるのはちょっとどうかな、っていうのはありますよね。

大倉: 個人史って言うのは、どこの大学出たとか、そういう個人史もあると思うけど、私が大事だって思うのはそういう個人史ではありません。確かに北川さんの個人史っていうのはいろいろ明らかになっていて、北川さんも書いている。私はそんなに読んでないけれども、そういうこともあるけれども、そうではなくて、そのディレクターの存在みたいなもの、短い言葉でもいいし、存在してるということ自体をまず意識したい。あたりまえのようなことではありますが。というのも、例えばこの芸術祭を見る一般の人は、ディレクターという存在を全く意識してないと思うんですよね。場合によっては、作家のことさえも、もしかしたら意識してないかもしれない。「あ、これおもしろいね」って言って見て、そこで終わり。それはそれでいいと思うんですけれども、こういう場でね、ひとつのアートプロジェクトとして、その問題を批評的に話し合うような時には、やっぱりそういうことは大事じゃないかと思う。私がホームページにアップしたいっていうのも、ほとんどの人は読まないけれども、そういう観点でこの「水と土の芸術祭」に興味を持った人がいた時に、やはりそこをもっと明らかにしておいた方が、あるいは10年後にこの芸術祭を考える時に、明らかにしておいた方がいいんじゃないかなっていう、そういう考えです。 ディレクターのことを細かく、大きくクローズアップして、この方はこんなことをこんなふうにやってきて、というようなことは、実は私も個人的にはそこまで関心はないし、実は北川さんの個人史もそんなに読んではいないんですけれども。手元に本はあるけれども、そんなに読んではいないんだけれども、彼がやったことを私は見てきた。その体験を通じて、彼という人間にだんだん自分も興味を持ちだしたということですね。 ですから、北川さんがこれまでの個人史の中から発想して「大地の芸術祭」を始めたっていうこともあるけれども、一方でその北川さん本人も「大地の芸術祭」によって変わった、というふうに私は見ていて、たぶん「水と土の芸術祭」の第1回のディレクションを見た時に私が一番感じたのはその「北川さん変わったぞ」ということでした。「大地の芸術祭」を見てきて。「水と土の芸術祭」の第1回のディレクションは、ものすごい偏りのあるものでした。 つまり「水との戦い」っていうことをものすごく強調し、排水機場とかそういうところに、かなり強引に作家さんに制作してもらったという。「大地の芸術祭」の1回目にはまずなかったようなディレクション。それが実は私にとってはすごくインパクトがあって、本当は関わらないでいようと思ってたんですけれども、1回目のそれゆえに、2回目の今回に関わっているっていうこともあるわけです。 私にとって、北川さんはすごく今でも遠い存在で、「大地の芸術祭」の話を最初に聞いた時にすごく反発もあったし、今も尚あるんですけれども、彼がやってきたことを見て、何かを感じて、その結果今ここに自分が関わっている部分があるなぁということは思います。そういう意味で、今竹久さんや堀川さんたちがやっていることを、どこかでやっぱり感じて、例えば10年後、第3回の「水と土の芸術祭」が仮にないとしても、10年後、 20年後、もしかしたらこの新潟で、何かをやりたいという人が出てくる、っていうことに繋がるんじゃないかな、と私は思っている。

杉田: まぁ、個人史っていうとね、本当の個人史になっちゃうと、僕は全くいらないと思うんですが、例えばその人の存在している感じっていうのを上手に伝えることっていうのはすごく必要な感じがしていて、それは今やっている「ドクメンタ」でも、キャロライン・バカルギエフっていう人は、カタログみたいなノートを100冊作るんだけれども、そのなかに自分のノートを1冊作っていて、架空の友人への手紙を書いてるいわけですよね。そうするとその人の歴史はわかんないけど、この人こういう人なんだとか、こういったテーマをこうやって裏から見たり、友達と食事するの大切ですよねっていう、あぁそういう人なんだっていう何かいろいろなそういうフックがあって、そのフックによって、人によってどのフックに引っかかるかは違うんだろうけれども、そのディレクターの姿にリアリティを持てるっていうことは、僕はとても意味があるのかなというふうに思って、それは必ずしもいわゆる「個人史」ではないかもしれないのかな、っていうふうには思いますね。

竹久侑竹久: 今の「ドクメンタ」のディレクターの架空の友人への手紙の話を聞いていて思ったんですけど、私はそれは読んでないんですけど、まだ。テーマ展、テーマが何かある企画展を企画する時に、企画書っていうのがキュレーターにとってはすごく重要で。企画書によって作家に「これは乗ってもいいかも」って思わせなきゃ駄目だし、自分が何を考えているかっていうことが伝わらなきゃ駄目なんですけれども、実はあんまり展覧会の企画主旨の文章って、カタログが出るまで明らかじゃなかったりするんですよね。そこがもしかすると、本当に何を考えてディレクターないしキュレーターがこの芸術祭もしくは展覧会に取り組んでいるかっていうことがわかるような状況が、一般の人たちに対しては少ないのかなと思います。対作家とか対プレスには示すんですけど、一般の方々が目にする展覧会の最初の挨拶文やチラシの裏にはそこまで突き詰めたことをあえて書いてない。そこではあえて違う言い方をするっていうことを逆に選んだりもしています。 カタログの読者はちゃんと読もうとする意志のある読者なので、そういう人々にはちゃんと自分の思いを伝えなきゃ、というふうに自分の中でちょっと選別しているところがあったります。だから、もう少し、企画している人が何を思って(芸術祭や展覧会を)作っているのかっていうことが前面にわかりやすいように出た方が良いのかもしれないなって思いました。

杉田: この部分もまた、ディレクターが作っていける部分のような気がするんですよね。例えば2002年の時の「ドクメンタ」ですけれども、そこでは展覧会は最終段階で、そこに至るまでにいくつかミーティング、討議をしていくわけですよね。このディスカッションの場をオープンにしていくってことをやって、その成果が展覧会だっていう位置付けをしていくっていうことで、どうしてもこういった芸術祭とかになると、この芸術祭の期間だけが本当の舞台であって、その後は全部縁の下だっていう意識になってしまうんだけれども、実はその制作プロセス自体をもうちょっと開いていくことっていうのは、ひょっとするとディレクターとかがもうやっているかもしれないし、まだまだ開発の余地があるんじゃないかなって思うんですよね。手紙の例っていうのも、出来合いの今のシステムの中で何を作るか、っていうことなんですけれども。例えば本当であれば3年間とか、2年間っていう期間があって、その期間をどういうふうに使っていくのか、展示のためのある種の予備期間ではなくて、もうすでに2年間っていうのはもう、これが終わった時点で始まっている、っていうふうに捉えていくことで何か工夫もできるかもしれないですよね、っていうのはどうなんでしょう。

竹久: そうですけど、だから今後の課題として、昨日もちらっと言いましたけど、別に「水と土の芸術祭」に関わらずですが、やっぱり「どういう芸術祭にするべきか」っていうところからプロデューサーとディレクターが話し合える余裕のあるスケジューリングと、そういったことを考えることがディレクターの役目だっていう(主催者としての)行政側の理解がやっぱりどうしても必要だと思います。それがないと結局、行政側に言われたことを半ば理解しながらも「でもここはこうじゃない」っていう違和感や異論が続くと、どこかでうまくコミュニケーションがとれなくなったりする。まぁディレクターとは何なのかっていうことだと思うんですけれどね。 だからそこをもう少し、ちゃんとディレクターなんであれば、ディレクターの役割を発揮できるような体制でないと芸術祭に対しての責任を取りづらい。最初1年前に頼まれた時に「ディレクターじゃなくてキュレーターじゃないんですか」って言ったんですよ。キュレーターの方があっていると思うんですけど、って最初言ったんですけれども、いやディレクターでって言われて、半ばすっきりしないながら引き受けたのですが、そこは突き詰めておくべきだったという反省が今あります。

杉田: じゃあ、丹治さんもディレクターで就任期間がちょっと長いので。

丹治: 数ヶ月長いですけれども、いくつかちょっと、前の段階で個人史的な、あるいはディレクターを紹介するようなものがあった方がいいかっていう件に関して、私自身きっかけになればいいかなって。芸術祭を形作る動機付けであったり、あるいはそのフレームがわかるようなものであれば、僕はすごくいいなと思います。ただ、個人の歴史であったりそれにまつわる物語があんまり深すぎると、ちょっと方向性が限定されすぎちゃうようなイメージがついちゃうのでそこまではどうなのかな、っていうふうな感じを受けました。また、それはもしかしたら批評言語に繋がっていくようなイメージさえあるような。やっぱり作品として見た時の、ちょっと話はずれて申し訳ないんですが、最初に何がなんでも見たいという欲求がありました。先月アドバイザーの加藤さんが来た時にちょっとお話していて、日本におけるディレクターであったりとかプロデューサーをリスペクトする体制がやはり弱いよね、っていう話はされてました。それは全くその通りで、何も自分がこういう立場にいて上から何かを指示したりとか、あるいはそれに則って何かを動かしたりというよりはむしろ、それが発揮できるようなステージがやっぱり脆弱なのかなと。今行政の話にも出たんですが、それにまつわるいろんな体制がなかなかそれに追いついていないような気がしてならないというか。もう少しそのへんが風通し良くなれば、もう少しおもしろく展開できるのにな、というストレスはあります。

ディレクターの造形責任

藤井: 作家はその造形物に対して造形責任を取る、作品に対しての説明責任があるがどうかはわからないが、造形責任は取ります。キュレーター/ディレクターも造形責任があると思う。 で、キュレーター/ディレクターの造形とは何かっていう問いの中で、今、竹久さんの話を聞くと、ではその展覧会の説明がちゃんとできればそれでいいのか、説明をするってことに話がいき過ぎていて、つまりコンセプトを明らかにするとか、言語化していく作業は必要であるけれども、むしろその芸術祭のディレクターの造形とは何か、言葉を言い換えればキュレーターのエクリチュールとは何かと問われた時に、なかなか1人の参加者としてそこは見えてこないんですね。それを端的に表しているのは「この芸術祭は誰々の作品が良かったね」っていう言われ方はよくされると思うんですけれども、個々の作品に対する評価はあって「良い作品が結構あるね、じゃあ良い芸術祭だ」みたいな話になってる。果たしてそれで良いのかなっていうか、ディレクターの方はそれで「いい作品があるね、よかったですね」みたいな話を聞いて、自分たちの造形に対してそれが評価になるのか。そのへんをちょっとディレクターの方に、いやこの芸術祭だけでなく、皆さんに伺ってみたいんです。どなたでも。

芹沢: たぶんディレクターの役割っていうのは、監督、映画監督とか、コンダクターとか、そういったような意味合いを持つと思うので、個々のアーティストにリスペクトを払った上で、どういう会場が構成されて、どこにこのアーティストの作品が置かれてっていう必然性を語るのはやっぱりディレクターの方の責任だと思っているのね、僕の場合。それで、個人史、個人的なこととか、ディレクターがどこまでやれるのかっていうところは、結構非常に微妙な問題だと思うんですよ。だけど、今ね、いき過ぎたわけじゃなくて、実験しているのは、僕自体の発案でも最初はなくて、(「別府混浴温泉世界」のプロデューサーの)山出さんがコンセプトブックを書け、って言ったんですね。それはカタログを出版するお金がないから、先にコンセプトブックの方を書いちゃおう、っていうふうな話になって。だけど、展覧会のコンセプトブックっていうのは書いてもしょうがない、しょうがないっていうか、論文書いてもしょうがないよな、みたいな話をしているときに、結局別府のことを書こうっていう話になって、今大体書き終えたけど、書いているうちにどんどんどんどんフィクションなのかノンフィクションなのかよくわからなくなってきて、何人から本当に後ろから刺されるんじゃないかと思うけど、登場人物ももちろん許可は取っているけど、勝手なこと言わせてやっていく。だけど自分が別府っていうところに行って得た何か、驚きとか何とかっていうのを割とダイレクトに、ダイレクトにっていうかかなりフィクションを入れて書いていくような何か、本を作っているんですよ。紀行文学みたいなもんですかね。で、それが一体何の意味があるのかって言われた時に、今こう話を聞いていて、ただ、僕の語り口がこうなんだとか、それを出すのもいいとは思うんだけど、なんかそれ以上の、ディレクターという、あいつがディレクターをやっているんだっていうものをもう少し出すときね。 新聞で、今度の総合ディレクターが芹沢ですっていう話とはちょっと違う、せっかくアートプロジェクトをこういうふうにやっていくわけだから、やっぱりそういうところに何かアーティスティックな試みっていうのは入ってもいいんじゃないかなって。まぁ失敗するかもしれないし、今やってみてるっていうのがひとつあるかな。あと、やっぱり人となり。 存在感っておっしゃったけど、やっぱり僕も経歴とかってこととは全く関係ないけど、話を聞きながら思い出して、例えば(キュレーターのハラルド・)ゼーマンとか、アーティストと一緒になってワインを飲みながらゼーマンもだんだん崩れていく、だんだん酔っ払っていくのが見えて、駄目になっていくっていう、そういうのを共有していく時代のディレクターとかキュレーターもいたけど、やっぱり今すごく忙しいから。 現代の花形キュレーターなら携帯電話を三つくらい持って話していく。凄腕のビジネスマンっていうか、ものすごく時間の使い方が違う。だから僕より世代が上の人たちはそうやって夜中まで飲みながら一緒に崩れていくけど、アーティストと時間を一緒に共有していこう、みたいな。でも今はそんなことやっていると、やっぱり掛け持ちでいくつものプロジェクトをスマートにまわしていこうとすると、やっぱりそういった時間の使い方はできない。だから、何を考えてるかっていうより、なんとなく、その人となりみたいなものは、なんとなく見られるといいなと思って。

で、ちょっと今回のみずつちのディレクターに訊きたかったのは、アーティストトークっていうのはきっといろんな側面でお作りになってると思うんだけど、ディレクターのトークっていうのは頻繁に行われたりする? あ、してない。そこで横に顔を振っているからわかりました。何かした方が良いんじゃないですか。したら良いと思う。僕はもう、別府の場合には歩いて、ディレクターツアーっていうのを、別府は人使いは荒いよな。とにかくディレクター、キュレーターに対しての人使いは荒いから、週末とか、10人でも連れて話せとか。そういうのは僕も必要だと思うからなるべくそういう形での、接触してしゃべっていくっていうことはやってるんです。ディレクターがオーディエンスの前に出ていくっていうのは、もうちょっとやっても良いんじゃないかなと思った。

大倉: 「水と土の芸術祭」を脇から見ていた立場からすると、すごくいろんな問題をこの芸術祭は持っています。ディレクターに対するリスペクトっていう話がありましたけれども、さっき白川さんの話で、伊藤順二さんを前橋に呼んで、という話がありましたけれども、行政側が、本当にその人を批評的に受けとめつつ、主体的にリスペクトしているのかどうか、っていうことをすごく考えさせられます。 確かに呼んできて、何か決めてもらうけれども、そのディレクションのプロセス、仕事の実質に対する理解とリスペクトを行政の人間がどれだけ持っているのか。 図らずも、一言もディレクターからの言葉が発せられる場が構想されていないっていうことがすごく現実を物語っているわけですけれども、ディレクターの存在が、こういうふうな、いろんなアートプロジェクトの中で、どのように日本で位置付けられているのか、っていうことが、実は一番大きな問題の一つじゃないかな、って思います。

 

私が、アドバイザーの私がですね、自分が録音を書き起こすのでぜひやらせてほしいと申し出て、ホームページにプロデューサーと参与の2人の対談をアップしてもらったのですけれども、私が言わなかったらなされないんですね。  で、私がディレクターの皆さんの言葉も表に出そうと思いつつ、忙しさでできていないんですけれども、そういうことに関しては、事務局側からは、行政からは一言の提案も発想もないというのがこの「水と土の芸術祭2012」の現状です。それはいろんな形でディレクターと事務局との関係性にも影響していて、それはあの、あまりこういうことを話す場ではないかと思いつつ、実はこれが一番大きな問題じゃないかと思うから言っているんですけれども、おそらくそれは新潟だけではなくて、日本のあらゆるところで起こっていることじゃないかなと思うんです。だから私、杉田さんがさっきから「ドクメンタ」、「ドクメンタ」っておっしゃるんですけれども、そんな話はここではして欲しくないっていうか、もうちょっと日本の現実の話をしてもらいたいなっていうふうに思います。ここに聞いている人たちにとっても、私にとっても遠いドイツの話を持ちだされ、ふりまわされても、どうもリアリティがない。もう少し、それぞれの日本の現場で起こっていることの話をして欲しいなと、さっきから聞いていて思いました。

杉田: それでも相変わらず「ドクメンタ」の話をするわけですが、というのはやはり、例えば好例があるとすれば、そういうものに学ぶべきなんですよね。僕にとっては例えば新潟っていうのはリアリティがなかったりするので、共通のプラットフォームをどうやって考えていくのかっていう時に、いろんな事例を出し合うべきだと考えているんですよ。それがたまたまドイツだっただけで、別にドイツじゃなくても、隣の町でも構わないわけですよ。ひとつ僕が今おもしろかったのは、ディレクターの方々が、ディレクターの方の意見をどっかにホームページに載せるとか、そういう形ではなくて、ディレクターの方が相互に横のつながりとかを持つっていうことは、これこそまさにクリエイションできるべきものだと思うし、例えばアーティストなんかはよくそれをやったりしていると思うんですよね。例えば出展作家同士で何か話し合ったりとか、小さなミーティングがあったりとか。ディレクターっていう立場は結構上なので、そういった人たちがそこで何か話し合ってそれをオープンにする、なんていうことは難しいかもしれないんですが、それも可能だったはずだと思うんですね。実はそういったものに関しては意識的に、欧米が嫌であれば別のアートのプロジェクトっていう言い方をしても良いと思うんですが、そういったところでは結構やられていると思うんですよ。そういったものの良いところを見たりして取り入れていくっていうことは、いくらでもできると思うんですね。ただし、その時に本当に想像力で、けれども、例えばディレクターの方の意見を訊いてカタログに載せましょうとかいうのは一体どこで学んできたのか、ってことですよね。それは実はすでにあって、過去、歴史上何回も繰り返されてきていて、それを無批判にそのままの形で受け継いでいるっていうものは残っているんですよ。 で、それはベースとしてはあるかもしれないけれども、この先それをさらに良くしていこうと思った時に、それ自体を問い直したり、新たな実験としてトークをしてみたりとか、横のつながりを意図的に作りましょうとか、プロセスを開示しましょうとか、まだまだやるべきことっていうのはたくさんあるような気がするんですよね。そこからはたぶん大倉さんも、僕が言ってもオッケーだと思うんですが、他の良い案、そういうものを学ぶっていうか、取り入れて実験的にやってみるとか、アイデアとしてそういったものをやってみるっていうことは、いくつも事例があると思うんですね。それで、そういったものに関しては、ディレクターの方々は、作っていくのは展覧会だけではなくて、システム自体も作ろうと思えば、システム自体をドラスティックに作りかえるなんていうことは恐らくできないと思うんですが、システムに対するちょっとした仕掛けを作っていくっていうことはできるような気がしていて、このトークもたぶんそういったもののひとつとして位置付けられるとは思うんですが、そういった部分でのもう少しアイデアっていうのは、ここから先みずつちにシフトして、できなかったんですか、って問いかけるとちょっとおかしくなってしまうので、それはやめたいんですけれども、そういったことはできるような気がするんです。それはおそらく大きなプロジェクトじゃなくて小さなプロジェクトでも一緒ですよね。羽原さんお願いします。

ディレクターの仕事――システムをいじる

羽原: 今聞いていて、藤井さんがさっき問題提起をされた、ディレクターとかキュレーターとかの造形責任っていうのと、システムを責任をもって触っていく、既存のものではなくて。思っていたのは、私はプロジェクトマネージャーではあるんですが、ディレクターという肩書きでもキュレーターという肩書きでもないんですが、実際にはそのプロジェクトの、総体の造形責任を自分が負っていると思って関わっていて、それはシステムそのものを既存のパターンではなくどうするか、っていうのを実験している、それがたぶん自分の中では、アートプロジェクトがアートプロジェクトたり得るものだろうと思っているんですね。で、そうであれば、芸術祭のように、作品だけの善し悪しで総体が評価されるという形ではなく、全てのアーティストの作品を内包した形だけれども、作品の影響がそのプロジェクトの中でどう動いているか、っていうのが評価の対象になり得るという点で、システムを触る責任と、誰であろうが、もちろんアーティストでなくとも、基本的なこととして自分のクリエイティヴィティを問われ続けているんだろうなということを現場では感じています。で、それを語っていくべき、というのは、今お話を聞いてすごく痛感していて、さっそくじゃないんですが、なので、その自分たちのプロジェクトがどう決定されて生み出されていくのか、っていうシステム自体を時折オープンにする、っていう場を作るっていうのが、ちょっと見えやすくおもしろくなるのかな、というふうにも思いました。取手では本当に誰がどのように決めているのか、っていうのが明確でないんですね。すごくフラットな状態で、アーティストが言うこともあれば、ずっと最初からやっている60代のおばさんが言うこともあれば、私たちのような30代だったりとか、20代の学生が言うことも。結構時間をかけてすごく変わっているものを実現しようとしていて、その生々しさを出す責任っていうのもあるんだろうな、っていうふうに思いました。

 

吉本: 昨日の話で出たアウトプット、アウトカム、インパクト。これは実はロジックモデルって言い方をされていて、そのアウトプット、アウトカム、インパクトっていうのは評価がどう、成果がどうっていうことなんですけれども、その前に2つ段階があるんですね。 インプットっていうのがあって、その次にプロセスっていうのがあって、それでアウトプット、アウトカム、インパクトっていうのがくるんですよ。インプットっていうのは予算だったりとか美術館の施設だったりとか組織やスタッフだったりとか、そういう使えるリソースですよね。それに対してプロセスっていうのはいわゆる制作業務のようなことだったり広報のようなことだったりすると。そうするとディレクターっていうのは、このプロセスのところの、まさしくディレクションですよね。

 

方針を左右するすごく大きな役割を担っているんじゃないかと、私は勝手に思っているんですね。

そのときに、さっき竹久さんがディレクターじゃなくてキュレーターじゃないんですか?っておっしゃったのは、もし理解が間違ってたら申し訳ないんですけど。キュレーターっていうのは、プロセス全体のディレクションをするんではなくて、作品を選び、そのラインナップを作って、ひとつひとつの作品の造形に責任を持っていく、っていうのがキュレーターで、ディレクターっていうのは、そこのスペース全体について責任を持つ立場なのかなと僕は思って聞いていたんですね。そうだとすると、さっきディレクターへの行政のリスペクトがないっていうことをどなたかおっしゃっていた、確かにそれはそうだと思うんですが、そんなリスペクトがあろうがなかろうが関係ないわけで、なければあるようにするっていうのをどうやるのかって考えるべきで、リスペクトがなければできないっていうのはやっぱり理由にならないと思うんですよ。もちろんいろんな制約があるから、できることできないことっていうのはあると思うんですけれども、つまりそのディレクターというものがもっと前面に出て、ここではその、言葉が、これもそのディレクターの考えがちゃんと出ているところだと思うんですけど。短い文章だけれども、これが非常に重要なことだと思うんですね。それに加えてもっとこう、なんでこの「水と土の芸術祭」がこうなっているのかっていうことで、やっぱりアピールする方法とか。もっともっと前面に出ていいんじゃないかなっていう気がすごくします。 それでこの場自体がまさしくその、1つのチャンスだと思うんですよね。 ディレクターの方がいらしてこうやって話してっていうのは。だからそれが、そのディレクションっていうのが昨日から話している評価っていうのに大きく関わってくるんじゃないかな、っていうことを申し上げておきたいということで発言させてもらいました。

とことんトーク 12人が語るアートプロジェクトのこれから 全2日間総集編! no.9

とことんトーク総集編タイトル小

とことんトーク 2日目-4

冨井: 僕が変わるかもしれないというのは技術の問題で、そこの技術を例えばね、自分から行くか行かないかって話じゃなくて呼ばれたらって話であれば、なぜじゃあそこでクールジャパンみたいに見える僕を呼んだんだっていう話から入ればそこで変わるかもしれないし、クールジャパンだから呼んだと言われたらじゃあそこで嫌と思えばね。問題なのはそこで、「あ、そうですか。じゃあクールにやります」って言うのか、言わないかってことでしょ。そういうことだよね。であれば、……展覧会によるな。ただそれで、誰でもいいって扱われ方でやるんであればそれはNOにして、もしくはもっと突っ込むというか「でも個性があるじゃないですか」とか「じゃあなんで僕を呼んだんですか」って話をもっと突っ込むことによって、まぁその突っ込み方が技術だったりするかもしれないし、それを言うことによって僕が変わると思う。そういう意味では自分で居場所を作りますよ。

杉田: 先ほど僕の話の中でも出てきたのであれなんですけど、吉本さんどうですか。アートプロジェクト自体の評価という形で昨日整理していただいて非常にわかりやすかったと思うんですけれども、さきほど白川さんがおっしゃった、テーマを打ち出していくというのが日本の場合ないんじゃないかと。さらには、もう少し意地悪に言うと「大地の芸術祭」とかみずつちっていうのもある意味触れると非常に危険なある種の自然のものをテーマにしているわけですよね。それは実は柔らかくひょっとすると、誠実性みたいなものを遠ざけようとする仕掛けなのかもしれない。意地悪く考えれば。 違うかもしれないけど。そういうことをやっていったときにアートプロジェクト自体の評価という意味で、整理された3つのなかの1つを失っていくことにはならないのかっていうようなことを少し危惧されているんだと思うんですね。僕も少し共鳴できるところはあるんですけれども。

吉本: 今のご質問に直接のお答えにはならないかもしれないんですけれども、前半の最後の方の話を聞いていて思ったのは、ますますディレクターの役割がすごく重要になるんじゃないかっていうふうに思って。だから休みの後はディレクターの役割を話したらどうかなと思ったんですけど、どうでしょう。

 

今アーティストの話が出たので、やっぱりアーティストに厳しく問いかけていく役割だったり、まず作家を選ぶというところがありますよね。次に選んだ作家に対して課題を投げかけていって、というようなことがあると思うので、それも非常に重要な評価、インパクトにつながるかというところだと思ってそれもぜひ話を聞きたいなぁと思っていたんですけど、いかがでしょうか。

芹沢 高志芹沢: ちょうどこないだ(インディペンデント・キュレーターの)住友(文彦)さんとあるシンポジウムで話していて、僕自体見てないんですけども、彼はドイツに行って「ドクメンタ」を見てきて、帰りに時間があったから「ベルリン・ビエンナーレ」に寄って帰ってくる。その経験を彼自体も少し揺れているっちゃ揺れているのね。「ベルリン・ビエンナーレ」の(キュレーターのアルトゥール・)ジミェフスキがかなり強烈に出したわけね、そのポリティカルな立ち位置。立ち位置がないやつなんていないって完全に宣言して、だから世界中のアーティストから公募する時も最初の条件に「どういうポリティカルな立場に立っているのか」って書くのが条件になるくらい強く打ち出しちゃう。 それで確かメイン会場のところをオキュパイ運動に、ある種計画的に占拠させていく。一方、「ドクメンタ」も見てきて、彼の周りでも欧米の美術館関係者からも市民からも非常に評判がいい。

意外とそこの中で目立ったのが、もちろん巧妙に政治的な問題もやっているけれども、作品として目立ってきたのがガーデニングとかセラピーとか、意外と日本でのコミュニティ・アートって呼ばれているのが結構入ってんじゃん、って。これは別に恨み節でもないけど、横トリ2005とかでやったときなんか、大体それを批評と呼ぶかどうかわかんないけど、大人の学芸会とか、文化祭とかそういう言われ方だし、前から関わっていた「アサヒ・アート・フェスティバル」とかに至っては全然無視、だよね。でもそういうコミュニティがそれをアートと呼ぶか呼ばないかっていうのは置いといていい問題ですが、すごくいやらしくみると「ドクメンタ」の中でもそういったものが入ってきて、今度はそこで批評の方がそれをどう受け取って日本のコミュニティ・アートとか言ってるものに対してどう考え方を変えるのか、あるいは変えないのかっていうのは興味深く見たいなと思ったのがひとつと、でも本質的にはもう1個の対極で、「ベルリン・ビエンナーレ」でそこまで明快に打ち出してくそれは、今だけじゃなくて日本ではなかなか成立しないやり方だったと思うんで、そうすると後半ディレクターの話をされると怖いんですけど、そういう姿勢をとるべきなのかとらないべきなのか、議論はしたいね。

杉田: ジミェフスキの話をされたのであれですけど、かなり極端な例ですよね。おそらくジミェフスキは前回の「ドクメンタ」の作家として出てそこでも同じような、もうちょっと小さいサイズのものを自分の作品としてされていて、おそらく今度はそれを「ベルリン・ビエンナーレ」でそのままやられたってことですよね。で、実は昨日の予定では今日の後半は社会との問題みたいなものを扱おうと思っていたんですが、その社会との問題っていうのはアーティストだけではなくてもちろんディレクターがそこにどうやってアプローチしていくかって問題でもあると思うので、社会とディレクターっていうもの両方見つめながら、後半話していけたらいいと思うんですけど、いかがでしょう、皆さん。で、その後半の口火を切るときに白川さんにプレゼンをやっていただきたい。大丈夫でしょうか。よろしくおねがいいたします。ちょうど今2時間経過したところですので、今から15分くらいお休みをいただいて、4時15分からパート2を始めたいと思います。

~休憩~

杉田: はい、では後半を始めたいと思います。多分後半は6時くらいからかなり賑やかになるはずですよね。花火が6時からでしたっけ。7時ですか。じゃあ7時まで大丈夫ですね。 じゃあ7時きっかりに終わりましょうか。本当に最後のセクションなんですが、始めるにあたってですね、白川さんの方で最初に少しプレゼンテーションをしていただこうというふうに思います。白川さん、よろしくお願いいたします。

白川昌生プレゼンテーション――活動紹介

白川 昌生白川: まぁ、プレゼンをしろという話です。 私は今群馬県の前橋の方に住んでいます。83年にドイツから戻ってきて、仕事の関係で群馬に住むようになりました。北九州出身なんですけれども、群馬の中でいろいろ活動していく中で、日本とドイツ、ヨーロッパとの違いとかいろいろなものを感じてですね、藤井くんが昨日の話の中でふらっと言っていたんですけれども、僕もなんだか日本に戻ってくる時は、美術をやるつもりはもう捨てた、みたいな気持ちで帰ってきたんですよね。おそらく日本に帰ったらもうやれないだろう、活動もできないだろうし、画廊もないし。実際戻ってきたら僕は日本で美術大学を出ているわけじゃないので、知り合いも全然いなくて、まるっきりゼロから始めるしかないという状態で、アート活動を始めたので、たまたまヨーロッパの時に知り合った人が東京のモーリス画廊を紹介してくれて、それが唯一の救いで、もうずっとモーリス画廊が潰れるまでやったような感じですけれども。その間は割と彫刻的な作品を出してきました。昨日少し話したように、私は90年代の初めくらいから「場所・群馬」という活動を群馬で始めてですね。それは自分の経験から日本で制作活動をしていた時に、やっぱり自分が生活している場所の様々なリアルな出来事とか、それから歴史とか、いろいろな問題、僕自身はあまり政治的なものを直接作品に取り込んだりということはなかなかしないので、そういうことはできないんですけれども、考えたりしながら作品を作っていって、そういうものを自分の表現の中に取り入れていくことはできないのかなということを考えて、「場所・群馬」というものを始めました。始めた時に私は専門学校に勤めていて、「場所・群馬」の活動を今からやりますよ、という集まりみたいなものを地域の作家等に呼び掛けてやったんです。非難轟々でしたね。右翼とか言われたし、なんでお前こういうふうになるんだって、前に彫刻作っていたもんですから、その落差みたいなものがあって。 やっぱり帰国してきてから90年に入って、そのように作品が変わったということで、東京の方で知り合っていた親しい仲間とか、そういう人たちも、僕が例えば「日本人ですか」っていうシリーズの作品を作り始めてからは暗に遠ざかって、友人関係がなくなりましたね。でも地域で作品を作っていく中で、もうしょうがないというか、そういうことも良いだろうということで、こういう作品を作りながら彫刻みたいなものも両方作っていきました。

これは作品の一部なんですけれども、これは「フィールドキャラバン」という2007年に群馬で行った作品です。これは2005年に、昨日話に出たフォーラムが前橋で行われて、前橋の本当に寂れた商店街の中に友人がアートカフェを開いて、その関係でそのアートカフェの方に集まって来た人たち、年齢が若い人が多いんですけれども、そういう人たちと一緒になって行った作品ですね。この作品の経過というのは、前年の2006年の時に秋に県立近代美術館の人から電話が掛かってきて、来年美術館でというか、近代美術館はその時アスベスト問題で閉まっていたんですね、群馬の県庁の使っていない建物の空間を間借りしていて、そこを2年間展示会場に使っていて、その最後の時期にちょうど当たったんですね。 「その場所を使って何かやらないですか」というふうに電話があって、期間を訊いたら7月、夏ということだったので「どうしますか」と言われて「じゃあ僕はスノーボードをやりたいと思います」って言ったら「えっ!」みたいな感じで「スノーボードできるんですか?」とかいろいろ訊かれたんですけれども、全体的な流れとしては商店街に集まって来ている若い人との付き合いの中で、いろいろと僕自身考えたりすることがあって、群馬の冬というのは、スキーとかボードとか、それからスケートとかの冬のスポーツがすごく盛んな場所でもあるんですね。そういうことをテーマにして、若い人たちなんかはどういうふうな感じでスノーボードをやったりしてるんだろうっていう、まあ一種のインタビューをしながら作り上げていくという作品を作りました。始めはインタビューするだけだったんですけれど、途中から周りで手伝ってくれていた若い人たちから「白川さん、インタビューだけじゃなくてスノーボードも一緒にやろうよ」とか言われて、結局全部上下買って、彼らと一緒にスノーボードをやるようになって、少し滑れるようになりました。 このプロジェクトって言うよりも、この流れですけれども、これは群馬の人たちにとっての冬のスポーツというものをもう一度見直すというか、あるいは冬のスポーツと言うよりも若い人たちの生き方とか考え方とかそういうものを僕自身も知りたいなぁというそういうことがあって始まったものなんですね。スキー場に行ってですね、スキー場のオーナーにも話をしたら、スキー場のオーナーも理解してくれて、冬の間、シーズンの間ですけれども、週末僕らが行って滑るのは無料で券を出してくれたんですね。 だから行くまでは車でみんなで行くんですけれども、滑るのは無料っていうシーズン中の券を出してくれて、それからさらに上に山小屋があるんですけれど、そこを使ってあるちょっとしたコスプレの影絵を雪山の上に作ろう、というアイデアが出たりしたんですよ。それもまたスキー場の方が「やっていいよ」ということで、それも時間を決めて無料でやれたので撮影もできたりして、本当にいろいろな地域の人たちの助けを借りて、これは作られたんですね。 そこにある「フィールドキャラバンプロジェクト」というロゴもですね、これは高崎の方に住んでいる、今回ここの「沼垂ラジオ」のロゴも作ったデザイナー社なんですが、そこの会社の方で、やっぱりこれも無償で参加してくれて。結局このプロジェクトでは多くの人が参加してくれました。お金もそんなに、県の方は200万でしたが、それを使って本も作って、本は出版社の方で「出しましょう」みたいな、足りない分は出しましょうという形で、だからいろいろな人がこの投げかけに参加してくれることでできあがったものなんですね。だから、本の最後には参加していただいた方全員の名前を入れて作っています。

 

まあ、そういうものですね。地域性がどうとか、ひょっとしたら僕はあまり考えていなかったと思うんですよ。ただ、若い人と一緒にいろんなことやってみるのは非常に楽しいっていうか、自分自身についてもいろいろな考えることがあったし、それからスノーボードをやっている人の価値観とか、やっぱり世界選手権に出ている、スノーボード大会に出ている人たちもここのスキー場に来て「僕らのスキー場です」と合宿をしていたりしていて、そういう人たちのインタビューをしたりして、非常にいろいろと、私自身は得るものがありました。こういうのはアートプロジェクトって呼ばれないかも。僕の勉強のためにやったような、作品ですね。

 

はい。次、お願いします。これは渋川という町で行った「プラットホーム計画」というもので、これは町の中の記憶、参加していただいた人にその人の一番記憶の中に留まっている場所、そこの場所に行って、いろいろな話を聞いてビデオにして、展覧会の場所では展示をしたりした作品になります。これも非常におもしろかったのは、初めは自分の記憶を語ることはなんか恥ずかしい、と言っていた人たちが、実際にマイクを向けてカメラを向けて記録が始まると、大体みんな少なくとも30分くらいはノンストップで、自分の過去の思い出をずっと話し始めるんですね。 だんだん話し始めると昔のことがもっと鮮明になってきて、細かくいろいろなことが思い出されてきて、場所についても、ここがこうだった、そこがああだったということをより細かく話をしてくれます。 まぁそういう聞き取りを行ってそれを作品にした、というものです。

次、お願いします。ちょっとこれは見にくいですけど、これは私が関わっている前橋の弁天通り商店街です。この写真に写っている人以外を見るとほとんど無人の状態。本当に今どこにでもあるような無人の商店街なんですけれども、その商店街の中にいる商店街の人たちにですね、出てきてもらって。カフェをやっている人とか、それから洋服を作ってる人とか、美容師をやっている人たち、みんな関わってもらって、こういう集合写真のような仮装衣装、まぁありえない仮装の写真ですね、それを作って、これは県立美術館に展示したことがあります。こういうように、私の場合は地域といってもきちんと歴史的にこうこうこうだからこうというようなことではなくて、むしろ自分が生活している中で知り合った人たちを通じて考えられる地域、あるいは想像の世界の地域だと思うんですけれども、それをビジュアル化する。そのために人に話をして、協力してもらう人たちと一緒にやっていく、という作業をしてきました。ま、このぐらいで、いいんじゃないですか。

杉田: 白川さんありがとうございました。もう少し白川さんの地域との関わり方とかをちょっと、もう1回なんというか、復習ではないんですけれども、飲み込みながらだんだん移っていけたらというふうに思うんですが、たぶん白川さんの作品をご存知の方は多くいらっしゃると思うんですが、今のプレゼンテーションを聴いての感想でも良いですので、ぜひ発言していただけると思うんです。じゃあ、弟子の藤井さん。

藤井: では、弟子としてですね、付け加えておきますが、商店街という話があったと思いますが、前橋の商店街ではですね、日本デザイン会議から始まり、いわゆる文化芸術によって地域を活性化するという試みが多々行われ、その残骸を僕は映像に撮り、白川さんにインタビューしています。 つまり、白川さんが今お話になったプロジェクトは、そういった地域系のアートが行われた結果を、その残骸をとにかく見てきた上での行為である、というところをもう少しお話していただければなと。

前橋――町おこしの「残骸」の痕に

白川: 今、藤井くんの方から話がありました。まぁ残骸というか、本当にこれは前橋の場合、他の土地、町でも同じかもしれないんですけれども、前橋の場合は1995年くらいに日本デザイン会議があって、2001年に全国国民芸術祭があって、2005年に全国アートNPOフォーラムという3つが全部あった場所なんですよね。やっぱり1995年ぐらいの全国デザイン会議の時に有名な方々が来て、それで前橋にはそういった準備ができて、美術評論家の伊東順二さんが入って、前橋である種のアートによる町おこしみたいなことをずっと仕掛けて、毎年市のお金を使って、200万くらいのコンペとか、いろいろなことをどんどん毎年毎年やっていくんだけれども、まぁ僕自身も最初の1995年の時に、たまたま前橋市からではなくて、小池一子さんがその中にメンバーとして入っていたんですね、それで小池さんから電話があって「白川さんちょっと来てくれない」って。「えー」とか言って、初めてそういうことが前橋で行われているっていうのを知ったんですよ。こういう「デザイン会議」っていうのがあって、町をどうしようとかっていうふうにやっていて、それが実際に動き始めている。でもその動き始めた中には、正直、地元の作家は1人もいないんですよね。その後2001年の時の全国国民芸術祭の時には、前橋の町の中で消防署を使って大きな展覧会も行われたんですね。  その時も地元の作家に対して誰かいないか、と僕に連絡があって、僕に連絡があったときは「消防署の跡を将来アートセンターにしたい」と。  だからその話を聞いていると、その人のイメージする中では、おそらく神戸のCAPかな? 何かああいうイメージで、作家が住んで、みたいな。そのためにまずここをイノベーションしましょう、みたいな。それで、地元の作家、僕みんな声掛けて、みんなでそういう場所を掃除してきれいにして、展覧会場として使えるようにしてやったんだけれども、いろいろトラブルがその後起こるわけですよね。僕ら地元の作家にあてがわれたスペースは、掃除した割には狭くって、少しの場所しか与えられなかった。やっぱり東京とか中央から来た、呼ばれたキュレーターがいてその人が仕切っちゃって、なんか話が違うなって。それで上の2階なんかはエイブルアートが行われて、地元のエイブルアートの関係者が呼ばれて子どもたちが来てやってるんだけれども、突然やっている人が、作品の質がどうとかいろいろなことを言い始めてトラブルが起こって、展示の仕方が悪いとか。最終的にはその消防署の建物は取り壊しになっちゃったんですよ。それでその話を僕が全然何も聞いてなくて、僕らはそこがアートセンターになるんだと信じていて、それでやったのに最後に取り壊しになって、その連絡もなかったわけですよ、その間に入った人から。それでもう「絶対あいつの言うことなんか信用できないよな」みたいなそういう、まあこう言ったら失礼だけれども、1995年のデザインフォーラムの後からずっとその、まぁ前橋のその、ビッグイベント、文化イベントのときに必ず出てきて、やっぱり人、そういうものの間に入ってやっていくみたいな。結局どうなったかっていうと、前橋のなかは相変わらず写真のようにガラーンとして、そのイベントがあるときには人が来て、いろんな写真を撮る人が来るんですけれど、後は何もない。だから結局はそういうものもあって、2005年の時に僕の友達なんかはアートカフェやって「ここに生活して住まなきゃ駄目だ」ってことで、何人かは家を借りて住み始めたんですよ。

 

それで小さなカフェをやって、展覧会をやったり、そんな活動をしていく。そういうふうなところで活動してやってきて今日まできてるんですけれども、そのアートカフェも1年だけ補助金が下りたんですね。

 

市の補助金が。熱血商店何とか補助何とかっていうのがあって。それがもう1年で終わっちゃって、その後は自分でやんなきゃいけない。だからそのアートカフェの若い子は、昼間はカフェやって、夕方6時くらいからは居酒屋に働きに行って、家賃を払っている。それで、そのアートカフェをまわしていくっていうか。 だからそれがNPOって言われても現状で、それは僕らのやり方が足らなかったのかもしれないし、2005年の時みたいにちゃんともうきっちり、そういうふうには僕らはやれなくて、割となんかだらだらとやれるんじゃないかと思っていたらもう非常に。だからそういうようなですね、商店街を中心にしたいろいろな地域復興みたいなものは、やってもやってもみんな消えていくなかで、やっぱり僕はそうじゃなくて、自分が作家として残したいっていうか、ここで何かやりたいっていうことで、こういう、まぁ他にもありますけど、そういうことをそれなりの形でやってきた、ということです。

杉田: ありがとうございます。まぁ今の問題っていうのはいろいろなものを含んでいて、後半に話しましょうと言ったディレクターの役割ということにも繋がっていくと思うんですよね。ディレクターがやったもの自体が、実は残骸となって、むしろ迷惑をかけるようなものにもなりかねないし、それでそのこと自体を問題にする、っていうこともディレクターにはできるだろうし、あるいは残骸にならないようなものを継続的な何かに育て上げていくっていうことも、ディレクターの手によって可能になる可能性はあるわけですよね。それで、今のはNPOとかアートのイベントとか、いろいろな系図があったと思うんですけれども、どうでしょう、何か今の白川さんの話聞いてご意見とか、どうでしょう。

雨森:私自身も、昨日もちょっとお話しましたけど、大阪市の文化事業として町の中でプロジェクトをやってきているんですが、幸いそのアートによる町づくりとか地域活性化が目的ではなかったということもあり、私がプロジェクトの軸としているのは、アーティストのモチベーションです。さっき藤井さんがおっしゃったような必然性だったりとか、内発的動機っていうことを軸にしながら、その地域で何ができるかっていうことをまず考えています。それで、いろんな全国各地で行われているアートプロジェクトによって、地域活性化がうたわれて開催されるようになってきた時に、やはり私のプロジェクトでも、こういった活動が地域を豊かにしていくとか、地域を再生していくっていうようなことを、企画書で書くようになってきているな、と今振り返って考えていたんですけど。 ただ常々思っていることは実際、地域の再生や活性化につながる「きっかけ」であるということです。

 

ディレクターとして、行政が思っているようなアートによる町おこしだったり地域活性化という枠組みのなかで、「きっかけ」を多様に生み出すためにも、いかにアーティストの内発的動機やクリエイティヴィティを実現させていくかってことを考える必要があると思います。

もうひとつは、私自身が町の中でプロジェクトをやっていくということを始めた理由として、アートが私たちの生活とあまりにも乖離しているということや、アーティストがアーティストとして生きていけないっていう状況に対する疑問があり、また一方で社会全体が経済発展や効率化を重視するあまり、創造力が欠けていっているというか失われつつあるという危機感があります。そういった社会を変えていこうと思った時には、人々の意識が変わっていかないと何も変わらないのではというところから、アートと社会をつなぐという必要性を考えるようになったのです。多様な視点や価値観を提示する、また社会の様々な問題を提示するアートを美術館やギャラリーの中だけに閉じ込めておくのではなくて、それを町に出して、いろんな人が関われる環境を作った方が有効なのではないか、というふうに考えているわけです。なので、結果としてアートが町に出ることでその場所が変わっていくであろうと仮定してやっているわけですけれども、それは30年とか、50年とか、100年とかかかるくらいのことなのかもしれないというぐらいのスタンスで、地道にやっていくしかないなと。

杉田: ブレイクが入ってから、皆さんなんか頭の回転が止まったみたいになっていますね。藤井さんが今ちょっと白川さんのに付け加えた時に、その取材をされている時に、藤井さんの頭の中にあった問題点っていうのはどのような問題点があったんですか?

藤井: 前橋にはそういった残骸がいっぱいあります。シャッターに描かれた絵から、いわゆるパブリック彫刻、パブリックアートもあるし、リレーショナルアートの残骸もある。そういう様々なものが痕跡としてある中で、なんだろう、残骸? やっぱり残骸でいいや、残骸をこうずっと見ていくと、さっきのアートカフェに辿りつくようになっているんですよ。つまり、そこで未だに活動しているのが白川さんであって、前橋のアートの残骸を見なければ白川さんに辿りつけないんですよ。僕は白川さん個人を描こうとドキュメンテーションしているので、その時に、そういった残骸を通して白川さんを見る必然性があって、別に僕の中でアートプロジェクトが地域活性化のどうのこうのっていうよりも、白川さんという作家のことを考えていく上でそういうパッサージュがあったに過ぎないので何か問題提起する意味があったわけではないですね。

とことんトーク

堀川: すみません、「水と土の芸術祭」のディレクターの1人の堀川です。今日は本当に皆さんありがとうございます。今の話を外れないように気をつけないとなぁと思っているんですけれども、私自身14年前に新潟に戻ってきて、やっぱりさっきの白川さんの話のようにではないんですけれども、自分がこれからここでやっていくっていう時に、ものすごくたくさんの疑問と、どうしたら自分がこうやって生きていくことができるのかっていうところに立ち向かった時に、なかなかいろいろなことがありました。それで、やっぱりその価値観というか、人々の価値観があるんですけれど、やっぱり新潟で、いわゆる一様に評価されている価値観みたいなものが先に立っていて、それが元になっていろんなものを感じたり評価したりする、ってことがものすごくあるので、そこらへんをなんとか噛み砕いたり、ちょっと遠くにやったりとかいうことができないんだろうか、と。どう新潟の中に入っていくか、新潟を知るかということを考えて、ここに来てから路上で踊り始めたようなことがあります。今回のフェスティバルのディレクターをやるにあたって、もっと人々が感じ方、受け止め方の幅を広げられるか、もっとそれぞれの関わり方、感じ方があっていいというところにいければということが、一番大きかったことのひとつでもあります。だから私は別に新潟が良いとは思っていなくて、どちらかというと不満がたくさんあってですね、もう少しこうならないのかな、ああならないのかなっていう、自分も生きにくい人間の1人だったので、何か自分も生きやすくなりたいっていうことがあって。それから広く平らな土地がスムースすぎて薄っぺらい感じがして、私はその前に山の中に住んでいたからかもしれませんが、そういう薄っぺらなところがもうちょっと深く掘り下げられないかな、みたいなこととか、まぁいろんなことがあって、といったものを受けて今回やることになったんですけれども。ですからやっぱりその価値観みたいなもの、そういうところで人々にもっと、アーティストが地域振興として利用されるみたいな言い方をした人もいましたが、その時にはすごく抵抗があって。アーティストは、私は自分で自分のやり方でやってほしい、っていうのが今もあります。何か会話しすぎるっていう、人々に対して身近になり過ぎるっていうのも、(人々に)向かい合ってもいいんだけど向かい合った次を見せてほしい、っていうことがやはりすごくあって、それはたぶんアーティストの中でいつも考えていることだろうというふうに思ってきました。 なので、だんだん言っているうちに逸れないようにしたいと思いますが、やはり新潟でやっているこの芸術祭で、人々の意識がもうちょっと砕けていってオープンになっていって、たぶん自分の中にもあるぞ、というようなところを引き出したい気持ちがものすごく強くあった、ということを、言いたいと思いました。

とことんトーク 12人が語るアートプロジェクトのこれから 全2日間総集編! no.8

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とことんトーク 2日目-3

コンテキストを「読まない」

杉田: 強引に今の話にもどしていくと、地域性のアートプロジェクトっていうのは、地域っていうことが、地域に綿々とあるひとつの文化とかそういったものが、アーティストたちの拠り所になってしまうところがあって、むしろ例えば、今は地域の文化とかそういったものに対してそこに寄り添ってそこに対する理解を示そうとするタイプの作品が多いんだけども、超それに対する無理解とか超誤解とか、超全然わかってないっていうような形のものが出てきてないんですよね。そういったものと出会うってことがなくて、地域に対して本当に理解しなきゃいけないっていうような、ちょっと暴言になっちゃいそうであれですけど、理解しなくていいんじゃないかとかね。例えばアーティストからそうやって言ってほしいんですよ。 評論家から言ったらまずいので、アーティストから言ってほしい。

冨井大裕冨井: じゃあ言いますよ。

 

理解しなくてもいいと思いますよ。 僕はなるべく今回理解しないようにしようと思ったのに、だから新潟を捨てましたけど、できなかったんですね。ただ、要は、もうちょっと空気の読めない人がいてもいいと思うんですよ、アーティストは。だからこそ来る意味があるし、えーっそんなことわかってるじゃん、っていうようなことをあえて言ってしまうとか。作品によってね。そういうことに意味があるわけで。

 

例えば、僕が個人で来ていきなりギャーギャー茨城とか栃木とか行ってなんか言ったとしてですよ、そしたらただの悪者になりますよね。 公式に悪者がいてもいいじゃないか、悪いこと言ってもいいじゃないかと。そういうことも大事じゃない?っていう話をするために例えばアートっていう言葉があったり、アートプロジェクトとか芸術祭という言葉があるのであれば僕は賛成だし、そういう立場であればいつでも行きたいと思うんですよね。 で、今回その、あえてローカルとか言って悩みがあったってのは、ここでもそうでありたいと思ってやっていたんですけど、でもやっぱどっかにローカルな部分があんじゃねーかっていうのが僕の中にあった。なるべく新潟にあるもの、ほかの地方にあるものをなるべくレディメイドのように見るというんですかね。 なんだこりゃ?みたいな、思い入れとかもう無視で、楽しんでしまったりするっていう視点がアートには重要なんじゃないかと思っていて、最初はアートプロジェクトもそうだったんじゃないかと思うんですけど、思いたいんですけど、どうなんだろうな、最近、っていうふうに思うんですよね。 それがパターン化とかにもつながっているんだと思うんですけど。

藤井: コンテキストを理解しないでもいいんではないか、ってもう少しその辺をお話ししていただけたら…。

冨井: コンテキストを理解しなくてもいいんじゃないかっていうことじゃなくて、理解した上で空気読まないことをやってもいいんじゃないのっていうこと。理解しないとわかんないってなっちゃうのは危ないってことです。理解する必要があればすればいいし、ただ理解してウェットな作品になってしまうのはどうなのかな。「あーそうだよね」って言うふうに簡単に理解されがちな作品なんかは、コンテキストを読むこともできる限り避けた方がいい。一発見てこれだと思ってバッとやってしまうような、無遠慮というかそういうのがあってもいいんじゃないか。基本その姿勢の上で、コンテキストを読む必要があれば読む。それは、藤井さんであれば読む必要があると。それは藤井さんの個人史じゃないですか。  ただそこで、藤井さんの個人史がコンテキストを読みすぎてウェットなものになってしまったり、なんかベターっとした作品になっちゃったら負けですよね。そこで技術が出てくるって話で、無理解とコンテキストを読まないっていうのを一緒にされるのは僕は困る。

藤井: わかりました。そこんところ。

杉田: 丹治さんはどうですか。

丹治: 私はさっき芹沢さんがおっしゃっていたこととすごくリンクしていて、ちょうど私が今51で、ずっと思いだして学生の頃やっぱり銀座のレンタル画廊から、そのあとにちょっと企画が入ったりとか、その構図がいわゆる美術の新しい扉を絶対開くんだよって。実は私が大学に入った頃は川俣さんが所沢でプロジェクトを始めた頃だったんですね。 そんな光景を見て、これがアートなのかって大学に入ったときに思い至ったんです。

 

銀座等で展覧会をやると、先輩方と先生方からぼこぼこにされて、死んだらいいのにみたいなことまで言われるんですよ。ホワイトキューブであったりとかあるいは美術館でグループ展なんかを皆さんとやる中で育ってきたところがあって、まさしく今芹沢さんが言われたこととリンクしていたし、私も逆に今そういう立場になって学生から「どうやったら一流の作家になれますか」ってストレートにきかれて、それを知っていたら今ここにいないよって、複雑なんですけども。

ホワイトキューブなのか、あるいはアートプロジェクトなのかって、作家の関わり方が二極的になっている気がするんですが、実はそうじゃなく、もしかしたら評論も含めて、関わりの中で熟成されてきた空間がすごく歪んでいるような気もするんです。当時評論家も一緒にワイワイガヤガヤ飲みながら作家と次のアートはどうかなんて話もリアルタイムでしていた記憶もさっきの話を聞いていて思い出したりとかして。じゃあ今こういう状況の中で、評論家あるいは美術館の学芸員を含めてなんですけど、そういう時間というのがなかなか、私今回は作家とか皆さんと関われてすごくダイナミックな時間を過ごせて、本当に辛い時間もあったんですけど、学生に戻ったような、学生の展覧会の前の緊張感が持続してるような、そういう形のおもしろさがあった気がします。

最初のアーティストのクリエイティヴィティって言われたときに、芹沢さんが出してくれたその流れを考えると、なんかその二極よりもむしろさっき少し出てきたところでアートプロジェクトの批評言語ってところで、2005年の川俣さんのあれだってきちっとした批評言語を1回も読んだことないし、あの時間の中ですごいねという言葉は見ていたりするんですけど、もちろんフラムさんもそうだと思うし、そういった中での作家と評論家、あるいは学芸員との交流の場がもっともっと空間の中で派生することの面白さがあってもいいのかなというふうに芹沢さんの話を聞いた時に思い出しました。

杉田: それは今この場がとても素晴らしいということで理解していいんでしょうか。実はとても難しくて、僕は2009年、越後妻有に参加したんですね。参加して古民家を一戸借りてその中で自分が普段やっている映像のアーカイヴを見せるっていうことをやって、それプラス庭にウッドデッキを作って毎週土日なんですけどディスカッションをやるという、そのディスカッションが作品だったんですね。 最後の時にフラムさんと長谷川祐子さんという東京都現代美術館の学芸員を招いて僕と3人で話をしたんですけど、やっぱり主催者ということもあって、かなりネガティブな話をするのが相当難しかったんですね。ただ僕結構ネガティブな話をフラムさんにはしたんですけども、それは今日話したような画一化しているんではないかとか。あるいは、画一化しているパターン化していると感じているのは僕だけではなくて、僕が展示をしていたときに、地域の人たちがよく回って見ているんですけどもその人たちからも聞かされたんですよね。ある意味裸の王様になっているわけですよ、パターン化してはないだろうと主催者側が。主催者側以外は全員知っているみたいな状態になっていて、それはよくないだろうと。それをちゃんと話をしてそれに対して聞く耳を持ってほしかったんですけど、気持ちのいいものではないので、そこではそんなのおかしいみたいなことになってしまったんだけども。 批判的なことを言ったからといって参加していた越後妻有に対してその功績というのを認めていないわけではなくて、それはとても大きなものがあったというふうに思っているんだけども、要はそれを継続的にその先に続けていくためには、その中である種の自己批判と言うと言葉が悪いんですけれども自己批評みたいなものをどうできるのか。あるいはそこに他者の意見とかを招きいれながらどうやってその批評的な構造を自分たちの内部に作っていけるのかっていうところが結構大切だと思うんですよ。 でも、これは最近アーティストさえやり始めていて、アーティストも自分のプロジェクトとかそういったものに対して外部の人を招いて意見を聞くっていうのは小っちゃいレベルではたくさん起こってますよね。東京なんかでもすごくそういうことがあって。できればそれがこういった大きなアートプロジェクトの中でもやっていけるとおもしろいなっていうふうに思って、それで竹久さんから話があったときに是非やりましょうと言ったんですけれども。

誤解があってはいけないのであれなんですが、僕もアートプロジェクトがアーティストのクリエイティヴィティを阻害しているとは思っていないんですけれども、と言った方がおもしろいかなっていうところもあったり、そうとれなくもないような性質が出てくるところもあるので、それをどうしようかとかどう捉えようかなっていうのを、冨井くんが結構今日乱暴な意見をかなりあえて言ってくれていると思うんですけれども、そういったものを少し聞かせてもらっておもしろかったです。もう少し、もしあれば意見を皆さんから聞いて前半のセッションとかをまとめていきたいと思うんですけれども。

大倉: 妻有の芸術祭に批評がないという話がありましたけど。さっきも言いましたように、私は部分的に批評しましたし、北川さんのディレクションと思えるものを1回目から見てきました。 やっぱりすごく変わってきたと思うんです、いろんな面でね。おそらく北川さんの自身の中でもすごく変わってきたものがあったと思いますけども、それってやっぱり批評して、きちんと論じられるとすごくいろんなことが出てくるんじゃないかと思う問題なんですが、それが今ここではっきり論じられてないというところが残念だなと思います。同じ人がディレクションを5回続けているっていうのは考えてみたらすごいことで、団体展でも同じ会員の方とかがずっといるとパターン化するのと似たような現象かなとも思います。

みずつちに関しては、今回北川さんがディレクターではなくなったっていうのが、いろんな事情があったわけなんですけれども、それがひとつの結果を出しているんじゃないかと私は思っているんですね。とくに竹久さんが来てくださったりだとか、作家として前回のことを体験している丹治さんが今回ディレクターとしている。特に新潟の外から来てくださった竹久さんの果たした役割は大きかったと思います。ディレクターの側のある意味での人材不足というか、人間の不足が、今のパターン化の話につながっていると思います。私が仮にですよ、何回かディレクターを、例えば3回やればもう絶対パターン化すると思うんです。そういうことが、やっぱりあるんじゃないかと思うし、アートプロジェクトを主催する側の未成熟と、絶対的な人材の不足が、私はひとつの大きな原因としてあるんじゃないかと今聞いていて思いました。

ディレクションの強度――テーマ性

白川: 最後にひとつ。僕はみずつちの方はまだはっきりわかんないんですが、「大地の芸術祭」のときなどに北川さんがやられていてですね、僕自身わからなかったのが、「大地の芸術祭」で求められているもの、本当に求められているものは何なのかみたいな。例えば日本でもいろんな大きな展覧会ありますよね。すごく昔の話になっちゃうかもしれないですけど欧米なんかで、ヨーロッパでやられている、例えばゼーマンがやったりする展覧会の企画なんかだとコンセプトが割とはっきりしていて、こういうものを目指していますよ、みたいな。 で、選ばれる作家もそういうような作家で、見れば「あぁそうか、こんなふうな展示なんだ」みたいなのがすごく伝わってくるっていうか。それがそのときのアートというかそういうものの考え方とか見方を変えるみたいな。だから日本の場合、展覧会はいろいろあるんですけどね、そういうようなすごいメッセージで、そういうようなすごい作家の選び方があまりなくて、割といい感じの質のいい作品がそろっているんだけどインパクトが少ないというか。時間がたつと下に残っていかない、さっき言ったような、パターン化するような形での方法論、こうやれば作品になるよというのはわかるんだけどそうじゃなくて、「こうやったら世界が変わるんだよ」みたいな、そういう投げかけがあんまりないですよね。  そういうのがなんか、余分で言えばこれから先の日本で行われるこういうプロジェクトに本当は欲しいというか、そういうものがあれば、作家もあれだし見る側としてもわくわくする感じがあるなと思います。

藤井光藤井: 今のお話を聞いていて思い浮かべたひとつの言葉が「必然性」というものです。今ある芸術祭なり展覧会なりをやる必然性とは何なのか。それは各時代、各社会、今のそれぞれの情勢に対しての必然性という形で展覧会が組み立てられてきたという歴史がある。これは先ほど出た個人史とはまた違う、もうひとつ大きな歴史の中で組み立てられていく。一方で、展覧会を組み立てる必然性というよりも、「これはトリエンナーレだから3年後に何かを組み立てなきゃいけない」といった、システム化された中での展覧会の組み立てという別の流れもある。

今回の芸術祭では「転換点」というものが必然的な主題として立てられているけれども、はたしてそれが展覧会のキュレーションとして本当に形になっているのか、という話にもつながります。ここで無茶ぶりで冨井さんに振ろうと思っていますが、展覧会の必然性の話になるとどうしても社会的なコンテキストとの関係が問題になってくる。そうなった時に冨井さんの作品が、今回のような方向性が見えないと言ってもいいような展覧会において可能性があるのか、むしろ必然性が明確な展覧会において冨井さんの作品は可能性を広げるのか、そういった自分が置かれる、作品が置かれる外枠のコンテキストに対して、どういうインタラクティブが冨井さんの中で起こってくるのか、個人的に冨井さんという作家が気になるんですけど。

冨井: それはいささかこの話の主旨とは反するものと思いますが。基本的には参加するでしょうね、ひとつ答えとして明確に。それはさっきのパターン化とかいろんな話になるんですけど、僕ちょっと矛盾するかもしれないんですけれども、呼ばれるときって美術館であろうがここであろうが、僕自身がどういうコンテキストから選ばれたかっていうことが気になるんですよね。作品的に何のコンテキストもないような僕をなぜここに入れるのか。今回僕ここのメイン会場の入り口にテトラポットを置いているんですけど、まぁなぜテトラポットなのかっていうと僕のローカル問題に関わってくるんでそれは抜きにしても、でかい構築物として見せるっていうことと、普段であればもうちょっとこう……こういう作品の話しちゃっていいんですか? 普段のやり方だったら絶対しない、あれは。絶対しない。ただ、作品は中心性を持っちゃってるんですけど、僕普段は中心性を外すようにしてるんですね。ただ今回なんであえて中心性を持たせたかって言ったら、僕は今回たぶんそういう役割。他の作品をご覧になればわかるんですけど、造形物っぽいのがあまりない。それは他のアートプロジェクト系の展覧会でも顕著だと思ってるんですよ。ただ、造形物が何にもないと今回に関してはバランスが取れない。で、バランスが取れないとこの展覧会は成立しない。であれば、ちょっと矛盾するんですけど、あえてその役割を負うポジションが今回の僕に当てはまったんじゃないかと。そういうふうに呼ばれたと僕は解釈しているんですね。もちろんそうじゃない見方もあると思うけど、展覧会全体の成り立ちとしてはそうであったと。内容は違えど、方向性的にはそういう呼ばれ方も含めていろいろあると思うんですよ。もっと違う呼ばれ方もあると思うんですよ。造形じゃないんだ、みたいな。方法論とかで呼ばれるかもしれないし、見方は様々だと思うんですけど、僕自身はいろんな見方をされたいし、いろいろ批判されてもいいと思っているので、ある意味では職人くらいのつもりでいるんですよ。だからどこのコンテキストで呼ばれようがやるし、それによって僕が変わるかもしれない。変わらない前提であればやらないかもしれない。 楽だから。だけど、やっぱりアーティストは変わるわけですよ。  だから、僕は変わることを前提にして何でもやる。 あんまり答えになってないですか?

藤井: 竹久さんはなぜ冨井さんを?

冨井: でもこの話ずれてると思うよ。

竹久侑竹久: そう、だから違う話をしていいですか。さっきキュレーションの話になっていたと思うんですけど、あとこの芸術祭の「転換点」というテーマが一体どこまで貫かれてるのかというような話になってたと思うんですが。私が常日頃キュレーションをする上で考えていることは、あまり大きなテーマをバンて出すことがいいと思ってない、というのがまずあります。  テーマを強く被せすぎてしまうと、本当は複数の見方が可能な作品で、キュレーターが思っている以上のことが考えられて作られている作品が過小に理解される恐れがあるので。これは私がロンドンで勉強したときにキュレーターのディクテイターシップ(独裁)と言われたんですけれど、独裁者としてのキュレーションが強いようなあり方っていうのがもう実は批判されてきていた90年代というのがあって、そうじゃないキュレーターが活躍し始めていたときに私は勉強していて、実際にその批判に私は正当性を覚えたので、自身がキュレーションをしていくときも、テーマを設定した展覧会をするけれども、自分のメッセージを言うために作家を選ぶっていう選び方をしないようにしているんですね。だから常にテーマは複数の読み取りが可能なように作家を選ばせてもらったりするし、今回の「転換点」に関しては、何の転換点かということはそれぞれが違う。それぞれで違ってもいいということをディレクターの中でも話し合った上で選んだテーマなので、結果的にそれが一貫性に欠けるテーマなんじゃないかってなっていても仕方がないって思います。  というのが私のキュレーションに関する考え方ですね。 特にこういう芸術祭においてはテーマがガンとあることが果たしていいのかどうかっていう考え方が私にはあります。ひとつのあり方としては、キーワードとして「転換点」というのを来場者にも考えてもらいつつ、これは何の転換点なんだろうというのをそれぞれに見ていただけて、それぞれの中で答えというか、これかなというのが見出したりして、作品とコミュニケーションをとるひとつのメディアになればいいなというふうに思います。

杉田: 今ちょっと聞いていて白川さんの指摘はもっともだと思うんですよね。確かに昔のゼーマンの頃だけではなくて、例えば2000年ちょっと前の「光州ビエンナーレ」ありますよね、韓国の。ちょっとタイトルを忘れて今携帯でひいてたんですけど出てこなかったんであれなんですけど、アクロス・ザ・ボーダーだかビヨンド・ザ・ボーダーだったかのどっちかだったと思うんですけが。  光州の第一回というのはテーマの秀逸さみたいなもので高く評価されたわけですよね。おそらくこれはテーマそのものというよりは、昨日吉本さんが言われた、アウトカムとしてのある種の評価の部分に関わってくると思うんですよ。 おそらく今竹久さんがおっしゃったようにテーマをワンと打ち出してそれをある種独裁者的にやっていくというキュレーションのシステムは壊れているけれども、例えば今回の「ドクメンタ」の13回目とかは、テーマは設定しないよって言いながらも非常に緻密に組まれていて、尚かつそれが今僕の周りではネガティブな意見を言う人は誰もいなくて、結構いいんじゃないかって言われていて、それがアートっていう世界なのかもしれないけれども世界中でそれが評価されていくっていうようなことがあるわけですよね。例えばそれは、ひょっとするとテーマはなくていいのかもしれないけれども、みずつちがそのような形のものとしてちゃんと評価されるために何ができるんだろうという問題なのかもしれないと思うんですよ。テーマじゃなくていいかもしれないけども、何かそこに向かって何かつめていけるところがあるんじゃないかと。

例えばそのときに、あえて藤井さんは意地悪な質問をしたと思うんだけどそのときに、僕もそれはけっこう常日頃感じているんだけども光州のビエンナーレに何回か後に行ったときに、日本人の作家っていうのは、今も続いているんだけどクールジャパンというか、要は社会の出来事に興味なくて超クールで超低血圧みたいな作品ばっかだというような。そういったキャラとして日本人の作家たちが扱われていて、なんかノンポリティカルなものみたいな感じで扱われている。 けれどもそれは藤井さんがちょっと意地悪に聞いたのは、本当はもっと意地悪な質問だったと思うんだけど、テーマがバンと打ち出されていってある種そこにポリティカルな性格が出てきたプロジェクトになったら冨井くん居場所あるの?みたいな言い方だったと思うんですよね。だったような気もするんです。 僕はあるとは思うんだけども、そここそが、そういった場所を与えられたときにさっき藤井さんが言った技術だと思うんですよね。作家の技術ということが問われると思うんだけども、僕が応えるものじゃなくてこれは冨井くんが「やっぱりないかもしれません」って……。

とことんトーク 12人が語るアートプロジェクトのこれから 全2日間総集編! no.7

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とことんトーク 2日目-2

「ファーレ立川」と「大地の芸術祭」

白川: 今話を聞いていて自分の過去の経験から思うのは、90年代のときの最初の「ファーレ立川」に参加した作家でもあるし、妻有にも参加した作家として感じたことをここで述べていこうと思うんですけれども。

「ファーレ立川」の場合ですね、あのプロジェクト自体非常に大きなお金が動いていて都市計画としては非常に大きなものだったと思うんですけれども。都市の中にアートを持ち込んでやっていくという北川さんの最初のスローガンはともかくとして、提示されてくる作家の人たちは非常に有名な作家の人たちが多くて、有名な作家の人たちの多くは割と過去に見たような傾向の作品が多かったりする。そうでない作品については例えば車置きとかいろいろなところに、あえて作家の方から、じゃあここも使えないのか、ここは作品にならないのかみたいな形で関わっていくわけですよね。確かにその瞬間はひょっとしたら作品だったかもしれないけれども、1年経ったり2年経ったりするとそれは単なる邪魔者みたいな、どうしようもできない、そこに住んでいる人にしてみると、取り外してもらえないかなとか。 メンテナンスが非常に大変だったりとか、後からいろいろな問題が生じてきたんです。僕は自分が関わっている中で制約ということで考えると、それはマイナスとかではなくて、自分が社会の中でアート活動をしていくときにここに住んでいる人のことを考えてそこに自分の作品を提示するときに、わざわざ邪魔になるような作品を始めから作る必要はないんじゃないかとか、メンテナンスだって当然考えなくてはいけないからお金が後から発生するような作品は作っちゃ駄目だろうと。自分でそれはチェックしたわけです。そういう作品は僕なんかはファーレでは出さないようにして。だから今でも僕の作品はほとんどメンテナンスしてないと思うんですね。必要ないようにしたし。あと僕は作品を作るたびに同じ作品はほとんど出さない主義でずっときたので、ワンパターンはなし、繰り返しはしないということでずっときましたから、そのときも新しい作品で出したし。

それから妻有のときは、ひとつは最初に昨日話したように、自治体の人から6つの市町村があってそこでやるんだけれども(という話をきいて)、それぞれの地域で熱が違うわけですよね。松代みたいに温泉地のところはぜひ来てほしいっていうけど温泉がないところはなんでうちがやらなきゃいけないんだ、なんでうちがお金を出さなきゃいけないんだみたいな。お前作家としてここに来てどう思っているんだって僕なんかに逆に訊かれて返事ができないみたいな。そういう中で僕は僕なりに考えられる作品というのをあそこに提示したつもりなんです。そのときも既に地域の人と協働で作品を作るとかそういうことも既に始まっていたんですけど、そういうのは昨日のボランティアの問題もそうだけど、人手がすごくかかるんですよね。巨大になればなるほど確かにドラマチックになるし目に触れるし、メディアにも取り上げられて、いつこれ完成するんだ、すごいね、なんて毎日毎日出てきて確かにそれが目玉になっていくんだけれども、僕は意識的にそういうのはしないと。もっとクールに、自分ができる範囲で一人で、地域の人と関わり合いの中でできる範囲の中でやろうと。冬になるとあそこは雪が積もるので、そのメンテナンスもあるわけですよ。じゃあ誰が片づけるんだと。雪が降り始めると片づけるのはボランティアの人とか村の人とか。それもおそらく他の作家の人も考えていると思うんですけれども、僕なんかの場合は一度設置したものをとったり外したり、また持って来たりとかはしないで、そこに永久に置けるというか、そこにそういうふうになるように考えて、除雪作業なんかも必要じゃないように作品を設置するよう考える。じゃあそれが僕のクリエイティヴな部分を阻害しているかというと全然そうじゃなくて、僕は僕なりに条件の中でできることをやって作品として出しているわけで。そういうところを考えていくとですね、どんどんどんどんアートプロジェクトが進んでいけばいくほどパターン化するというか、観客を巻き込んだ協働制作のものが当然みたいな形になったりとか、ある種のパターン化が見えてくると作品傾向がみんな似てくる。

地域アートプロジェクト 批評の欠如

とことんトーク白川: ひとつは、昨日のいろいろな話を聞いていてふと僕が思ったのは、話がずれるかもしれませんが、70年代くらいの時に、野外彫刻展って日本中で行われたじゃないですか。いろんなところにいろんな自治体が野外彫刻展やりましたよね、お金も出して。今やそれが、作り手にもよりますけど、一時期は野外彫刻の彫刻公害みたいな感じであっちにもこっちにもあって始末に負えないみたいな。すごく盛大に日本中でやっていたものが時間が経った時に屑。僕が非常に不満なのは、じゃあその野外彫刻で出された彫刻作品は屑だったのか。屑じゃないと思うんですよ。  でも誰も美術評論家の人だってこの作品がほんとに造形作品として良いというような評論をほとんど書かないんですね。  野外彫刻に出ていた作品なんてパスパスパスで、結局美術館とかギャラリーとか国際展に出ていたような作品が日本の彫刻史の中では残っていて、駅前に立っている彫刻作品は誰も評価しないですよね、これはおかしいなと思うんですよ。  今のアートプロジェクトでこういうようなことが起こっちゃ困るなと。起こりうるんじゃないかなと思うんですよ。評論もほとんどないでしょ、今のアートプロジェクトに関しては。評論がきっちりしたものがなくて、それもおかしいと思うんですよ。時間だけが経ってみんながはしゃいで、はしゃいでいるわけじゃないんだけど、行政はどんどんどんどんお金つぎ込んで、これでなんとかなる、なんとかなると思っているけどなんにもならないですよね。

冨井: 妻有の作品って、平等に批評されてないですよね、簡単に言うと。批評の対象はもう決まっていて。そういうことですよね。平等に批評の対象にさらされるということは、アートプロジェクトの前では起きづらい。それはまぁ、そういうことですよね。

大倉: 批評は、私は妻有の芸術祭については3回までは書きました。  皆さん読んでいらっしゃらないとは思うんですけど。大体見て、しかし全部の作品については書けませんでした。話題になっている作品かどうかは関係なしに、自分の心に残ったものについて書いたものでした。ただ、まぁこうやってアートが美術館的な培養器の中から出てくると、それまで美術館に足を運ぶ人たちというのは限られた人というか、そういう習慣を持つ人たちですよね。その習慣を持たない人たちの目にアートが触れるというのが新しい現象だったかもしれなくて、新潟の私の周辺はみんな妻有を見に行っているのですけど、新潟で飲み会するとみんな様々なんですよ。私が取り上げた作品で良いと思ったものが全然良くなかったとか、反対にあんなのが? みたいなのをすごく良かったと言ったりするのがあって、見ている人たちは私と違って書かないけれども、確かに批評はしているし、美術館の中ではないからこそ、結構かなり勝手に、自由に批評し始めてるということはあるなぁと思うんですよね。もしかしたらそれはひとつの新しい現象かもしれなくて、好きな言葉じゃないんですけどアートプロジェクトが引き出しているひとつの現象かもしれないというふうに今聞いていて思いました。白川さんのものについては、すいません、書きませんでした。申し訳ありません。

杉田: ためにためてそうな藤井くんです。

社会的コンテキスト、作品の自律性、作家の「技術」

藤井: 楽しく皆さんの話を聞いていますよ。いろいろな意見があってその都度うんうんそうだよなぁと聞いていますけど、ひとつ、作家というのは自分が作っていく固有の美術史の中で制作していることを指摘しておきたいと思います。 冨井さんが辿ってきた美術史があって、白川さんが辿ってきた美術史があって、僕が辿ってきた美術史というものもあるわけですよ。 その中で、重要なポイントがおそらく今話しているテーマの中に入ってくるのかなぁと思いますけど、それが何かというと、アートそれ自体が、先ほど保護器と命名されていました美術館の中で自律的に生成されるという時代というか歴史というか美術史がありまして、それは僕も信じてきた歴史のひとつですが、一方で、社会と共にある芸術作品という作り方、それは社会から自律はしていない、けれども社会の中で作られる芸術作品というのもありうるという考え方のもと僕は制作しています。

そこで非常に難しいのは、社会のコンテキスト、例えば地域とか地域の歴史とかに手を出すとね、いわゆる作家の自律性みたいなものが死んでいく可能性がある。そこで作家性というか、作家の固有性を立てていく、保っていくには高度な技術が必要だと思っています。その技術がない場合、おそらく社会的コンテキストに負けるだろうと。造形的に負けていくだろうと。造形的に社会のコンテキストに負けていく作品っていうのは、僕の価値基準の中ではいろいろとあるのですが、つまりいろいろな作品を見ていく中で、あ、これは負けやと。負けたなと。一方で、いわゆる地域の歴史とかそういうものに飲み込まれつつ、それを通過したけれども作品の自律性を確立している作品というものもあるのかなと思います。

小森: 白川さんに質問していいですか? さっきのファーレの話で、当時のファーレは「アートプロジェクトとしてこれを作ってください」というふうにアーティストに要請する大きなイベントとしては、日本では比較的早い事例だと思います。 白川さんの他にファーレに参加されていた作家さんのなかで、それまでに地域社会というか――この場合は役割を与えられた公共設備なのかな――そういうものと協働して作ってくれというような条件を与えられて制作してこなかった作家さんって結構多かったんですか? キャリアとしてアートプロジェクトを作ってこられてなかったアーティストは少なかったんでしょうか?

白川昌生白川: その意味ではおそらくそうだと思います。あのときはまだ「アートプロジェクト」というよりは「パブリックアート」って言葉ですよね。「野外彫刻」というかそういう言葉はあったんだけども「パブリックアート」って言葉は一般化してなくて、「ファーレ立川」なんかで「パブリックアート」っていうのが一般化したと思うんですよ。欧米なんかの作家の場合でも公共の広場とか公共の施設に作品を作ったりなんかはするので、僕自身の頭の中でもあれを今でいう「アートプロジェクト」とは考えてはなかったし、どちらかというと「パブリックアート」だけど、場所の固有性、空間的な固有性を自分の作品に取り込むということで作品を作ったので、今言ったような協働とか何か、おそらく作家の中にもそれまでそういうような作品を作っていなくても、パブリックアートに参加してもらいましょうか、みたいな形で登場した作家は結構たくさんいたと思うんです。

 

妻有でもそうじゃなかったかと思うんですよ。そういうような傾向があったと思います。そういうのを見ていた次の段階からは、ああいうやり方もあるんだということで学習というか準備ができて、一緒に協働するようなものとか、こういうふうにしようとかっていうものがもっと積み上がってきたんではないかと思います。

小森: なるほど。ひょっとしたら「パブリックアート」だけではなく、「ランドアート」とか「環境芸術」とか様々な言葉がありますが、社会であったり、作家の自律性以外のところと関わって何かを表現しようという傾向が美術史的には結構あって、ただそのとき発表の場所が限られていることが流通を妨げているのではないでしょうか。人為的にセッティングされたような、例えばランドアート展というものはないじゃないですか。大きなものは。

白川: 僕はなんか、日本という中ではアメリカみたいに自分で広大な土地を買って、そこで勝手にやりますみたいなことは、あんまり普通作家にはできないですよね、お金もないし。そうするとほとんどが、野外彫刻展で賞を取ったような作家の人があちらこちらの公園に作品を作ったりとかで公的なお金での仕事がきて、昔だと関根のお坊さんみたいに自分で会社を作ったりとか。そうふうにして環境アートをやっていったわけですよね。じゃあそういうのがみんなができるかというとみんなはできなくて、逆に言うと、そういうところに、上の方でやっている人たちがいるのを下の作家の人たちが見て、ああいうやり方もあるっていうふうに、私も野外彫刻展の公募に出してみようとかっていう人がどんどん集まってくる。 妻有なんかもそうじゃないですか。公募しているからどんどん集まるみたいな、そういう形になってるんだと思いますけど。

小森 真樹小森: ひょっとするとファーレの時期だと作家さんがそれまで、表現の形式としては知っていたり、美術史の情報としては知っていても、自分でやるきっかけがなかったというときにファーレだったり妻有みたいなものが日本国内で現れて、展覧会に呼ばれて、要請もされるし初めて作ってみる機会になったんじゃないでしょうか。

白川: それもあったかもしれないですね。僕も日本の中の状態を全部知っているわけではないですけど、おそらくでもそう言いながらも、地方とかいろいろなところで自主的に動いていた人たちはいると思いますよ、いつの時代も。そういうのはいやだみたいな感じで自分たちでやろうっていう人たちはいて、ただそういう人たちはそこに吸い上げられていかなかったというか、そういうのはあると思いますね。

大倉: ついでながら第一回の妻有の印象で言うと、それまでの美術の世界では評価されていたというか尊敬されていた人たち、それこそ藤井さんの言葉で言うと、そういう人たちの作品の大半が、負けだと思ったんですよね。つまり、それまで美術館とかそういうところを主に発表の場としてきた現代アート作家たちの作品が、そのまま山村の屋外に置かれたときに、私ははっきり負けだなというふうに感じました。それはだからアーティストにとっても、新しい課題を妻有は作り出したけど、勝ち負けがだんだん別れてきたというか、勝ち負けという言葉はわかりやすいのでお借りしますけれども、見たときにいいなと思うのとそうでないのとが確かに現れてきて、そのいまひとつという方の作品がパターン化という印象と繋がっているんじゃないかとも思います。藤井さんがおっしゃるように場所自体が美術館のホワイトキューブとは違って、白川さんがおっしゃるように時間という言葉も含めてたくさんの制約が、制約というか条件があるので、それと向き合いながら、見る側がおおっと思えるような作品を作れるというのは作家としてのクリエイティヴィティというところにつながると思いますけれども、技倆ということだと思うんですよね。その保護器の外側で発揮できる技倆を持つ作家が、今どれだけいるのかということなのかなというふうに思って、プロジェクトの側だけに一方的にパターン化の原因があるのではないというふうに私は思います。

杉田: どうですか芹沢さん。噴火前みたいな感じになっていますけれども。

ホワイトキューブ、町中

芹沢: 噴火しないよ。本当のことを言うと、この設問に対してこういったところで明確に言いたい主張はない。プロジェクトだからパターン化していくっていうのも、そうじゃないだろうと思うんだけど。

 

パターン化するものはパターン化するよね。僕みたいにディレクションやっていく人間からしてみるとそういうやつらは選ばないというだけですごく簡単な話になっちゃうので、そっから先はあんまり議論にはならないと思うんだけど、皆さんの議論を聞いていると、違わないかもしれないけど、コンテキストの話をしてたでしょ。そうだと思うんだけど、ホワイトキューブっていうのは文脈なしの世界じゃないですよね。ホワイトキューブっていう文脈じゃん? 今急に大きい声出したけど爆発じゃないよ。今50代始めくらいの、40代終わりから50代くらいのアーティストとお話ししていて、彼らは自分が若い時に作品を発表しようとすると、例えば一生懸命働いて1年分くらい貯めた金で銀座のギャラリーを借りて発表するとか、最初から大学で先生にかわいがられてたら違うやり方があるとか、とにかく白い部屋っていうか美術って制度の中で発表するということがすごくまず大変なことで、そこの中で一生懸命やってみて、でも限界というのは感じ始めるので、結局そこから町に出て行ったり、それこそ違う文脈の中で自分の作品が本当に意味を持っているのかどうかとかということでやり始めると。実はホワイトキューブの方は制約があるっていうけど、それはロマンティックな制約で、僕は最近はとにかくもう美術館でやりたい。台風も来ないし、いいですよ、やっぱり。美術のための空間だから。安心安全ですか。そう言うと半分冗談になるかもしれないけど、あるアーティストも言っていて、最近すごい若い子たちが胸張ってアートプロジェクトっていうわけですよね。町でアートやっているとか。って言ったときに、「じゃあ、ギャラリーで展示したことあるの」って聞くと全くそういうことはなくて、出発から街角でなんかやってる。50代始めくらいの人が、すごく僕が信頼しているやつだけど、さんざん苦労してホワイトキューブの中で技量とか見せ方とかレッスンしてって、そこで至らなくなって外に行ったのと、最初からホワイトキューブなんてくだらないんだと言っているのとは、ちょっとそこのところに大きな違いが出てないかなぁとすごく心配で、どっちを否定してというより、野外で今地域と密着してやっている場合でもしパターン化する人たちがいるんなら、ぜひギャラリーで展示してみたらいいと思うんだよね。

 

そこで本当に通用するのかどうかとかね。

羽原康恵羽原: 今の芹沢さんの話を聞くと、ギャラリーを経験したことがなくて、そのまま町中に飛び込んで、そこでしか作品を作り得ないってなっている若いアーティストが多いんじゃないかなぁと思います。多いです、実際に。彼らの作品がホワイトキューブの中で展開した場合にそれは表現として成立し得ない。アートプロジェクトをやっている身としては、それでなくてもアーティストとしてきちんと評価というと違うのかもしれないんですけど、定義されうる枠組みも作っておかないといけないというのが自分の責任のような気がして。それはさっきおっしゃっていたアートプロジェクトに関する平等的な批評がないというところにも通じると思うんですけど。ちょっと苦しいなぁというところはありますが、それを今の世代のアートマネージャーが作るべきなのかもしれないと思っています。

ちょっとさっき悶々としていたので冨井さんに突っ込みたいんですけど、冨井さんの表現からいくと、地域におもねるというのがすなわち、私が受け取った感じでは、地域に迎合をしている感じ? 文脈を読み取ってそのクライアントに応じたものをアウトプットしようとアーティストがその風潮に流されつつあるんじゃないかしら、という指摘なのかなと思ったんですけど、でもそれは必ずしも是か非かの二極で問われるものじゃなくて、おもねたことによって、テクニカルな部分なのかもしれないと聞いていてすごく思ったんですけれども、だからこそアートの部分でも作品として成立するものができうるケースもあるんじゃないのかしらと思うんですけど。

 

冨井: もちろんそうです。全くそうですよ。 風潮と言ったのはそこで、なんとなくなんですよ。なんとなくあるっていうのがやばいって言ってるんです。ある程度ギャラリーを経験した方がいいか悪いかっていうことにも関わってくるんですけど、両方知っていると、両方の怖さを知る人の方が平均的には多いんじゃないかっていうことですよ、あくまで是か非かとかではなくて。ここは結論を問う場所ではないのであえて極論を言っているんですけど、両方をなんとなく知っていると両方の怖さを知ることになるかもしれない。 そうなると、そこでじゃあ何が必要なのかという時に藤井さんのいう技術という問題が出てくるわけですよ。で、要はどっちにしようがおもねろうが、そこでいいと思わせればいいの。そういう意味ではおもねるね、ただそういうふうになるには何かを理由に、何かの船に乗るっていうか。僕の言い方で言うと「地域だからこうだからこうだからこういう感じのパターンで行こう」みたいなことを「船に乗る」っていうふうにあえて言うならば、大船に乗ってね、こういうのに乗っていれば大丈夫だろうみたいなさ、そういうふうな感じで作られるものに関してはギャラリーだろうがどういう場所でやろうが絶対に成功しないと思う。それがいわゆる負けってことだと思う。そういう意味では、さっき芹沢さんがおっしゃった、ギャラリーを経験していない人たちが、そこでしかできないっていうことにいかに自覚的なのかってとこが僕は気になりますね。そこでやっていればいいんですよみたいなやつもけっこういると思うんだよね。逆にギャラリーじゃないとやっぱり僕はできないんですよって言っているばかちんもいると思うんだよ。で、どっちも駄目だ、やっぱり作品はもたなきゃ駄目なんだって。そのために自分がどういうところでやらなければならないのかとか、そういうところにいることに自覚的であるかどうかってことだと思うんですよね。 僕がそこで危ないなって言うのは、アートプロジェクトっていう問題が出たり、アートプロジェクトが流行っているとか昔だと野外彫刻でも何でもいいんですけど、こういうところに行けばこういう勝ち上がり方があるとかそういうふうに考える作家が、アートプロジェクトが花盛りになってきて雑誌とかに載ってくと、そういう風潮が増えていくんじゃないかと思うわけですよ。だからこそアートプロジェクトであるこのみずつちでこの話をするっていうことが重要なんだなっていうふうに思うんですけど、あんま答えになってないですか、大丈夫ですか?

羽原: 今の話を聞いて、自分が、アートプロジェクトを大倉さんのいう保護器にしようとしてるのかもなってちょっと思いました。

冨井: そこでいかに喝を入れるかじゃないですか。作家の問題にもなるし、メディアの問題にもなると思う。 ……終わっちゃった。誰か言ってくださいよ!

杉田: 今のぜひ録音しといて飲み会の時にもう1回聞かせたいなと思います。僕ちょっと気になっておもしろいなって思ったのは、溝っていうか、芹沢さんがおっしゃっていたような、僕なんかはちょうどその年代になるんだけど40とか50くらいの、自分たちがキャリアを積んだ後に出てきた人たちと、本当にホワイトキューブを経験してない人たちとの連続性があまりなくて、すごいギャップがあるなと感じているんですよね。いや感じていますよって感想を言おうかなって。

吉本: えっとですね、さっきの藤井さんの発言を聞いていて僕思いだしたことがあるんですけど、随分前なんですけど90年代だったと思うんですが、美術評論家の方に聞いたことがあるんですね。作家の作品の批評とかをするときに、日本人の作家の批評をしようとするとその作家の個人史の中での批評になっちゃう。対して、海外の作家は時代とか社会とかそういうものの中で批評を書くことができるんだけど日本人の作家はそれができる作家が少ないっていうことを言った人がいたんですね。ちょうどまさしく藤井さんの話と同じだなぁって思って。ですからいまアートプロジェクトで否が応でもホワイトキューブから出て外に出されてやるときに、地域の中での意味とか考えなきゃいけなくなってしまっているわけですよね。そこに投げ出されていって、それでさっきの藤井さんのお話だとそれで負けてしまう作品は個人史しかない、みたいな。個人史だけじゃ表せないみたいな話をおっしゃっていたのでまさしくそういうことだなと、すごい納得が僕はいったので発言をさせてもらったんですけど、どうですか評論家の立場では。

杉田: わかんない(笑)。すごく難しくて、藤井さんはああ言ったけれども、例えば歴史っていうのは、美術史は美術の中では美術史ってまだずっと言われているんだけども、歴史学の中では歴史ってどう書けるかってとこまで実は問い直しが来ているんですよね。大きなトピックの出来事だけ並べていってそこにある種の流れがあるように書くことって歴史ってできるんだろうかっていう問い直しが来ているんだけども、実は美術史の中ではそれはないんです、まだ。ユベルマンという人がちょっとずつ始めたりしているのはあるんだけども、それがうまくできてなくて、歴史っていうよりは、例えば今藤井さんはあえて個人史みたいなことを言われたけれども、個人の経験とかでもいいわけですよね。記憶とか経験って言ってもいいと思うんですよ。でも、それを歴史っていうとそこにひとつの物語みたいなものがあって、その中で次こうやって動くんだよっていうようなことでちょっとわかりやすくなるので、経験とか記憶っていうことよりも。確かに個人史とかそういった方がしっくりくることはあるんだけども。

評論家の意見とか、大倉さんは別ですけど僕の意見とかはあまり聞いてほしくないのですが、歴史に対して極めて不信感があるので、そこで例えば、こういう話をすると長くなっちゃうんだけども、アートとか歴史の書き方自体を変えうるかもしれないとかっていうようなことが海外では問われている。例えば個人のアーカイヴ、膨大な写真の資料とかで歴史っていうのは書けるんじゃないかとか。若かりし日のボルタンスキーは、まだ太ってない頃ですけれども、個人のいろいろな人が持っている家族の写真っていうのは、例えば藤井さんが持っている家族の思い出の写真というのは実は我々の家族の写真でもあるっていうようなことを言うわけですよね。それはものすごく意味があることを言っていて、単にその人、その家族固有の記憶なんじゃないんだ、集合的に持たれているんだというようなことを言われると、そんなの歴史学ではできっこないんだけれどもアートの世界ではできるかもしれないし、そこの実験をいろいろできていくかもしれないわけですよね。だからアートって実は拠り所っていうものがあればある程駄目なところがあって、むしろそういったものが全部ないよっていうようなポジションをどうとれるかというところなんだけれども。

とことんトーク 12人が語るアートプロジェクトのこれから 全2日間総集編! no.6

とことんトーク総集編タイトル小

とことんトーク 2日目-1

トーク企画趣旨

竹久: 2000年に「大地の芸術祭」が始まって、それが最初から成功だったかについてはいろんな見方があるかもしれませんが、いずれにしても大きな話題を呼び、既存の文化施設ではない町中でアートプロジェクトを行っていくという動きが、行政も絡む形で盛んに行われるようになったのが2000年代の、とくに日本のアート状況の特徴と言えると思います。それが進んでいく中で行政主導ですとか、大学が入る形で、もしくは美術館主導という形で、似たようなものだけれども異なる立場のプレイヤーによってアートプロジェクトが展開していく状況がありました。また、個人のアーティストが「アートプロジェクト」という形で、いわゆる絵画や彫刻とは違う、人々と関わり合いながら作品をつくる、ということを始めたのも2000年代の後半くらいから目立つようになったと言えると思います。そういう動きがある中で、私は普段、水戸芸術館という公立の文化施設で働いているんですけれども、現場にいると、成果もそうですが、そろそろこうした新たな展開、地域の中でアートプロジェクトを行っていくということの「課題」が見えてき始めたというのが、2000年代の後半くらいからありました。

 

竹久 侑「水と土の芸術祭」が始まったのが2009年ですね。

 

2000年代の終盤に始まりまして、2回目の今年が2012年ですが、2010年代もこの動きを同様に進めていく中で、そろそろやはり現場に関わる者同士がどういった形でこのようなアートプロジェクトを行っていくのがよいかということを10年間の布石を踏まえたうえで検証しながら新たな方向性を探る必要があるんじゃないか、という転換点に差し掛かってきた。そういう認識をもつ声が複数聞こえてきました。今回、私もこの「水と土の芸術祭2012」のディレクターの1人としてお仕事を受ける中で、美術館ではない場所でプロジェクトを行っていくときに、実践を踏まえながらこのことをきっちり検証していかないと片手落ちになると考えました。このトークは、そもそも芸術祭のディレクターにならないかと言われた当初から必要性を感じて企画したものです。そういった経緯があって、ぜひこういう話をしたいということをモデレーターのそちらに座ってらっしゃる杉田さんにご相談をして、ぜひやりましょうと言っていただけまして、今回やることになりました。5時間のトークなので、皆さん話し続けられるのかどうか、という不安が昨日もあったんですけれども、やってみると意外とあっという間に過ぎていって、オーディエンスの方からも話が出るようになり、ゆったりとしながらもだんだん核心に迫るトークの内容になってきたかなというときに1日目が終わったという状況でした。 今日は2日目ということでスピーカーの方々も交流できたのでまたさらに切り込んで、核心に触れるような内容をどうにか切り開いていきたいと思っております。

 

ぜひオーディエンスの方々にも参加していただけるようなオープンな形で進めたいと思いますので、今から5時間どうぞ皆さんよろしくお願いいたします。

 

それではモデレーターの杉田さん、よろしくお願いいたします。

杉田: 杉田です。  昨日に続いてなんですが、最初にちょっと進め方というのを簡単に説明させていただこうと思っています。進め方としましては、このようなパネルディスカッションと言いますと、往々にして各個人の方にそれぞれプレゼンテーションをしてもらってディスカッションに入るというのがよくあるパターンなんですけれども、そうすると肝心のディスカッションの部分がかなり短くなってしまうので、個人のプレゼンテーションは最小限にして、できるだけ話し合うというところをやっていこうというのが、この5時間のトークの主旨になっています。そのような形でもありますので、参加者の方々の紹介という面では、あまりそれぞれの発言の中で自己紹介をするという場がありませんので、こちらに配られているペーパーを見ながら、「あ、あの人はこういう人なんだ」というのを確認しながら、どういうトークが行われているのかというのを確認していただければというふうに思います。

ただ最初にお名前とこのペーパーの方との対応がつきませんので、僕の方から名前を読み上げさせていただきますので、できましたらちょっとお立ちいただいて、顔をぐるりとまわりに見せていただくということをしていただければと思います。

 

最初は雨森信さんです。キュレーターで様々なアートのプロジェクトに関わっていらっしゃいます。繰り返しになりますけれども竹久侑さんです。 今回の「水と土の芸術祭」のディレクターの1人でもあります。初日は参加が叶わなかったんですけれども今日から参加いただく大倉宏さんです。美術評論家で今回のみずつちのアドバイザーも務めていらっしゃいます。次は丹治嘉彦さんです。美術家で新潟大学の先生でもいらっしゃって、今回のみずつちのディレクターの1人でもあります。小森真樹さんです。 東京大学で芸術社会学を研究されている傍ら、傍らという言い方もおかしいですけれども、アートのプロジェクトにも関わっていらっしゃいます。次は冨井大裕さんです。美術作家で、冨井さんも今日からの参加になるんですが、きっと暴れてくれるんではないかなと期待しております。次は白川昌生さんです。 美術家で今回のみずつちの参加アーティストでもあります。「沼垂ラジオ」をやられております。白川さんは、今日のトークは一応2部に分かれていて、途中簡単なブレイクを入れるんですけれども、ブレイクの後に白川さんに簡単なプレゼンテーションをしていただく予定でいます。 続きまして羽原康恵さんであります。取手アートプロジェクトの実施本部の事務局長であられます。続きまして藤井光さんです。今回の出展作家の1人でもあられます。次は芹沢高志さんです。北川フラムさんと同様に古くから日本のアートプロジェクトの基盤を支えていらっしゃった方の1人であられます。次は吉本光宏さんです。ニッセイの基礎研究所の主席研究員でいらっしゃって、芸術文化政策などに造詣が深くてそちらの方のアドバイザーとかいろいろな役職に付いていらっしゃいます。

さっそく1日目のトークを踏まえつつ2日目のトークに入りたいかなと思うんですが、竹久さんの話をちょっとだけ捕捉させていただくと、みずつちに関連するトークではあるんですが、例えばみずつちと同じような芸術祭とかアートのプロジェクトというのは世界でどういうふうに行われていて、例えばそういったところでどういう問題が出てきているのかとかですね、ここではたぶんみずつち固有の問題を解決するということではなくて、むしろそれを相対的な枠組みの中でどういうふうに考えるべきなのだろうというのを少しトライしてみるっていう場所だと思うんですね。当然その中ではみずつち固有の問題もいろいろ出てきて構わないんですけれども、そういった問題を何かもうちょっと大きな枠組みでどう考えられるだろうかということをしていけたらというふうに思っています。

1日目まとめ――地域アートプロジェクトの課題

杉田: 初日のトークの中では様々な問題が出ました。例えばこういった芸術祭とかアートのプロジェクトに対して公金を投入するというのはどういうことなんだろうという非常にストレートな問題が出てきました。ただし、その際、芸術祭自体をどのように評価するべきなんだろうというところでいろいろな問題が出ました。例えば芸術祭というものの質的な問題を問うのか、あるいはそこに地域振興とか、アートには本来ないようなある種の役割というのを仮定してそこでの達成度っていう基準でそれを評価していくのか、とかですね、それが果たして良いことなんだろうか悪いことなんだろうかということでいろいろな議論があったわけです。またそれに関連してなんですが、こういった芸術祭ですと地域の方々とか市民の方々の協力というのが欠かせないひとつの要素なんですね。 けれどもそれらの地域の人々との関わり方というのは一体どうあるべきなのだろうか。例えばその中でより特徴的というか、ちょっと特殊なのかもしれないんですけれども、ボランティアというような関わり方というのは一体どうなんだろう。例えばかなり単純労働で、そこでやりがいも見いだせないような仕事について、それをボランティアという形で委託できるんだろうか、あるいはお願いできるんだろうかというような問題も少し出てきたと思います。また後半では「市民プロジェクト」、これはみずつち固有の問題でもあるんですが、「市民プロジェクト」という特徴でもあり、そこにはひょっとするとまだ十分に整備されてないような問題もあるのではないかというようなということで、プラスの面マイナスの面それぞれについてそこでは話し合えたのかなというふうに思っています。

それらを通して何かトークとしてひとつの意味のある結論が出たということではなくて、話し合ってそれぞれがモヤモヤしたまま、あるいは自分の意見を少しだけ変えながら持ち帰って、おそらくこの答えというのは各自がそれぞれの分野でもう一度活動し直すときになんらかの形になってくるのではないかというふうに思うんですが、初日には少し欠けていた視点があるかと思いまして、2日目はそちらの方に焦点を絞って話をしていけたらと思っています。

2日目の焦点

杉田: その焦点というのはアーティスト本人の問題を少し話し合いたいというふうに思っています。 これはいろいろな言い方があるかと思うのですが、例えばこういった地域と何か連携しながらやるアートプロジェクトや芸術祭の中で、本当にアーティストは通常のアーティストの全く制限がない状態で行っているようなクリエイティヴィティというのを発揮できているのだろうか、できていないのではないかというような、いろいろな議論があります。そのあたりについては本当に様々な意見があると思います。アーティストの方ももちろん意見をお持ちでしょうし、ディレクター側からもそういったものに関してはいろんな意見があると思います。また場合によっては聴衆の方にもですね、そんな地域におもねっているようなものは見たくないという方がひょっとするといるかもしれなくて、そこには様々な立場によらず各自がそれぞれの意見をお持ちだと思うんですね。そのあたりのところから少しお話しいただければと思うんですが、僕が誰かに振るというのではなく、今後のトークは進めていきたいんですが、最初だけ振らせていただくと、せっかくなので初日参加されていない大倉さんと冨井さんに、それぞれの……。

作家のクリエイティヴィティは阻害されるのか?

冨井: 冨井です。こういうふうに振られてしまいましたので僕からお話ししたいと思うんですけど、まず最初に言いますと、僕個人はアートプロジェクトというものに作家として関わった経験はほぼ皆無に等しいんですね。このトークにお声掛けいただいた時に、そういう私でいいんですかということをまずは返しました。それでそういう立場で話してくれればいいというようなニュアンスでお呼びいただいたものと僕は判断したのでこの場にいるということを前提としてお話ししておきます。そういう立場でしか話しません。  僕個人は制限っていうとあれですよね、どういうふうに……うーん、でも制限っていったらどんな展覧会でも制限はあるので、僕個人の意見としてはあんまりそういうヒエラルキーはないかな。アートプロジェクトや新潟であるから制限がある、やりたいことができない、とかそういうことを僕はあんま感じないんですよね。

冨井大裕

冨井大裕

ただ地域というものがあると、おもねるようなことをしなきゃいけないのかな、という雰囲気が、なんとなくこう、誘う側が言っていないにもかかわらずなんとなく作家側が思ってしまうような風潮があるということ。これって、そんなことないよと一般的には思いたいと思うんですよ。 でも実はそうではなくて、とってもベタなことなんだけど、ものすごく根深いことだと僕は考えているんですよね。風潮が作家にそうさせているということじゃないかなとまずは思うんですよね。

ただ水と土に関係なく話せと杉田さんはおっしゃったんですが、僕個人の今回の出品の感想で言うと、今回に関しては僕は制限がありました。それはなんでかというと、結果として僕はここの地元作家であり、ここの地元民なんですね。なので、おもねらないようにやろうとしても、どうしてもおもねってしまうんじゃないか、何か全部を、僕固有の問題としてとらえてしまうんじゃないかとか、そういうものがあったんですね。見えざる制限というか。ローカル作家として呼ばれてないにもかかわらず、ローカル作家的な妙な呪縛があって、それが今回の作品に関しては非常にやりづらかったということは先にちょっと挙げておきます。そういう意味では、今回出品している藤井さんとか白川さんとかとは違うスタンスにならないようにしたつもりですけど、(そう)なっちゃってるんじゃないかというのがいまだに僕の中にあるんですよね。

大倉 宏

大倉 宏

大倉: 大倉です。昨日は全然参加できませんでした。 杉田さんのお話のお答えになるかわかりませんけれど、漠然と考えていたことのひとつを話します。 今竹久さんから北川フラムさんの「大地の芸術祭」の話がありましたけれども、1998年くらいに県庁の方から訪問を受けて、北川さんを今度招聘して、十日町というあたりでこういうのをやるんだが協力してもらえないかと言われたことがありました。そのときはまだ「大地の芸術祭」という名前ではなくてアートネックレス構想という形でした。 「ファーレ立川」という、都市の再開発に際して、再開発するいろんな場所に美術家を招聘して車止めを作ったりとか、ふつうの建築家の方とか都市のデザインをする人が無味乾燥に作るようなものを美術家に制作させたという北川さんのプロジェクトがあって、それに注目した県庁の方が、新潟の過疎の地域にその北川さんを呼んで、いろんな美術作品を点在させてみんなにそこを回ってもらうような、そういうことをやりたいということでした。当時、私は「大」がつくものが嫌いだったので、そういう「大きな話はおもしろいかもしれませんが、観客としては見に行くかもしれませんが力になれません」と言って本当に力にならなかったんです。「大地の芸術祭」が2000年代、および2010年代まで影響を与えるものになるとはそのとき全然思っていませんでした。

ただ、改めて10年くらいたって思うのは、自分として新潟の美術に直接・間接に関わるようになって感じているのが、まず日本の美術というのがヨーロッパからの導入、それも上からの導入だったということ。美術というもの自体が外から入ってきたものであって、普通の一般世間からはかなり違うところから出発しているので、ちょうどあの佐渡の朱鷺の保護区のような、世間に馴染んでいないものを成長させるために、保護器のようなものを明治以降日本は行政が作ってきたということです。それが美術学校であったり美術館だったり展覧会という制度であって、その保護器のなかでアーティストは自分なりのクリエイティヴィティを場合によっては存分に発揮できるような仕組みになってきた。保護器の中にいた作家たちは保護器の中では十分にクリエイティヴィティを発揮できたとしても、そこから外に出るというときに、一般世間の人たちと繋がるときに、何がおきるか。 先般朱鷺を野生化させる試みがあって、保護器の外に出したら動物に食われてしまったということが起きていますけど、2000年くらいに始まったことはそういうことに似てるかなぁと思っています。保護器の中にいたアーティストたちが外側に出ていかざるを得なくなった状況というか、逆に外側の方が出てこいよと言ってるというか。それまでアーティストというものを極端に言うと全く必要としていなかった社会が、北川さんが始められたことをひとつのきっかけに「アートは結構役に立つぞ」と思い始めたのが2000年代だったかなというふうに思います。そういう中で、保護器の中にいたアーティストたちが、場合によっては外に出て行って、どんなふうになるかという、そのいろんなことが今起こっていて、その中で問われるようになったのが、そこ、つまり保護器の外で、内では実現できたクリエイティヴィティを発揮できるのかという問題になってあらわれてきているのかなというふうに思います。昔の芸人は子どものころから芸を叩き込まれ、最初から保護器の中にいなくて、新潟にも瞽女(ごぜ)さんとか月潟村の子どもがやる角兵衛獅子とかがありました。ああいった人たちも私はアーティストだと思いますけれども、そういった人たちはまさに世間の中で、世間と関わることを通じて自分の芸を作り出していったというか。それはある意味ではひとつの型にはまっていくというか、そういうものを伝承していくという形になりますけれども、一方西洋から導入されて始まった日本の美術は、あくまで個人を主体として、絶対・徹底的な自由と自分固有の個人性というものをどこまで発揮できるのかという、そういうクリエイティヴィティを保証する培養器の中の現象として、明治から始まり、大正昭和と展開し、続いてきました。その保護器の内側と外側との関わりがいろんな形で起こるようになったというのが、私の好きな言葉ではないんですけれども、2000年代から始まった「アートプロジェクト」という形の中にあらわれてきているのかなと思います。地域のアートプロジェクトにおけるクリエイティヴィティの問題は、そういうふうなところまで遡って考えていかないといけないのではないかと思っています。

杉田: いろいろな立場から意見あると思うんですが、ちょっと視点がずれていたかなと思うところもあるんですけれども、今おっしゃられたように、例えばアートプロジェクトによって初めてアーティストが社会との接点を持ち始めたがゆえにある種の制約だけではなくて条件と向き合わざるを得なくなったというのはひとつあるかもしれないと思えるんですが、その他にもご意見どうですか。この話が出始めた時にアーティストがある意味でクリエイティヴィティを制約されているんではないかということのひとつは、妻有とかに出ているアーティストが画一化されていくっていうような、作品のパターンがそういうふうになっていくのは一体なんでだろうという問題があって、そういった問題も考えていきたいんですが、同時に今言われたような広がりということもあわせて見ていきたいんですが、作家の方以外にもいろいろ思われるところがあると思うんですけれども、どうでしょう。

とことんトーク竹久: 私も今回の芸術祭の企画に関わっていく中で、自分自身がいろんなところの芸術祭とかアートプロジェクトを見た経験上、同じ作家が出ていることも多いんですけれども、そうじゃないとしても、クライアントの意図を汲み取ってうまく作っているなっていう作品が結構多くて。それは別に一概に批判はしないんですが、そういうものばっかりのような気がしてきたことに対して、疑問に思っていたんですよね。  今回はもちろん、私がどちらかというと半ばクライアントみたいな立場になると思うんですけど、本当のクライアントは実行委員会だと思うんですが、そこに委託されてディレクターをする中で、アーティストに声を掛けていくときに、普段はあえて蓋を開けないところも突っついてくるかもしれないアーティストと一緒に、一部の仕事はしたいと思いました。それはある意味こちらにとってみると、何を言ってくるかわからないという意味ではリスクがあるんですけれども、それでもそういったところに向き合える形にしない限り、「地域性」を扱うときに、地域の魅力とか良い面ばかりを抽出していくのも偏りがあるし、その問題も含めて一緒に考えられるようなアーティストと仕事をしたいという思いがありました。

 

丹治: 私自身も妻有、瀬戸内という場でフラムさんのオファーを受けていく中で、長く関わっていくとどうしてもその場に慣れてきちゃうというか、どこかで私自身も作っていく中で慣れを拒否したいなという思いがありました。今回こういう仕事を受けたときに実は私の中での反省をどこかでしたいなと。アーティスト自身が今までにない時間を紡ぎだしたり、可視化してくれることのダイナミズムは全然否定することではないと思うんですが、もっと違う、ここでしかない「水と土の芸術祭」っていうことから生まれるようなアーティストと付き合って、そこから何が生まれるんだろうと。さっき竹久さんからリスクという言葉が出ましたけれども、そんな付き合い方の中から0から何かが見えるような、私も作家とメールなりあるいは直接会って話をする中で、今まで見てきた作品じゃないけどこの場で何が、単にそこから土地との関わりということをもう少しチャンネルを変えた中で見えてくるような形が生まれればお互い幸せかなと。 そういうふうに作家と対峙しながら場を作ってもらったという思いがあります。

冨井: 出方は一緒ですよね。出方は一緒だけど、持っているマテリアルがその地域固有のものになってしまうということ?

小森: そうですね。それがパターン化に見えているのかなぁというふうに思ったんですが。そこで翻って、冨井さんがあえて言ったんだよっていうところがたぶん肝で、「外側」から入ってくるというような立ち位置でやるときには、しょうがないというか、題材にするときのやりやすさがあるというのと同時に最初のきっかけにはなると思うんですね。だけど、冨井さんのように作っていて半分は自分が「新潟の作家」として見なされてしまったりとか、そのようにふるまうときになったら、そこはわかりやすく自分がそこで題材にしているというところと自分が実際持っている認識との相違も出てきて。実際ここに住んでいた小さい頃の経験だったり、人間関係であったりとか。

 

そこをどう折り合いをつけるのかっていうのが、ひとつのひび割れとして表れている。その点はまず「ローカル作家/非ローカル作家」という与えられた境界を前提にしつつ、かつそのふたつに跨る形で作品を作ったために表れたんじゃないかなと感じていて。問いかけじゃなくて感想みたいになってしまいましたが。どうやって開いていったらおもしろいかな。

杉田: ローカル作家の問題も大きいと思うんだけども、そこに行く前にある問題だと思うんだよね。ローカルか非ローカルかっていうのはあえて冨井くんが最初に言ったと思うんだけども、それ以前の段階で、作家がどのような立場であれ、そこに行ったときにその地域性をどのように組み入れていくかっていうのは昨日のトークとも絡んでいて、吉本さんが言われた、アートプロジェクトのインパクトという意味でも、評価というところで、地域へのなんらかのバックがなきゃいけないよと考えたときには、ひょっとしたらそのミッションは正しいミッションになるかもしれないわけで、結構その辺は難しい問題だと思うんですよね。要は地域性っていうのを、単に出身だから/出身でないからっていうのはすごく深くて最終的にはそこにも関係してくるとは思うんだけども、それ以前に、地域の問題をどうとらえるのかという問題がまずあると思うんですよ。例えば「ドクメンタ」の話を出されたと思うんですけれども「ドクメンタ」は今回ドイツでアフガニスタンとかの問題を扱うわけですよね。  ここでも宇梶さんの作品とかありますけれども、それはみずつちで日本の他の地域の問題を扱えないのかとか、これは後半にもそういう話になっていくのであまり深入りはしたくないですけれども、そういったアーティストの姿勢ですよね。姿勢と作り出すときの漠然と感じる制約みたいなものについてもうちょっと皆さんの話を聞いてみませんか。藤井さんとか白川さんとか。

吉本: ちょっと発言をさせてもらいたいと思います。杉田さんの問題の立て方としては、アートプロジェクトと言われるもので見られる作品の中に、本当に作家自身のクリエイティヴィティが発揮されていないものがあるんじゃないか。もうちょっと言うと、地域で行われるアートプロジェクトに出る作品っていうのはひょっとしたらこういうもんだよね、というパターン化が世の中で増えてきているんじゃないか、そういうことなんですよね。そのときに、アートプロジェクトって今ここで称しているものと、もっと対になるものとして何か別のものを考えた方がいいと私は思ったんですけれども。仮に美術館の従来のホワイトキューブの中にある作品と、アートプロジェクトと言われるもののように、例えば田んぼの中にあるとかね。いろんな外に出てあるものとしてあるときに、アートプロジェクトというしつらえが作家のクリエイティヴィティの発揮を阻害しているという考え方は僕は幻想だと思うんです。そういうふうに思ってしまっていること自体に問題があるんじゃないかと思うんですよね。例えば美術館の中で展示する作品だって環境は白い空間かもしれないけれどもそこに向かって作家が何かを表現したいと思っているわけで、そのときに最初におっしゃられたように何か制限があるわけですよね、やっぱり。

あるいは話が飛んじゃいますけど僕は美術史のことを勉強したわけではないからあんまりいい加減なことは言えませんが、昔の中世の肖像画とか宗教画とか、例えば肖像画を考えると、パトロンがいてパトロンがお金を出してアーティストを雇って描いてるわけでしょ。こんな制約はないですよね。そういうふうに考えていくと、アートプロジェクトというしつらえ自体が作家のクリエイティヴィティを発揮することの制約になっていると考えるのは僕は違うというか、もしそうだとすると、厳しい言い方になってしまうかもしれないですけど作家本人の問題だと思うんですよね。それを突き抜けられるような作品を出してほしいからちょっと毒のあることをやってくれそうな人を呼ぶわけでしょ? しかもこれだけ多くのことが日本国中で行われていたらやっぱりある傾向は出てきますよ。美術館の中でやったって傾向は出てくるじゃないですか。しつらえが、アートプロジェクトっていう環境自体がそういうことの制約になっているという問題の立て方自体が違うんじゃないかっていう気がします。

ローカル作家/非ローカル作家という区分

小森: 最初から大変おもしろいお話を四方がされていて、丹治先生と竹久さんがおっしゃったのはざっくり言えば、「パターン化されていくという傾向がある種の作家にあって、それっていいんだろうか」という問いかと思うんですけれど、現場で作家の質をプロフェッショナルとして見ていらっしゃるお二人からそういう感想が出たのはおもしろくて、そこで「地域におもねるムードがどうしてもあっちゃう」という冨井さんの最初の話に戻ってきます。作家側としては思っちゃうんではないかという現状認識の話がとてもおもしろい。自然に使われていたと思うんですけど、「ローカル作家/非ローカル作家」という言葉で区分がありましたよね。あえて使われたと思うんですけれど。そこをもう少しお聞きしたいなと思うんですが。 非ローカル作家/ローカル作家というとき「ローカル」っていうのは、土地にアイデンティファイしている、つまりアイデンティティを持っている、自分たちの土地だよっていう感覚を持っている作家ということですよね。 このことと、すごく同じようなスタイルの作品が続いてしまうことは関係していないでしょうか。

冨井 大裕冨井: あえて言ったところもあったんですけれども、もともと呼ばれたときは新潟市の人っていうことではなかったようなので、後から新潟の出身だったんだねということになったんですけれど、結果としてそうだったということだったんですが、現実新潟出身だったのでこの場ではあえてそう言った方がいいであろうということでローカルということで言ったんですけれど。やっていて、新潟固有のことにしないで、「ドクメンタ」でもどこでも地元の作家はいるわけです。国でもいいです。そのような人たちはどのようなスタンスで作っているのかなーと、作品を設置した後に僕なんかは考えちゃったりするんですよね。そういう意味での葛藤はある。そういう意味で使ったんです。

小森: だけどその、キュレーターのような立場でアーティストを呼ぶときに「ロ-カル作家」として呼んだんじゃない、というような位置づけがあるということは明確に「ローカル作家/非ローカル作家」という区分があるということです。そこがこの問題の本質ではないかなと思うんですが。というのは、さっき話していた、同じような作品傾向が10年、15年繰り返されることと、地域と協働で作品を作ることが繰り返されるというのとは関係しているのではないでしょうか。「ローカル作家」ではなく外側からよそ者が入って何か作品を作るときっていうのは、わかりやすく「新潟」の歴史であったりわかりやすく「新潟」に関連した何かそこにある素材であったりと、情報としてみんなが認知している、例えば「水俣病」の問題なのかもしれないし、例えば「水と土」というような自然環境なのかもしれないし、そういうものが新潟性であるというふうに対象化して作品の題材とするというのはわりとやりやすいし、わかりやすいですよね。ただ、それが各地のアートプロジェクトでどんどん繰り返されていくと、同じように各土地で、新潟性なのかもしれないし瀬戸内海性なのかもしれないし愛知性なのかもしれないし、そういうものを同じ方法で対象化して作っていくというだけで簡単に作品になっちゃう。

コミュニティ活性化か、芸術の追求か?

杉田敦杉田: ちょっとだけ追加で話をさせていただくと、なぜそうやって言ったのかっていうと、僕よりも吉本さんのご専門なのでお分かりだと思うんですけれども、オーストラリアにCCD、コミュニティ・カルチュラル・ディベロップメントという制度がありますよね。あれは助成金をどうやって政府が落としていくかっていうことで、もともとはパブリックアートって呼ばれていた領域を、要はコミュニティを、オーストラリアはアボリジニとかいろいろな人たちがいるので、そういった人たちのコミュニティをどうやってエンパワメントしていくかっていう枠組みに変えてそこにお金を流そうという形になったんですよね。

 

それは実は世界中のアートプロジェクトのベースになる部分を作っているような理論、土台の部分でもあって、けれどそこの理論をよく読んでいくと、必ずしもそこにそうやって書いてあるからそういったものが世界に広まったって言いたいわけではないんですけれども、アートプロジェクトっていうのは、特にCCD関係のコミュニティをエンパワメントしていくっていうような形でのアートプロジェクトっていうのは、個人のクリエイティヴィティを発揮する場ではないというふうにしっかり書いてあるんですよね。おそらくその意識っていうのは何らかの影響を与えないはずはないというふうに思って。全く影響はないという意見があってもいいと思うんですけれども、つまりなんかそこで暗黙のうちに感じている制約みたいなものがあるんじゃないか。おっしゃるようにないのかもしれないし、単に各自がそれぞれやりたいことをやっていてそこでこういった傾向が自発的に生まれてきたんだということなのかもしれないんだけども、もしもそこに縛りや制約があるのであれば検証しておくことも必要なのかなって気がしているんですよね。ここは、クリエイティヴィティが阻害されているとか結論を出す場ではないので、いろんなご意見をもうちょっと聞けたらと思うんですけれども。

雨森: さっきのパターン化しているということであれば吉本さんと同じで、国際ビエンナーレやトリエンナーレでも、どこへ行っても同じような作品が見られるという傾向というのも問題視されていると思いますし、美術館でも同じようなアーティストが取り上げられていたり、海外で紹介される日本人のアーティストも同じアーティストしか紹介されないというようなことも起こっていると思うので、パターン化しているというのはアートプロジェクトだけで起こっていることではないのかなと。作家がそこでどういう仕事をするかということにかかっているのかなと思います。 もちろん私も地域の中でプロジェクトをやっていて、地域に根差した作品を作るという言葉をよく使っているんですけれども。何を言いたかったかというと、2000年以降妻有を初めとして大型のフェスティバルであったりとか、大小さまざまなプロジェクトが全国各地で行われるようになってきていますが、アートプロジェクトやフェスティバルという行政が作った枠組みがある以前から、アーティスト自身がもっと社会と関わって、さっき大倉さんがおっしゃったことと通じると思うんですけれども、美術館など既存のアートスペースから出て地域に入っていくという活動が自発的にあって、そういったアーティストによる実践が「アートプロジェクト」という言葉や枠組みよりも先に出てきていたのではないかなというふうに考えています。

旧礎保育園でワンモアカップストーリー!みんなで一緒に窯焚きしよう!

旧礎保育園と陶芸をこよなく愛する「礎窯サポーターズ」による作陶体験が終了し、11月2日より、3日間かけての焼成が始まります。

 

ゆらめく炎、薪の爆ぜる音。 怖さを感じながらも見続けているうちになんだか癒されてしまう・・・そんな不思議な魅力のある薪窯の窯焚きにみなさまも参加してみませんか?

ワンカップストーリー[ONE CUP STORY]とは? 昨年2012年に開催された「水と土の芸術祭」で旧礎保育園を舞台に制作されたNadegata Instant Party(中崎透+山城大督+野田智子)の作品です。詳しくは下記ページをご覧ください。

 Nadegata Instant Party(中崎透+山城大督+野田智子)紹介ページ

<窯焚き>

◆日時 平成25年11月2日(土曜)から4日(日曜)まで(三日三晩) 11月2日(土曜)午前9時開始(火付け予定) 11月4日(月曜・祝日)深夜0時まで

◆参加費 無料

◆場所 旧礎保育園(新潟市中央区礎町通6-2246-2)

◆注意事項荒天時など火付けの延期・中止をする場合があります。 イベント中の出入りは自由です。

 

薪くべを体験されたい方は、汚れてもいい服装でお越しください。窯焚きは屋外(旧保育園園庭)で行います。 暖かい服装でお越しください。

 

火を扱うイベントのため、参加者の方全員に保険に加入していただきます(無料)。

<1DAY展覧会&お茶会>

ご自身で作った器でお茶が飲める日です。 水と土と木と火の力を借りて礎窯から生まれた器。 ちょっと歪んでいたり、思いのほか重かったり・・・そんなところもすべてがいいのです。  Nadegata Instant Partyメンバーを囲んで、ご自分の作品を自慢し合いながら、みんなで楽しくお茶しましょう。お茶碗を作られなかった方には貸出用をご用意しております。

◆日時 平成25年11月10日(日曜) 午後2時から

◆場所 旧礎保育園(新潟市中央区礎町通6-2246-2)

<作品の受け渡しについて>

◆日時平成25年11月10日(日曜)、13日(水曜)、16日(土曜)、17日(日曜)、20日(水曜)いずれも午前10時から午後4時まで ※正午から午後1時の間、休憩のため閉園する場合があります。

◆場所 旧礎保育園(新潟市中央区礎町通6-2246-2)

◆注意事項器を包むもの、袋などをご持参お願いします。

 

<その他>

◆主催 礎窯サポーターズ ◆詳細につきましては、下記チラシをご覧ください。

みずつち文化創造2013 市民プロジェクト開催

水と土の芸術祭において生まれた市民文化のウエーブを起こし続け、水と土の文化創造都市を前進させるため、市民プロジェクトを今年も行います。

 

ぜひ足をお運びください。

 

◆詳しくは新潟市ホームページをご覧ください。

とことんトーク 12人が語るアートプロジェクトのこれから 全2日間総集編! no.5

とことんトーク総集編タイトル小

とことんトーク 1日目-5

吉本 光宏 吉本: さっきからボランティアのことをどう発言したらいいかで頭ん中ぐるぐるぐるぐるしているんですけど。ボランティアのことを擁護する時に今日のこの会議の冒頭の方でクライアントがいるかいないかっていう議論があったと思うんですね。それと後もうひとつNPOっていうのもあったと思うんですけど、さっき実は主体性って話をしましたが自分が誰かに頼まれてやるのではなくて、自分の意思で何かやってくっていうのがボランティアだと思うんですね。だけどそこでややこしいのが経済的な条件っていうのがあって日本でボランティアっていうと無償奉仕となる。でも、そのことをちょっと分けて考えないとすごく議論が整理できなくなるんじゃないかと思います。それで例えば有償でボランティアっていうのも僕はいいと思うし、それから例えば報酬をもらっていても本人がそのことを本当にやるべきと思ってやっているのか。報酬をもらっても気持ち的にはボランティアでやっている。なんかそういう姿勢に僕は賛同しているってことがベースにあって。ですから、みずつちっていう大きなフェスティバルにボランティアって形で協力するんだけども、みずつちっていうものが目指しているものにある種の共感があってそこに参加しているってことが重要なのであって、それで報酬は得ているのかどうか、あるいは単純作業だからお金を払うべきだっていうのは僕はちょっと違うんじゃないかって気がしているんですね。

それともうひとつその上にさらにややこしいのが市民参加の事業っていうのが、作品を作るっていうので市民として参加していて当然それは報酬あるなしでいうとボランティアですよね。ましてや自分でお金を持ちだしているかもしれない。 3つか4つくらいの軸がある気がしてならない。と、話を聞きながらどう考えるのかって整理できない気がしています。

ただ、もうひとつ言おうと思ってたのがさっき藤井さんが確かおっしゃったと思うんですけど「民主主義のエクササイズ」って、そのこととちょっと繋がっているような気がして、自分で考えて自分で判断して自分の価値観でなんか行動を起こしていくっていう構造が民主主義の根本だとすると、みずつちにそういうボランティアの形で関わる、ある作品を自分で作るって関わることもそのこととすごく関係があるんじゃないかなって気が。

 

自分の中で整理できないんですけどもちょっと漠然とそういうふうな気がしています。

それでちょっと話を戻そうと思うんですけど、そういうことに関して僕が最近考えていることがあって、つい最近ワールドシティ・カルチュアルサミットというのがあってそれに参加したことがあるんですが、それは世界の大都市の文化の状況を比較していくようなプロジェクトなんですけれども、東京とかニューヨークとかいろんな都市が参加をしていて、東京の参加を僕は手伝っていて、プレゼンテーションを作ったんですよ。そのときに何を東京の文化的特性としてアピールするべきかって数字をいろいろあげたなかで、圧倒的に海外の人が驚いた数字がひとつだけあるんですね。それは東京都内に普通の家庭にピアノが何台ありますっていうので、何台あると思います? 83万台あるんですよ。東京都内に。そのことを海外の人たちは信じられないって。 それからもうひとつ日本のメジャーな新聞に俳句のコーナーってあるじゃないですか。 一般の市民がそれだけみんな作っているわけですよね。それは芸術に対する市民の関わり方として、鑑賞者でもあるし、作家でもあるしっていうような混沌とした状態っていうのが常にあって。

それでまたちょっと話が飛んじゃうんですけど、美術館とか劇場の中で作品を見るってことが芸術ってことになっていると思うんですが、それってつい最近のことで、大昔、江戸時代とかはそうじゃなかったんですよね。 劇場ってなると昔の芝居小屋とかになるんですけど美術館っていうのはわずか百数十年のことでしかないので、だからみずつちで起こっていることとか日本国内であちこち行われているトリエンナーレ的なことにいわゆる世界中のキャリアのあるアーティストが点々と回っていて展示されているっていうことと同時並行で起こっている市民レベルのことの方が、ひょっとしたら非常に日本的なアートとの関わり方というか作品との関わり方というか。ピアノの台数はそんなことを意味しているんじゃないかなと最近茫々と考えていて、ボランティアの話を聞きながら頭の中をめぐっていたことなので話させていただきました。

杉田: 今吉本さんがうまく言われたんですけど、たかだか美術館の中で展示が行われるようになってまだわずかですし、近現代の美術館って日本でいうと40年、半世紀くらいの歴史しかないわけですよね。しかもそこから今出始めているっていうのがポストミュージアムみたいな展覧会、芸術祭みたいなのが開かれるようになって、それが問題を孕んでいるのはある意味では当然なんですよね。当然なんだけど、それについて議論をしていく、あるいは問題点を今日も最初にそれにはお答えできないかもしれませんけどもって会場からの質問に答えてしまいましたけど、ここでもたぶん整理できなくて悶々としたままそれを持ち帰るという形になるのかもしれないんですが。

もう少しだけ「市民プロジェクト」の話を引っ張りたいんですけども、可能性がそこには非常に秘められていて先ほど佐藤さんがおっしゃったように、そこで人間関係上の問題が起こらないっていう「市民プロジェクト」が、小さな主催者がいて、それに対して協力している人がいるって非常に小さな社会がそこにあるからですよね。それでその「市民プロジェクト」は、芸術祭のように大きくないので、ともすると忘れられがちな人間関係がかなり丁寧に行われているがためにおそらく問題が出にくいってメリットがあると思うんですね。ただ一方では先ほど芹沢さんがおっしゃったような、芹沢さんはとても言葉を慎重に選ばれるので質って話はしたくないっておっしゃったんだけれども、ある意味では質の管理っていうのもとても大きな問題だと思うんですよ。それは質が優先するっていうんじゃなくて何か質を、質ばっかりの話をしちゃうと前半のキャリアの話と一緒で誤解されると困るんですけど。

 

そのクオリティの問題とかっていうのを堀川さんとかってどのようにお考えになっていますか。

堀川(客席):「市民プロジェクト」のことをたぶん誤解なさっているかもしれないんですけど。 この新潟の場合ひどく市民運動的なものも多くて、例えばいろんなところで自分たちの居場所の歴史を調べてそれを展示するだとか、自分たちがやっている音楽を聞かせるだとかっていう人もいますよ。  それを一応私たちの方で選択しています。

 

かなりの量、お金も助成するので。結果的に今回すごく応募件数が多かったのですが、いわゆる振興財団の助成申請のように切ったりせずに、応募者に相談させていただきつつ少額でも助成したので、不満が出るとこはなかったんですけど。普通に助成を求める時よりはずっと楽にいろいろ考えられたんじゃないかと思うんですね。その種類はあまり説明されているものが少ないんですけど、見ていただければわかるように地域の芸能に関するものもあれば、地域の歴史とか映画を作る人たちもいたりとかいろいろあるんです。この「市民プロジェクト」の選考を私は担当した者ですけども、やり方、方法をどうしているかということに重点を置きました。できあがったものに関してはそれから先なので、そこからまた私たちが見せてもらっていろいろ議論すればいいっていうことになります。応募された内容に関して、きっとこのぐらいに助成額を減らしていいのかなって思うものは最初に話を聞きます。それでどのくらいやろうとしているんですかみたいな話を聞いて、そして選択していくすごく大変な仕事でした。件数がすごく多かったので。ものによっては、ちょっとこれは必要ないねってものは不採択になったものもあります。ですけども、行政から切らないでくれっていうそういう要望もあって、そこらへんの議論があってすごく少額でたぶんもうこの金額では実現できないんではないかという額で援助してもいいのかっていうようなやり方でやったものもあります。ですけど、これは反省ですが、やはりそういうものに関してはこちらの熱も、見たいという熱も、やっぱり少ないというか。  だからそれは悪かったなという反省がすごくありますね。 なので、質の問題でいうとアートを選ぶような形とかアートを見るような形で質を選んでいくというよりは、関わり方、その人たちがどう作ろうとしているかで見ていくというふうにしています。

杉田: 活動としての質ですよね。物としての質ではなくて。活動とか今までの継続性とかを。

堀川(客席): そうですね。あまり継続性だけでなく、むしろ今回だけのことをやろうとしている人たちも多かったし、そこに生まれてきたものはもしかしたらどうなのかなぁと思いながらも、可能性を秘めて大事にしたいというのもありました。例えば若い人たちで割とはずれの地域でやってみたいという人たちが出てきて、どうなるかわからないんだけれど、とにかくやってみてもらおうってことで承諾しました。それはいろんな内容によって幅が違います。

私は14年前に新潟に帰ってきて路上とかで踊り始めたんですけど、それは時期が良かったかどうかわからないんですけど、いろんな年代の人たちが割と楽に観てくれた。あんまりこだわらずにちょっとこんなことやっているから観に行ってみようかっていうような形で観に来てくれることが多くて。 先日も即興のコンサートをしまして、東京の方から参加している人々が、今、東京だとけっこうジャンル分けが激しいし数も多いので、こういう分野だと観客がなかなか来ないという現象に陥っているけれど、新潟ではこんなにいろんな人が来るのかと言ってました。割合ふっと人々が参加するということがここにはあります。そういうおもしろさが出てる時がありますね。

とことんトーク杉田: 「市民プロジェクト」っていうのは確かに昨日も見させていただいて、僕が記憶に残っている写真の作品とかもあったりしてとても可能性があるんじゃないかと思います。 ただし、おそらく同時に同じぐらいの問題も抱えていらっしゃってそれをどういう形で解決していくのかっていう。例えば芹沢さんがやられている期間を分けるっていうのもあるかもしれないし、さまざまなことが模索されていくべきなのかなって感じています。

というわけで、そろそろ折り返し地点の時間でして。 ほぼもう走れませんというかたも何人かいらっしゃるので、明日もまだお時間ありますので、半分残していますので、明日のためにこの議論を続けていきたいと思います。今日いらっしゃっていただいた方、どうもありがとうございます。最後、意見交換、質問などをしていただくんですけども、この先ですね、今日のトークとかも私の進行とかで至らないところもあったと思うんですが、懲りずにですね、皆さんも折り返し地点ですので明日もぜひ来てくださいという意味も込めてですね、継続するために、最後にこの場で我々が答えられるとかそういったことではなくて、意見とか感想とかあれば少しお聞きして終わりにしたいと思うんですけど。  そちらの方。

――会場からの質疑応答――

来場者B: みなさま今日はお疲れさまでした。ひとつ、ボランティア目線でのお話ということで。私はメイン会場の大かまぼこの手前の朱鷺メッセ側の100m×10m大体一千平米くらいのところにだーっと縄を張ってある、漁網をリング状に3つ張ってあるっていうのをご覧になった方もいらっしゃるかなと思うんですけど、それをつくりました。あれはメインの人間が僕ともう1人2人プラスボランティア、僕ら自身もボランティアなんですが、それプラス4日間だけ参加してくれた学生さんたちが4人ってことで、2人足す4人っていう非常に少ない人数でけっこう大きめのものを相手にしたんですけど。  制作に至った経緯としてはすごいイレギュラーなんですね。メイン会場の構成をされた曽我部さんから声をかけていただいて、会期始まる1カ月ちょっと前になんか作ってみない?って言われて。本当にやるのって感じでいったんですけど。そこから作り始めてけっこう大きなものを作ったんですが、モチベーションが続いた理由としてもちろん僕らボランティアってことで参加して、けっこう設計事務所の仕事の手を止めてまで仕事の労力をそこに注いでいたんですが。  そのモチベーションが続いた理由としてひとつはある程度好きに作っていいよって曽我部さんから言っていただいたのがあって、そういうこともひとつモチベーションとしてあったんですが。けっこうあれは設計している段階では楽しいんですけど、作る方はあれは完全に肉体労働、単純労働。ロープが3000mm、3kgあるんですけど1m感覚で釘を打つんで何千本かコンクリートに釘を打ったんですよ。その6人で地道に。僕らは確かに多少クリエイティブな楽しみも味わえるってことでよかったんですけど、たぶんその参加してくれた学生さんたちはとにかく肉体労働ですよね。炎天下のなか釘をひたすら打ってもらって。でもそのなかでも一緒にやってもらえたっていうのはなんとなくなんですけど、小学校の夏休みに砂場で大きなお城を作っている感覚。言葉にしづらいんですけどあんな感覚で物づくりを進められたっていうのが非常に大きかったってところですね。ボランティアのマネジメントの話になっちゃうとちょっとこれは一般論にしづらいようなお話、どのケースもそうだと思うんですけど。そういうことで参考になるかはわからないんですが。ただ僕らの事例としては遊び、労働というものに対しての対価として、実際に作業している状況で対価が発生している状態、遊び、エンターテイメントって形でうまく発生させられたってことでうまくいったのかなっていう感じがしました。脇でwah documentさんとかも作業していて、あれはみんなで遊んでいるって感じで、僕らも映画を見るのに対価を払いますけど、映画を見ているような報酬、報酬っていうか楽しい労働ってものとうまく対価交換できていた、そういう幸せな状況が生まれているのも、脇で僕らと同じような作り方をしていて楽しそうだなというふうに感じました。

もともと祭りとかいうものって単純労働とかの集まりですよね。神輿担ぐのも肩痛いし重いし、でも、それでも楽しいからやるっていうようなそういう組織化の課題があって。うまく言えないんですけど、ボランティア無報酬ってお金っていう形に縛らなければそんなに難しい話でもないんじゃないかなっていうような気もします。

来場者C: 先ほど芹沢さんがすごいいい話をしていて、盆栽の話が僕はもうすごく嬉しくなっちゃって。

なぜかっていいますと、そういうクリエイティブなことをやっていてそれをいいって言われたじゃないですか。前ちょっと耳にはさんだのが越後妻有で勝手に芸術作品を置いちゃうんだよねっていうのを聞いたことがあるんです。あれだけ広いと勝手に置いちゃうと。

 

僕はそれ成功だと思っていたんですけど、やっぱり勝手に置いちゃうんだよねっていう物言いはどうかなって思ってたところに芹沢さんがいいなって。僕はもうひとつそれについて聞きたいんですけど、それを買うのかと。僕は今やっているプロジェクトでラジオをちょっとやってるんですけど、けっこう楽しんで喋ってくれてるんで僕お金くれないかなって思ってるんです、その喋った人が。僕はここ何年かアートで食ってるんで物を売って食ってるんですよね。今回は物を売ってないんですけど、大体どこでも物を売って食ってるっていうかお金もらってるってことで。 今回このアートプロジェクトの話の中で売るとか買うとかの話がなくて、みんな税金をどう使うかとかボランティアを無償報酬するとかって話だったんで、その芹沢さんが見たときに僕は買うって思ってくれたのかどうかってすごい聞きたいとこなんです。

芹沢高志芹沢: 個人的には買ってもいいと思うものもあったともいえますが、ただね、そのおっさんはですよ。 羽衣温泉っていう温泉の組合員だけが入れる温泉の管理人なんですよね。自分の家の入り口の奥に温泉があるもんだから、組合の方だけが毎日入りに来るでしょ、彼らを飽きさせないために最初こう盆栽っていうのは違っていてほとんどもう人工物だけなんですよ。それも置き方がね、最初見た時はジオラマみたいにロックガーデンみたいに岩に100円均一で買ったありとあらゆる動物がですね、行進して頂上に向かってるんだけど、ここいらで横んとこにビキニの女性がいて、下からディズニーの7人の小人が拍手しているみたいな極彩色のやつ。ただね、彼自体は商品として作っているんじゃないところがある種なんか通じるところがあって、これすごいじゃんって言ったら奥から彼が出てきてそれをいろいろ説明してくれるのが彼自身の喜びだった気がするんですね。ちょっと後日談が、そのあとね、その羽衣温泉の74歳か75歳のおじさんが作ったのがあれはすごいってみんな騒いでたんです。そしたらそのおうちの1軒前の82歳か83歳のおじいちゃんが実は大きな松ぼっくりを拾ってはそこに色を塗っていて、恥ずかしいからずっと1人でやっていたの。でも、みんながその奥の盆栽がすごいって行きだしたもので、俺もやっていいのかなみたいな感じになって、それを今度自分の家の窓の方にプレゼンテーションしてどんどん激しくなっていって。そしたら今度奥のおやじがですね、最近はソーラーで動くいろんな新作を作り始めて。ああいうのが一角でどんどんどんどん起こっていってるのがね、その売り買いの対価の全くないところに、しかも彼らが本当に自発的にやっているのにものすごく感動というより、別府は侮れないなというふうに本当に思った。

来場者C: もっと素晴らしい答えが。自分が求めているのもそんなような形で、ラジオに来てくれた方が、家具屋さんが来てくれてね。話をしていたら、こんな家具作ってって言ったら作るって話になって。それ売れたら何%ちょうだいねって言ってたんですけど。そうやって触発された人が何かやるってことはすごい素晴らしいことで。

芹沢: 勝手にそういうのがどんどん街角で起こってたらすげーなって思うんですよ。

来場者C: そういうのに結果としてしたいなって、半年経ったあとにそういうことが沼垂で起きてたらいいなと。

杉田: トークはここまでにしたいと思います。明日もこのままこのような形で続けたいと思いますので是非ご来場ください。今日はありがとうございました。

とことんトーク 12人が語るアートプロジェクトのこれから 全2日間総集編! no.4

とことんトーク総集編タイトル小

とことんトーク 1日目-4

竹久: サポーターの方が実際にこの現場にいらっしゃるのでお話を聞きたい気もしませんか。

杉田: でも、なんかね、みずつちのこういう話をしなくてもいいんですよ。 だってボランティアの話が出てきたのは竹久さんと話してるなかで、まあひょっとするとみずつちの状況でさえ恵まれてるのかもしれなくて。 それは(「大地の芸術祭」のボランティア・スタッフである)「こへび」とかになると、全くアーティストと触れあえない場所の管理の仕事をしているっていうこともあるわけですよね。 完全なそれは労働になっていて、先ほど丹治さんは肉体労働がっていうふうに言われたんだけど、肉体労働だけではなくて、コンテンツによってそこに非常に不満を抱くっていう人もいるわけですよね。おそらくプロジェクトっていうか、こういう芸術祭ではボランティアの考え方っていうのはさまざまでみずつちを例にとって考えていくのもいいんですけど、まだひょっとすると小森さんがさっき言われたような依存しているにもかかわらずそこの労働をどう見るのかっていうのが実はかなり不透明で、僕が一番その問題が大きいと感じたのは「あいちトリエンナーレ」なんですけれども、「あいちトリエンナーレ」のあの大きな資金のなかでボランティアに割いているお金がなくて、ボランティアに対してあまりにも過酷な仕事なので、その地域のリーダーみたいな人が自分のところに入ってきたお金をボランティアのために払うってケースが出てくるっていうのはあきらかに設計上のミスなんじゃないかなとも思われるんですね。もちろんそのボランティアを集めるってことはとても難しいんだけども、同時にボランティアっていうのが、ボランティアっていうかそういった人手ですよね、人手が本当に必要であるって現状があった時に、その人たちの労働力をある程度ちゃんと含んだ形で設計していくべきなのか、あるいはそこは何らかの形でもっと強引にボランティアをゲットしていくべきなのかっていう問題が今目の前にあるんじゃないかと思うんですよね。先ほど土嚢建築の例を出されましたけど、たぶんそれは労働として非常に苛酷であるということでなかなか続かないという例だったと思うんですが、それ以外にもおそらくボランティアのなかにいろいろな問題が含まれていて、格差社会の問題とかあまり簡単に連結させる気はないんだけれども、この中で自省するというか、アートの中にもしも問題があるとしたら、それもやはり見つめていくって必要があると思うんですけれども。 という意味も含めてどうですか。

市民参加――「民主主義のエクササイズ」

藤井 光藤井: 僕の作品のタイトルが「わしたちがこんな目にあって、あんたたちは得をした」というタイトルで、そこからもわかるように、今おっしゃられたボランティアの労働に関しては自分に跳ね返ってくる問題としてこれまでも考えてきました。今回の芸術祭に出展した作品の大雑把な僕の関わり方を説明すると、まず、主演となる弁護士との作業があり、市民・エキストラの参加があります。3つ目は彼らを撮影し編集する作業。そして、インスタレーションの空間を作るための制作、そこに参加するボランティアの方々がいます。録音など非常に専門的な知識を要するところは専門家を入れていますが、基本的にはボランティアの方々によって支えられているプロジェクトです。 そこでボランティアの労働問題は避けて通れない課題です。この場を借りて、僕の作品の……、逃げられました! サポーターの方がさっきまでいたんですよ。清水さんという方で、意見を求められるだろうと、状況がわかってたぶん出て行ってしまった。彼は僕のプロジェクトを最初からサポートしてくれた方です。実はこの場で、彼にごめんなさいって言おうと思ったんだけど。 僕が撮影したある映像を彼が欲しいということで、それを持ってくるはずだったのですが今日は渡せない、ごめんなさいと。物々交換じゃないんですけど、制作でお世話になると何かお礼をしたくなります。当然、お金という形も考えましたが、制作過程で仲良くなっていった僕らは、小額のお金よりも価値がありそうな映像で、2人の信頼関係を形にしようとしていたのかもしれません。

それは置いといて、ボランティアとどう関わるかという問題ですが、無償の労働力という側面とは異なる視点からボランティアを見ていきたい。

 

このような税金を使うプロジェクトであるのならば、アートプロジェクトそれ自体が民主主義のエグササイズにならないかという視点です。すいませんね、話が飛んで申し訳ないですけれども、作品を一緒に協働で制作すること、それは市民の社会参加と言えないのか。しかし、現実的には無償の労働力としてボランティア・スタッフに制作を手伝って頂いているし、民主主義のエグササイズと言ったところで、それもまた「やりがいの搾取」の一形態に過ぎないですね。僕はここで懺悔します。

 

ただ、これまでに市民運動の中でアートプロジェクトを立ち上げたりしてきた経験からも、一般の方々と水平的な関係のなかで作品を作れたりすることも知っているんです。それは決してお金がひとつの対価としてあるのではなくて、集団的創造物として作品を作るという可能性があると思っているし、実際それはあり得ていると思います。 ただ、そういうスタイルを、この芸術祭にはめ込めるかっていうと、実はそれは難しい。

ボランティアは「やりがいの搾取」か

小森: アーティストがボランティア・スタッフを使うっていう本当にそういう状況もあるのでおそらくそう言ってしまった方が問題がはっきりすると思うんですが、労働社会学では企業が労働者をうまいこと「使う」手法として、お金ではない何らかの形でやりがいを見せてそこでみんなが乗ってくるってことが結果的に搾取になっているという、「やりがいの搾取」という考え方があって。ひょっとしたら芸術祭の方でも同じことが起こっているのではないかということで申し上げました。  アーティストで特にプロジェクト・ベースで活動している方々はこの辺のバランスの取り方が非常にうまいですよね。藤井さんにしても人との関係をまずつくるっていうのと、ナデガタ インスタント パーティーにしてもそこに相手が何をしにプロジェクトに関わってきているかっていうことを即座に把握してロールを与えている。全体の構造の中でロールプレイをさせるっていうのは、受容と供給を一致させているということでしょう。とはいえここであんまりそういう言い方をすると、当事者は、プレイをさせられていたのか、という思いも生まれるかと思ってちょっと言うのが憚られていたのですが。

芸術祭の運営の方に話を戻しますと、同じような手法を芸術祭に使うってときには、芸術祭でそれはかなり粗が見えているのではないでしょうか。「こへび」だったり、(「瀬戸内国際芸術祭」のボランティア・スタッフである)「こえび」だったりの経験者からは、実際そういう声が聞こえてきている。 ほとんど何をしに行ったのかわからないって声がかなり聞こえてきて。それは端的に一対一の関係がつくれるような方法じゃないからですよね。藤井さんたちの話を挙げたのは、アーティストが目の前にいるボランティア・スタッフの方たちにカウンセリングをして、この人はどういうつもりでここにいるんだろう、何をしたいんだろうっていうことを掴みながらコミュニケーションをして、その上でロールを与えるって構造ができているから問題は起こっていないということを言いたかったんです。それが搾取かどうかっていうのは微妙なところで、おそらく搾取じゃないと思うんですね、その時点では。なんだけれども、大きな国際芸術祭レベルになって、それも完全にお金で対価を払うのが当然であるような仕事をボランティアに振るときに「やりがいの搾取」をしてしまうことが大きな問題になっている、という気がしています。関係者の方も多いと思うので、話をしにくいかもしれないんですが……。

ボランティア――「主体性」

羽原: 実感としてボランティア・マネジメントをどうするのかっていうのが現場としてはものすごく重要な要素で。一概に、自分の反省を込めて言うと、ボランティアの方はそれが自分でなければならない理由が見出せない限りいつづけないと思います。  投げ方というかロールの意味合いはそうで、ナデガタ(インスタント パーティー)がうまいのは来る人、小学生からおじいちゃんからどんどん役割を与えて、そこが自分でしか機能しないんだって感じさせることでプロジェクトが動いていく仕組みを取っていて。でもアートプロジェクトってボランティア側が提供する費用化されない労力を失うと成立しえないというのは私も考えていて、それをどう成立させるかというボランティア・マネジメントの部分が、ひとつひとつの個性がそこで発することができるかにかかっているような気がしています。他のケースでもよく言ってらっしゃるのが、誰の作品かわからない、誰のプロジェクトかわからない状態になってこそそれが成立しているような、みんながこれ俺がやったんやー、って言い続けるようなそういう心の動きが定期的に生まれないと起こった物事もそこに残っていかないと思っています。純粋労働はやっぱり費用化されるべきだなと思っていて、日々の発送作業とかそういうところは「やりがいの搾取」になりがちだなと感じていますけれど。 今回はどういう打ち出し方をされていたのかちょっとわからないんですが、自分でなくてもよい理由には忙しい人たちは足を向けないという痛感があります。

小森: もうひとつ別の立場からの話で、冒頭にお話しした、岡山県でゲストハウスのプロジェクト「かじこ」の運営をしていた経験を今のお話に付け加えたいんですが。僕らのプロジェクトの場合はゲストハウスだったのでお客さんが泊まりに来たり、あとアーティスト・イン・レジデンスをして展覧会をやってくれたり――今回の「水と土の芸術祭」、そちらに展示をされている下道基行さんも展示されてたんですが――、宿泊者が自由にイベントをできるシステムを作っていて、本当に小さなものから大きなものまでイベントが乱立しているって状態になっていました。その時に非常に気を遣ったのが、各イベントを「かじこ」のものにしないってことなんですね。運営レベルでの「かじこ」の目的が、参加者がどんどんどんどん増えていく、そこで各自が自分のやりたいこと、自発的にそこで何かを起こすことをねらいにしていて。そういう設計をイベントだったり展覧会だったり、宿泊、コミュニケーション、いろいろなレベルでセッティングしていきました。例えば「かじこ」にもボランティア・スタッフの人がいて、いろんなことをやってくれて、その人たちが自分の「かじこ」だとまず思ってくれたらいいと考えて設計していました。そこまでは言い方や、参加してもらい方で可能だなと思うんですが、やっぱりこういう場に呼ばれて――代表、運営、管理人と呼び方はいろいろあると思いますが――マネージャーの3人が代表してもちろん話すわけですし、「私たちがおこなった」プロジェクトとして話すわけですし。その時に本当に何百何千もあったような出来事ひとつひとつを自分の主語で話すことはできない。そこにはやっぱり回収されたというふうに感じてしまう参加者の人もいたかもしれない。各参加者、ボランティア・スタッフでもいいし展覧会をしてくれた人とかも、自分がその場の主体なんだっていうその感触で参加してくれていた人も多いと思っているので、そこを回収してはいけないという。 その辺りの表現の仕方、伝え方をものすごく考えましたね。

杉田: でも、おそらくそれは一般化できるような話ではなくて、藤井くんのもとでやると全部それは藤井さんの名前にならざるを得ない。全部藤井さんの名前になるけど、例えば白川さんをサポートしててなんとかしてあげなくっちゃってなることもあるし、もちろんそれはケース・バイ・ケースで一般化できるような話ではないと思う。そうではなくて今羽原さんが言ってくれたようにひとつ問題があるのは、アーティストとの関係はさまざまなバリエーションがあるわけですよ。確かに最初に小森さんが言われた一対一の、一対多でもいいんだけど、その主役が見えてアーティストとのやり取りができれば、あるパーセンテージは解消されていくのかも知れないんですけど、それでもたぶん個別の事例だと思うんですよね。全部違う。ただひょっとするとかろうじて言えるのは、労働としてそれは本当に単純労働でそこに対しては対価を払うべきだろうという仕事さえが、なんとなくボランティアという名前の中でそこの中に隠れ潜んでいるというか。ひょっとするとみずつちはそんなにそれがないケースかもしれないんだけど、もうちょっとなんか複雑に入り組んだ形で、「これって私仕事でやってるけど、これってボランティアなの?」みたいなケースもある。 たぶんそれが一番まず問題で、その次に個別の事例とかに行くべきなのかなって感じもするんだけど。

小森: そうですね、基本的な問題はそこでしょう。ひとつの「ボランティア」という名前でいろいろな立場の人がいっしょくたにされて、おそらく「都合よく使おうとしている人たち」と「使われている人たち」が出てきているのが問題です。

 

竹久 侑竹久: さっきナデガタの話がでてそれから気持ち悪くてずっと考えていたんですけど。またみずつちの例になってしまいますが、今回私が見ていて思ったのが別にナデガタに限ってではないんですけど、サポーターとして関わる人たちはもっと「わかってる」と思います。アーティストが何を考えているのか、かなりわかってらっしゃる。だから見抜かれています、アーティストは。 アーティストの心づもりを見抜いた上でおもしろいから参加しているケースの方が、今回見ていて多いという気がしています。だから、たとえナデガタがロールを与えていたとしても、「与えられた」ということにサポーターの方たちは気付いていて、「与えられたからやる」というのは違う次元の、「おもしろいからやる」、この場は変てこでおもしろいことが起こっているからまた来る、という感じだと思います。そうじゃないと絶対、サポートは続かない、継続的な参加にならないと思います。

藤井: ボランティアの主体性という話で、僕が本当に現場で感じるのは、参加者はそれぞれ主体的に参加していて、アイデアなどがどんどん出てくるっていう部分がある。当然、作家がロールを与える方法で、グループ・ダイナミズムを意図的に作り出すのはそれほど難しいことではないです。そうではなく、僕が関心があるのは、そういった管理型のアートプロジェクトではなく、今回、僕のケースでは新潟水俣病という作品よりも大きい枠組みの、それに触れるっていうことへのモチベーションが市民/参加者の中にあって、それが重要だった。  与えられたロールだけではない違うベクトルのモチベーションを参加者の中に感じました。そして、話はそれるかもしれないけど、個人的には参加者にお金を払いたいと思っている。 予算があればね。とは言え、どうしてもこういうケースの制作の仕方では、賃金を払えないだけでなく、自分のアーティストフィーも制作経費にどんどん食われていく状況で、ほとんどまぁ僕もボランティアみたいな状況になっていく。 やっぱ制作費に関してちょっとスケール設定が間違っているんじゃないかなって。無償のボランティアがいる前提でプロジェクト予算を考えているので、そのスケール設定、各アートプロジェクトのプロダクションの予算の設定が本当にこれでいいのか、反省も含め検証の必要があると思います。

 

杉田: 最初丹治さんに振った時には、自分のプロジェクトに参加するというか招くという作家とのいろいろな関わりですよね、そこを問題にしていたんですけど、そこからボランティアの話に広げていただいたのでボランティアってとこまで見えてきて、ボランティアって方も直接作家と何か交渉する場合もあれば広報とかの一般の形で関わる形もあるけどそれでもやはりまだ関係があるわけですよね。さらにちょっと、できればですけどこのトークも後30分くらいなんで最後のひとつのテーマかなと思うんですけど、直接作品の中での参加で関わっていたっていうところからボランティアへ広がってきたわけですが、もう少し今度広げて、地域振興という安直なゴールに向かっていくのは辟易とするんだけども、そうではなくて地域の人々というような視点でもう少しやり方は出てこないでしょうか。例えばそれは来場者っていう形でよりよく関わるってケースももちろんありますし、そうではなくて実際に自分の家族の誰かがボランティアで行っているんだよねってケースもあるだろうし、そのカウントされないようなボランティアというか、協力している場合もあると思うんですよね。個人的に作家と地元を通して知り合ってその人に対して何かサポートをしているとか、さまざまなケースが考えられると思うんですが、そういったところに関してはどうでしょう。それはまさにボランティア以前に全く予算を設定するなんて無理な人々ってことになると思うんですけど。 どうでしょうか。

市民企画――可能性と課題

佐藤(客席): ディレクターの佐藤です。実はご存知かと思いますけど「水と土の芸術祭」にはアーティストによる「アートプロジェクト」っていうのがありますが、それと並んで「市民プロジェクト」っていうのもあるんですね。 「市民プロジェクト」の方は公募して市民の人がこんなことをやりたいみたいなことを提案されて活動しています。全貌は私も把握できてないんですけど、身近に参加している者もいて、そういうふうなところから見ると今話されている問題にかなりクロスしてくるところがあります。というのは、そこではアーティストとボランティアっていう関係は何にもなくて、自分たちのプロジェクトを実現しようとするなかで必要になったら周りに協力を求めて、それに応えて協力しようと思う人が協力していくような形になるから、ある意味じゃ「市民プロジェクト」は人と人との関係のある種の理想型がちょっと見えているなという気がするわけです。だから今後みんなでいろいろ考えていく必要があると思いますけど、「水と土の芸術祭」がもしこれからも発展していくのだったら、「アートプロジェクト」と「市民プロジェクト」というものが、もう少し高次元で融合するような形になっていけばいいんじゃないかなと思ったりします。

杉田: 「市民プロジェクト」は、カタログを見るとPと付いているものが「市民プロジェクト」ですよね。そこで少しわけられているような形になっていると思うんですが、このような考え方をどのように考えてらっしゃるのかディレクターの他の方にもぜひ。

丹治 嘉彦 丹治: 私も非常に悩ましいところですね。今佐藤さんが言ったように「市民プロジェクト」が市民総合文化祭のようなそういった類のものじゃなく、何かこうこんな刺激があって、ここでしか見られないような表現形態になったら、それはアグレッシブでおもしろい展開になるのかなという気はします。ただアートプロジェクトとの融合性をどう見いだしていくのか、市民参加とうたっていながらそこで一線を引いてPというような括弧付けをすることで一線が見えてくるのはなんかちょっと違う気がして、私の中でもまだ解決できていない部分でもありますが、やっぱり将来的にはそれが分け隔てないような物語として見えてくれば私は一番おもしろいように思います。もちろん「アートプロジェクト」とか「市民プロジェクト」とか銘打ったものが明確にあるわけではない、ひとつの芸術祭としてこれからも続けていくのであればもっとダイナミックな形で展開できればいいのかなって今のところ思っています。

竹久: 私はPをつけることはすごく肯定的にとらえていて全然否定的だと思っていなくて。「アートプロジェクト」、「市民プロジェクト」、「シンポジウム」という3つの柱が要としてあって、「アートプロジェクト」も「市民プロジェクト」も同じような形でちゃんと柱として立ちあがっている。そのこと自体がやっぱり他の芸術祭に比べるとちょっと特異な例だと思うんですね。だからそれをちゃんと打ち出さない限り誰が何をやったかって見えてこないので、それを打ち出すという意味でちゃんとPをつけるのはいいと思います。実際同じ会場で「市民プロジェクト」の作家も入っていれば招聘作家も入っているし、公募作家も入っているって意味では別に線引きをしていないとも言えます。「市民プロジェクト」っていうのをやっていますということを、他はそうしてないから、言わない限り認識されない段階なので今は肯定的にとらえています。

堀川(客席): すみません、ずっと聞いてばっかりでいましたが、ディレクターの堀川といいます。よろしくお願いします。たぶん今の話題は「市民プロジェクト」の中でアーティストを扱ったものがあったことなのでしょうか? 今お話が出たように「市民プロジェクト」はこのフェスティバルのひとつの大きな鍵であると思いますし、私がここに関わってきた時からやっぱり市民の皆さんが、新潟の皆さんがとにかく好きなことをやってもらいたいなという想いがありました。なかなか好きなことできないんですけど。いろいろ考えて出てきた企画を皆さんが出してくださったものなんだけど。とくにアーティストを招くものに関しては、かなり地域でコミュニケーションしながらアーティストを援助していくって形がすごく強いです。それは4つぐらいあります。たしかに経済的な面とかそういうものは他のアートプロジェクトに比べると大変なんですけど、その分人がお互いにコミュニケーションしながら助け合っていくっていうのを最初から覚悟してその方々が提案したような形になっています。

小森: あの、実はBEPPU PROJECT(による「混浴温泉世界」)が今年10月にあるんですけれども、山出さんから聞かせていただいたんですが、別府でも「ベップ・アート・マンス」っていう市民のプロジェクトを別のレイヤーとして入れようとしていることに興味を持っていて、芹沢さんがそのことについてどう考えてられるかっていうのをちょっと伺ってみたいんですが。

芹沢: わかりませんが、今ここで議論されていることもやっぱりダブるだろうなと思うんですけど、2009年に作った時に「混浴温泉世界」っていうコンセプトで多様性に基づくある世界観を打ち出したんですね。出したのはいいんだけども、そうするとやっぱりプロのアーティストと言われる人と、普通に市民の人がやりたい創造性みたいなのを分けるべきなのか、分けるべきじゃないのかとか当然出てくる。今急に思い出したけど「混浴温泉世界」という名前を考えているときなんですが、別府の町を歩いてたらある温泉の管理人のおじさんが勝手に自分の家の前に盆栽というかなんて言ったらいいのか箱庭かと思ったけど勝手にやっているおじさんがいるわけね。

 

100円均一で買ってきたいろんなものとか拾ってきたものを並べて作られていて、これものすごいおもしろいなって思ったんだけど、それを例えばフェスティバルの枠の中に例えば彼をアーティストとして入れ込むことが良いのか悪いのかってけっこう悩むっていうよりやめようって思って、その時は。とにかく偶然歩いていてそのおじさんの表現っていうのに出逢っちゃうようにしたいと思ったんです。アートの質とかって言い方は僕あんましたくないんだけど、「混浴温泉世界」っていうものの中で今こういうふうに突出しているものを入れたいってなったときに平等性というんですか、市民参加の名のもとにいろんなものが入ってくることによって何かその「混浴温泉世界」と言っている物自体が薄まっちゃうというか、濃度が薄まっちゃうっていうふうなのも困るなと思っていて、その矛盾の解決策として後から「ベップ・アート・マンス」っていう枠組みを作ったっていうのもおかしいっちゃおかしいんですけどね。

その「ベップ・アート・マンス」っていうのはあるアートの玄関みたいな。

 

だから自発的にエントリーすれば誰でも出せるってわけで、その代わり場所の支援をしようと枠組みを作って、ここは使ってもいい場所、大家さんが使ってもいいよって言ってくれたものとかいくつかこういう場所のリストがあってそこを見ながら、市民じゃなくてもいいんです、あそこに住んでなくてもいいんで。

 

とにかくここで何かやりたいって言うのが出てくるとあとマッチングさせて、場所によっては有料になるところがあるから、そこは「混浴温泉世界」の実行委員会の予算から半分だったかな入れて、場所のお金が少しっていう格好で参加できるっていう。それで正式にはそこまでうたわないけど「混浴温泉世界」って展覧会も「ベップ・アート・マンス」の一個としてエントリーしていくみたいな格好にして。そうするとちょっと後付けだけど、一応いろんなものがあってそのなかのひとつの部分を加工して、そこは悪いけどディレクターたちのそういう想いみたいなのをかなり凝縮させちゃってアーティストの選び方からなにからかなり独裁ですよね、そういったものは作るんだけど、そのほかを排除しないようにして作ったという意味で、制度を後から作ったことは否定しない。

 

しかし、「混浴温泉世界」と「ベップ・アート・マンス」を同時に開催するのは2012年が初めてだからうまくいくのかもわかんないのですが。

とことんトーク 12人が語るアートプロジェクトのこれから 全2日間総集編! no.3

とことんトーク総集編タイトル小

とことんトーク 1日目-3

デザイナーは問題解決型、アーティストは問題発見型?

芹沢: しかし、ちょっとさっきの話を受けて、ここからはアドリブで話しますけど。実は最近特に思っていることがあります。別にアートとデザインをわけようと思ってるんじゃないのだけれども、いろんな現場で僕自体は、なんていうのかアプローチの仕方でやっぱりふたつの大きな流れがあるような気がする。すごく乱暴に言えばデザインではやっぱりクライアントがいるっていうことって大きいと思うんですよ。

 

それは一特定企業だったり一個人だったりでもいいし、もう少し広く市民とか地域とか、もうちょっとよくわかんない主体が出てくるかもしれないけど、とにかくクライアントっていうのがある問題を抱えていたり、あるニーズを抱えていたりして、対価を払ってデザイナーという人にある種の解決を求めてくる。それでデザイナーは、既存の与えられた枠組みの中に問題をきれいに収めたり、うまく調整したりしていって収めるような取り組みをする。色や形で処理する場合もあるけど、デザインの本質はその計画性ですね。問題解決型のアプローチだと思うのです。 僕自体も都市地域計画の現場にずっといて、その現場で一番なんかもんもんとしていたのは、やればやるほど計画ってなんだっていうのが……すごく、すごく思いました。計画ってやっぱりある時点の目標値とか目的とかなんかを設定してそこに向かって一直線に向かっていくので。それが例えばダムを一個作るとか何でもいいんだけど、25年間ぐらいかけてずっとそこにまで行くのに周りがどのような悲鳴を上げようがなにしようが一直線に走っていって、そこのところに入ってくる外からのちゃちゃとか揺らぎっていうのは全部目的を完遂するためにはやっぱりみんな邪魔なことになって。プロジェクトアポロみたいなああいう超巨大プロジェクトがわかりやすいかもしれないけど10年後に人間を1人月の上に立たせる、無事に帰還させるっていう単純明快な目標が立てられてそれをクリアするためにもう何百万項目のタスクが、時間を逆にこうやって決定されていくっていうようなね。それって未来のある時点に現在の今の自分の行動とか姿勢とか雁字搦めに縛りつけられるみたいなことなんではないか、とか計画っていったいなんなんだろうって思うようになりました。いろいろ考えてみればデザインっていう言葉もむしろ計画とも考えられるのだし、さらにいえばプロジェクトっていうのも計画って訳せるじゃないですか。それでその計画性を持っているものっていうのはある種問題解決型のアプローチっていうのをとると思ったんだけども、アーティストっていうのと付き合ってやっぱり最初びっくりしたのは、彼らが頼まれないでやるっていうことで。 きれいに言えば問題発見型って言ってもいいけど悪く言えば問題を起こすということ。  問題を解決するようなことをですね、アートとかそういったものに期待するってこと自体ちょっと違うんじゃないかなと。さっきからずっと出ている地域振興とか何かそういうタスク、目的を問題発見型のアートといったものに期待してくっていうのはちょっとボタンがかけ違っていってるんじゃないかなっていつも僕は思ってる。

芹沢 高志 でも、それは純粋なアートを問題にした時で、ややこしいのはアートプロジェクトってプロジェクトをくっつけた時だと思うんです。僕の今の話からすれば一方アートっていうのはどっちかっていうと拡散型で次々に予期せぬ出来事をこう取りこんでって、こう、それは創造性みたいなのも関係していると思うんだけど。どんどん何かが生まれていって状況が変わっていく。でもプロジェクトってくっつけるとやっぱりプロジェクトの持っている計画性っていうのがあるから、ある一点、例えばこういう「水と土の芸術祭」でも何月何日にオープンしなきゃなんないという縛りがある。みんな次々この場にあって触発されて作品ってもっともっと展開されていくかもしれないんだけど、やっぱりオープニングにはひとつの形が求められる。 っていう意味でアートプロジェクトを実行していく人間は体の中にふたつのベクトルをどうバランス取っていくのかっていうのが難しくなるんじゃないかな。それ自体は毎回いつも僕自体が悩むっていうよりそんなもんとして考えているところがあります。

そういう意味でさっき藤井さんがああやっていろんな話してくれたときにも納得する部分がすごくあるのね。やはり新潟水俣病とかそういったとこで、ちょっとさっきタバコ吸いながら2人で話していて、そういう意味で問題発生と問題解決みたいなことを話したいなと思ったのと、もう一個さっきの話聞いていて思いだしたのが、「横浜トリエンナーレ2005」の時になぜおもしろいのかなと思ったのがあそこの場所が保税地区に指定されているところなんで、保税地区っていうのは要するに海外から何か持ってきて関税かけて税金決まってそこからやっと日本国内に商品って入ってくるけど、関税がいくらかって決めなきゃならないために一時保管しているというようなところで。日本国であって日本国でないような中途半端さがすごくおもしろかったんだけど。 でもどっちにしても市民が入れないわけなんですよ、そこに。

 

競馬場の厩舎地区も競馬が始まると賭け事だから、馬の状態がわからないように一般市民はやっぱ立ち入り禁止になるし。 でもこういうのってそれを正攻法でこじ開けるとか、市民にこんな場所があるっていうのをこういうふうに開かせるっていうのは、正論というのかわかんないけど正攻法で、例えば経済の言葉とか政治の言葉とかっていうことを持ちだして、あそこをこういうふうに開いてみないかって提案していってもまず成立しない部分があると思う。たぶん新潟水俣病とかってみんなものすごく内心は気にしているんだけど、あまり触れないでおこうかなとか、政治運動的な雰囲気にはなじめないといった心情のときに、例えば藤井さんがアートという文脈の中で全く同じ問いかけとか参加してくれないかとかそういうふうな呼びかけをしたときに、文脈が変わっただけで市民がわっと参加してくるってことはありうるなと思ったもんでね。これはアートなのかアートフェスティバルなのか、そこはちょっと考えていませんけど。やっぱりその、こういうフェスティバルとかなんかの利用価値っていうとちょっと言いすぎかもしれないけど、我々個人個人としてこういうフェスティバルといったものを違う意味から利用していく、それはアーティストにとっても利用価値のあるものではないのかなっていうようなことは思っている。アートっていうのはなんか普通の凝り固まっちゃった枠組の中ではなかなか通用しない部分も、アートっていう枠組みの中で提起したり話したりすることによって、実現って言っても仮のモデル程度だと思うんだけど、それを見せる力はあるんじゃないかなと。そこは今でも僕自体は可能性をすごく感じるとこです。

杉田: 前半からの非常に困難なとこ、困難な状況でやっていただいてありがとうございました。なんかこんがらがっていたところに、ひとつ軸ができたんじゃないかと思います。今たぶん芹沢さんが指摘していただいた問題の中には、いくつかおもしろい観点があったと思うんですけども。都市計画者として、あるいは建築家もそうなんですが、施主がいるわけですよね。 クライアントって形で言われましたけれども。

 

言ってみると芸術祭とかこういった行政主導のアートのプロジェクトっていうものもある意味では施主がいる活動でもあって、一方では藤井さんが最初に言われたようにアーティストの活動は別に施主からの依頼ありきで動くのではないっていうような、恒常的なアーティストの活動っていうのがあって、それらの言ってみれば有意義な接点っていうものではあるんですが、場合によってはそこが有意義な接点ではなくて、なにか少しそこで問題を生じてしまうというようなこともあるのかなということを今日は話してきたのかとなんとなく思っているんですけども。 前半最後に問題を投げかけられていた藤井さん、タバコを吸われて頭がなんかこうクリアになったのかな?

市民参加――可能性と落とし穴

藤井光藤井: タバコを吸う前はクリアで、タバコを吸うと頭がもやもやしてきて、何か難しい話になっているなと感じつつも、さっき芹沢さんが僕のプロジェクトの話を少しされたので、かつ最初前半僕が言ったことも絡めて話したいですけれども、今回の自分の作品を作るにあたって、市民と協働型のプロジェクト……、協働型っていうより、市民に参加してもらって作りました。その時に100人ほどエキストラを応募しましたが、その時の文言ですね、告知の仕方で僕と事務局側に齟齬があったんです。それは何かと言いますと、新潟水俣病を扱うというコンセプトを果たして前面に出して公募していいのかどうか僕は悩んでいたんです。もう少しゆるやかにそこは前面に出さないでいった方がいいんではないかという自主規制をかけていたんですね。ところが事務局は突っ走ってですね、ぼーんと新潟水俣病第一次訴訟裁判がプロジェクトの核みたいなことをそのまま言ってしまったんですよ。 そうすると、僕はありゃ、と思ってですね、これじゃあ人は集まらないと、つまり社会的・政治的な問題を扱っている作品、いかつい作品、こんなものに人は来ないという僕の中の何か今までさんざん言われてきましたから。ところがふたを開けると2日で100名の定員がいっぱいになり、参加を断るくらい集まっていました。 このことは僕の中ですごく反省することになりました。市民を甘く見ていたというか、僕自身が市民を信頼していない部分があったし、また逆説的に言うと…逆説的ではないですけど、違う立場で言うとさっき芹沢さんが言ったようにアートという枠組みが、芸術祭という枠組みがあったがために人々がそこに来やすかったという側面をもう少しこれから分析していきたいなと思いました。新しい、僕の中では「ああ、自分で自主規制してたんだ」という部分はあって…ちょっとまとまらないんですけどね。 あのそういう部分…。

竹久: あの、自分が藤井さんの担当なので、記憶の違いを話したいなと思うんですけど。全然、記憶が違うんですけど…。このテーマを扱うってことは下見の前になんとなく候補としてあったんですよ。

 

最初は市民協働型を目指してなかったんです。最初は作品に出演されている新潟水俣病第一次訴訟の弁護団の坂東さんに取材をするっていうことだけが決まっていて、それでけっこう淡々と作られていくような作品のプランがあがっていたんですよ。ですが、何回か新潟に来て準備をしていくなかで、これで果たして本当に、芸術祭の会場の中で新潟水俣病の問題を扱うことで3.11を経た今の私たちが何かを考えさせられるかどうかっていう議論になっていきました。その時に、もう一歩踏み込んだほうがいいんじゃないかって話になったの覚えてません? 私は確実に覚えているんですけど。それで、じゃあ映画を作るということであえてエキストラを募ろうって言ったんですよ、しかも100人募ろうって、藤井さんが言って。100人も来るだろうかっていうすごい不安を私はすぐ覚えたんですけれども。 でも、とりあえず募るって決まったからには大々的に直球で広報をしようという話になったと私は理解していて、4月15日に芸術祭の記者発表会みたいなのがあったんですね、ここの大かまぼこで。それに先立って私は藤井さんに、その日私が壇上で挨拶するわけですけれども、ここでちゃんと呼びかけたいと。新潟水俣病をテーマに考えている作家がいて、その作家が人を募ろうとしていることを呼びかけたい。 だけど、これはデリケートな話なのでちゃんと文言を考えないとうまく伝わらないから、藤井さんに作家としての文言を考えてもらったんですよ。それを当日、私は読み上げるという形で。それでそういうふうな形で始まっていた後に、実際のエキストラ募集の時期が始まっていて、本当に集まるんだろうかっていう不安があったんだけれども、蓋を開けるとすぐに集まったっていう経緯でしたね。

それはさておき私が言いたいのは、藤井さんもそうだったようですが、私にとってもなんですけど、この新潟水俣病という問題を作品のなかで扱うっていうこと自体、簡単なことではないわけですよ。さっき藤井さんは結果的に芸術祭側にうまく使われているかもしれないって話を感想として述べられましたけれども、それ以前の問題として、このテーマを本当に扱っていいのかっていう悩みがまずありました。絶対有意義だと思いつつも、一方で作家が藤井さんなので、藤井さんが真っ向からこの問題に向かうことになると大丈夫だろうかと。そうするとして本当に私たちは耐えうるのかっていうのは実際読み切れない部分がありました。ただ今回の芸術祭のプロデューサーや先ほどいらした大熊さんが前々から新潟水俣病に関するドキュメンタリー映画の製作に関わってきた方たちだっていうことがありました。その方たちがサポートしてくれると思って、その方たちがストップしなかったので、じゃあできるんじゃないか、と決まっていったというのが私の印象なんですね。そういう流れがあって、藤井さんはこの作品を実際に作ってくれたということです。

杉田: 藤井さんには反省してもらえたんだと思うんですけど、ある意味だからステレオタイプな見方をして市民の方にはそうなればこうなるだろう、ああすればこう動くだろうっていう、何か参加を募るって場合じゃなくてもいろいろな場面があって、例えばこういったものは好きじゃないだろう、こういったものには拒否反応を示すだろうとかっていうのを、なんかついついこちら側のイメージとして捉えてしまうというのが、まあありがちなことで。

藤井: 今おっしゃった発見型のものを創る衝動があるんですけど、一方で解決型の思考というか、作品を作るにあたって、その計画段階でどうも規制を自分の中で、ステレオタイプな規制をかけてしまって、自分自身で制作の可能性を縮めているなと。例えばこういった公金を使う時にこそ、この世の中には実際にはいないステレオタイプの市民を想定するのは間違っていたと大反省しました。

杉田: 計画をする側もそうだし、もちろん小さな作品というか個人の作品の場合も、ある種の計画っていうのがあってそこの中で想定する他者というか複数の人とかオーディエンスとか、エキストラっていうふうに複数の人たちを想定した時に、その人たちの価値観までをイメージしてしまうというか想定して何か動く、動かざるを得ないところもある。また、動くと動いたことを反省する時もあるし、たぶんこれは藤井さんだけじゃなく皆さん経験されていることだと思うんですけれども。

たぶん今の問題はそのまま話を広げていってもいいですし、あるいは、かつては2000年代に最初の越後妻有のトリエンナーレの時は、ある種パブリック・アートみたいなものでなにか大きなものをパブリックな空間に置けばいいでしょうみたいになっていたんだけども、それがむしろもうちょっと人と関わるというか、それこそ先ほど丹治さんが言われたようなプロセスの中で気付きがあるとかっていうような形に変質していったと思うんですね。それが2005年なのかわかんないけれども。今はかなりそういったプロジェクトなんかも入ってきていて、たぶんそういった時には当然そこに参加してくれる人っていうのに対してある種のそこで性格付けをして、この人たちがこういうふうに入ってきてくれるっていうのをどうしても計画せざるを得ないっていうところがあるのかなというふうに思うんですけれども。それはもうちょっとたぶん日常的な活動のなかでも感じられると思うんですけど、どうですか。羽原さんとか雨森さんとか。参加を募るという意味で例えば子どもとか老人と。

羽原: すみません、ご質問の確認なんですが、アートプロジェクトという枠を通じて、自分たちが市民と想定している人たちをどういうふうに日常的に巻き込んでいるかという話でいいんでしょうか。

杉田: そうですね、市民、その参加してくれる方々っていうのはこういう価値観の人だからとか、あるいはこういった制約のある人たちだからっていう形で、ある共通のイメージというかなにか処し易いようなイメージをどうしても作らざるを得ないという面もあるけど、そういうイメージを作ってしまったがゆえにむしろ本来もう少しできたんじゃないかっていうプロジェクトの経験って皆さん持っているんじゃないかと思うんですけれども。もしあれば実例を挙げていただいたり感想を聞いて話を広げていけたらと。

市民参加――取手 アートと福祉

羽原: ステレオタイプという点ではさっきお伝えした高齢福祉課とやっている事業がたぶん典型で65歳オーバーの高齢化率34%っていうのが先に頭にあって、でもそれはアートは問題解決ではなく問題提起だというのは私もとても共感するところで、なにかの目的のために使うんじゃなくて、アートとアートが目的とするものにちょっと寄り添って一緒に進んでいきませんかみたいな、ちょっとそんなにラディカルではないアプローチの方法を取っているんです。でもその想定していた65歳オーバーってなんの実感も我々にはなく、実際その場を開いたのはまさにその実はものすごくリレーショナル・アートを志向するアーティストたちの格好の、というとあれですが、ものすごくいいパートナーがボロボロ出た、すごい生々しいけど、いるんですね。勝手に、プロジェクトをお願いしてもいないのに、深澤孝史の「とくいの銀行」っていう、得意を預ける銀行っていうのを彼がやっていて、その銀行員をかって出るおばさんがいたりとか、こういう得意があるんだけど引き出してみない?みたいな話が、高齢者向けのコミュニティ・カフェと位置付けられているところでアーティスト不在で起こるみたいな。

今取手はものすごくミクロな関係性、一対一の関係に基づこうっていうふうにフェスティバル型をいったん休んで試行しているんですね。それはそのアーティストに顔の見える関係性でなければプロジェクトを行わないっていう制約を課していることは課しているんですが、それは逆にプロジェクト作品自体を面白くしているなというのは実感として感じています。冒頭に戻るんですけど、藤井さんがおっしゃっていた2005年のアーカスで結果的に日本に残ることになった、日本がちょっとおもしろくなるように感じちゃったんだっていうところをちょっと突っつきたくてですね。そこを聞かせてもらっても?

藤井: なんか柔らかくいじめられている感じがしますね。日本がおもしろいと思ったのは、プロジェクトを制作する際に、そういった要請が強かったということに興味を持ったからです。日本社会でアーティストがどうやって生きていくかという時に、ワークショップなどを通して市民と関わっていかないと生き抜けないっていう状況を知りおもしろいなと思いました。また、僕は当時からソーシャルな思考性が強く、当時日本で出会うキュレーターの方々に藤井さんは日本にいない方がいいよ、あなたにとって幸せなのはヨーロッパで活動を続けていくことだよと口々に言われました。皆さんが知っている有名なキュレーターの方々から。で、ならば嫌がらせの意味を込めて日本で活動してみようかと思い、それまでは土地とかね、日本とかそういうローカルな特殊性を考えてきませんでしたけれども、自分たちが生活してアーティスト活動していくなかでその土台となっているところにすごい興味が起こって、結局ずるずると残っています。

杉田: 先ほどローカリズムを気持ち悪いと言った人とは思えない話だなと思ったんですけれども。 白川さんどうぞ。

市民参加――新潟・沼垂

白川: 藤井くんの話はいつも地域的なんでおもしろいですけれども。僕は今話を聞いていて、地域の話に埋もれるっていうか埋もれるという僕自身が北九州の出身で群馬の者ではないものでやっぱり新潟も違うんですけれども。沼垂の点で何か言われましたけれども、僕は沼垂の今回の場所、トタン屋根があって向こう側にすごい大きな発電の煙突が立っている風景を見たときに北九州の風景にすごく似ているなって思ったんですよ。八幡製鉄所のかつてあった風景とほとんど同じようなものがあそこにあったんで、あぁここも同じなのかな、みたいな。

 

やっぱり似たような感覚っていうのは群馬の前に水戸で話をしたことがあると思うんですけど。群馬で山奥を見たときに自分の過去の体験、脳髄の体験と村の人の体験が重なるようなことがあったりしたので、結局、地域、地域って言っても自分の記憶のなかとその場所とか時間的なとこで結びあえるような、そういうようなところから掘り下げて、自分の記憶のなかの構造みたいなところまでいければおもしろいな、そんなところが掘り出せればいいなって思って活動を今考えています。

沼垂のラジオの方はですね、全く藤井くんが考えたようなやり方ではなくて本当僕なんかはまるっきりなんにも考えてないというような状態で、ただあの場所が非常に興味深い。その周りに来る人たちと話をしていると非常にまぁ自己主張の強い人がたくさん来るのでそのことも非常におもしろくて。ラジオという媒体に興味があったので、こういう人たちと一緒にラジオを使った活動を一緒にやるとおもしろいなっていうことで始めたんですよ。 そうしたら今日は会議で、会議っていうか仕事でこちら側に来ていて向こうの方にいる大澤くんと関口くん2人でやってもらっているんですけど。

 

僕がいなくてもあそこのラジオ局に来てもう1時間でも2時間でも地元の人が来て、放送番組を考えなくてもどんどん放送ができていくっていう。  でも僕はやっぱり地域の人たち、これはここだけじゃなく日本中どこでもそうだろうと思うんですね、やっぱりそういうものがあれば、行って話をしたいとか伝えたいっていう何か確認したいっていう気持ちを持っている人が日本中にいるんだろうなっていうふうに思って。今回は12月の末まで毎週末(新潟に)来てここの地域の人たちと一緒に、何が起こるかわからないですけど、いろいろちょっと楽しんでいきたいのと、もうひとつこれも僕自身にとっての勉強だなっていうか教えられることも多いので良い勉強になるし。その意味ではアートの勉強は終わらないということで、自分で考えています。

杉田: どんどん被せた話をするという約束だったのになかなか皆さん、今の、どうぞどうぞ。

市民参加――大阪 アートと福祉

雨森: 地域の人とか市民のステレオタイプって話を引き続いてっていうことで、話を聞きながら考えていたんですけど、私の中にもあるんでしょうけど、藤井さんとは反対に私自身は、信じすぎているところもあるかもしれないなと。本当におもしろいと思う活動をやっていけば、そのおもしろさは伝わるに違いないというところがあって、もちろんその地域の人みんなが賛成してくれないということもわかりつつ。

 

例えば最近行っている老人福祉施設でのワークショップで、私たちのやっていることっていうのは古い編み物というか着なくなった衣服を解いていくというもので、いらない衣服を持ってきてもらって一緒にお年寄りの方と解いていくんですけれども、本当に作業なんですよ。2013年の完成を予定している呉夏枝というアーティストのプロジェクトなんですが。そこで古い着なくなったものっていうのはお年寄りの人はたくさん持っているだろうなっていうのと、またそういったプロセスそのものを地域に開いていきたいというのがあって、これまでのプロジェクトで繋がりのあったこの老人福祉施設という場所で実施することになったんです。私たちとしてはそこで地域の老人たちに対して何か抱えている問題を解決するためにスタートしたものではないんですが、結果としてお年寄りの生き甲斐になっているということが、施設職員から聞いている報告としてあります。というのは、生活保護を受けていたり、介護されていたりでいつも与えられている側である人たちが、普段から自分たちにも何か社会に役に立ちたいと考えているにもかかわらず、そういう機会がほとんどない。それで私たちのワークショップは、そういったお年寄りの思いを実現する機会になったようなのです。

 

自分が何かの役に立っているというということが実感できている機会になっているということです。私たちが一方的に与える側ではなく、私たちも助けてもらっている。また、その作業の日を大事な仕事というか予定として生き甲斐のひとつになっているというようなことを職員の方から教えてもらって、さっきの問題発見型と問題解決型でいうと、なにか問題を解決するためにやっているわけじゃないけれども、結果として課題を解決することにつながっているということ。アートにはそういった機能があるということは信じつつも、それはあくまでも結果であり、まず問題や課題を知るところから活動をスタートしているわけではないので。

杉田: でもそれは考え方によってはかなり発見で、藤井さんとは反対で、むしろでも普段ケアされている人に何か作業してもらおうって普通思わない。 むしろそのステレオタイプな意味でのケアされている方に対するイメージを壊しているプロジェクトになっているんじゃないかというふうに思うんですけれども。たぶん先ほど藤井さんが言われたのは逆で、何かそうではなくて本来可能性のある人とかもうちょっと行動可能な人に対してこう考えてしまったんだという反省だったと思うんですけれども。先ほどプロセスによる人と人の気付きこそ意味があるっていうことをおっしゃられた丹治さんはどうでしょう。

「ボランティア」の問題

丹治: 私は逆にちょっと皆さんに聞いてみたいと思うんですけど、今日の配られた(関係者用の)プリントのなかで竹久さんがボランティアの人々との関わりについてって(書いているのが)4項目くらいにあって、これは私すごく今回の芸術祭もそうなんですけど、さまざまなプロジェクトを通して感じているところがあります。ちょっと竹久さんのこのボランティアとの関わりについてと書かれたことと今私が話すことが乖離してたら改めて提案しなきゃいけないとは思っていました。 例えば今回さまざまな方々にボランティアとして参加してもらっているんですが、前回の方がより多くの方が関わっていたんです。正直な話、少なくなっているんですね。例えばメイン会場、柳都大橋って橋があってそのたもとに渡辺菊眞くんに「産泥神社」という大きなプロジェクトを行ってもらったんですけど、力仕事が相当多く、みんなで達成感を味わってもらおうということでボランティアとして参加してもらったのですがなかなか続かない。

今回「市民プロジェクト」という別の柱があって、前回はさまざまなボランティア活動に参加してもらっていましたが、今回は「市民プロジェクト」の方に自分たちが何かできると、作家のサポートより自分たちで何か表現する場を与えられて、そこで何か演出してみたいというような人たちの割合が少し増えているところがある。それは芸術祭全体から見ると非常によいことであるが反面、参加している人たちがだんだん肉体労働あるいは汗をかくことに対して拒否反応を示してきているところがあるんです。そういった意味で苦労したところもありました。実際ボランティア活動と言う形でさまざまな形で人が出てきた、それはすごく有効な部分であると同時に、こういったフェスティバルの中でボランティアサイドの意思の変化が起こっているということを私自身感じています。全国の至るところでこういうプロジェクトが行われている中でボランティアの意識についてどういうふうに皆さん考えているのかなと。私は今回すごくお聞きしたいっていうか。

来場者A: ボランティア向けの文章を書かせてもらっている阿部と申します。お邪魔させてもらってすみません。

 

今の丹治先生のお話を聞いてさっきの流れとかも言うと、ここの今回のテーマも言うと、いわゆるゼロ年代のアートプロジェクトみたいなことがひとつの大きなテーマになっていると思うんですけど。その方向としてやっぱり市民参加型がより強まっているっていうひとつの形、大まかに言うとその話に動いてきたような気がするんですけれども。僕自身も藤浩志さんの作品のリサーチャーとして今回の「部室ビルダー『かえる組』をつくる。」という作品に関わらせていただいたんですけれども、実際にそこの現場の、みずつちっていう現場で働いてらしたというか、汗を流していた方の話を僕はぜひ聞いてみたいなというのが正直なところです。その丹治先生の関わりのなかで、今の話のなかで。僕が一応その時に関わらせてもらったときに桾沢さんっていう向こうにいらっしゃる方がいるんですけれども、事務局だったりした方が実際どう感じていたのかっていうので話に広げていった方がおもしろいんじゃないかっていうのが正直あるんで、できれば桾沢さんに何かお話を、感じたこととか言っていただければと。

桾沢(客席): 今急に振られたので何も答えられないかもしれないんですけど。 私は「水と土の芸術祭」のスタッフをやっていまして、ちょうど一年くらい前にこちらの新潟に関わるようになりました。いきなり振られたのでどうしようかな。事務局の仕事としては広報の仕事をやらせていただいているんですけど、今丹治さんからの問題提起というか話のなかで市民参加型のものが多いよということは広報の中でもうたってきたことでもあります。実際ですね、現実と理想とはやはりギャップがあるもので広報に携わっていても市民の方の参加っていうのを呼びかけてもなかなか集まらないっていうのが現状だったと思います。そのなかでも本当に参加された方のお話を聞くと、それぞれ充実されていたと思うしそれこそ汗をかかれたっていうのがすごくいい意味で作家さんの持って行き方によってすごく充実感を得られたってことで、なかなかそれを事務局側がお伝えできなかったっていうのはひとつ反省点でもありますし、まだこれから芸術祭は続きますのでそこはこれからどんどん打ち出していきたいところなんですけれども。 ただやっぱり集まらない現状っていうのはなにかやっぱりこの芸術祭に対する市民、一般の方からのイメージとかそういったところがまだまだ壁といったものがあるんじゃないかなと感じています。ボランティアを受け付けるというかアートの担当としてなにか一言ありませんか。私はちなみに東京から来たので新潟の市民ではないんですね。市民にはもうなったんですけれども、もともと新潟にいた、しかも2009年の芸術祭を体験しているスタッフがいろいろ詳しく言えると思うんですけど。

石山(客席): 石山と申します。私も2年くらい前に新潟に帰ってきまして、2009年の時はサポーターとして芸術祭を少しお手伝いしました。その時はサポーターさんの活動の内容っていうのがもっとどちらかというと入門的な活動の仕方だったんですけれども、やっぱり丹治先生がお気づきになっていることと同じで、やっぱり今年は本当にサポーターさんが自分のやりたいことっていうのを2009年で見つけたんですね。その中で新しい自分のやりたいことっていうのを追求していくっていうのが増えて。サポーターさんの担当をしていたんですけれども、なかなか人が……。ちょっと方向性が変わってきてしまってけっこう苦戦してきました、現在も苦戦しているところです。 いずれ必ず起こってくることだと思うんですけれども、全国の他のアートフェスティバルではそのあたりのことをどういうふうに解決してらっしゃるのかなっていうのはすごく感じていますし、根本的に参加する人が常にモチベーションを高めながら継続していく方法っていうのはすごいやり方なんだろうなっていうのはすごく感じています。

竹久: 現状の整理をちょっとさせてください。今回サポーターさんって言っている人は大きく分けて2種類あります。前回の2009年の時にできた「水と土の芸術祭市民サポーターズ会議」というものがあって、そこに登録されているサポーターの方々がいらっしゃいます。それとは別に今回新たに2012年にみずつちを行うにあたっていろんな作家が市民参加プロジェクトを作っていくなかで、新たに呼びかけをして、何かおもしろそうだなと思う作家にいて継続的に関わっている人もいるんですよ。なので、ある意味では前回のサポーターズ会議に入っていた人数が本当に多く、それに比べると今回は「市民プロジェクト」とかで自身でやりたいことを見つけられた方もいるので、いわゆるボランティアとして芸術祭に関わる方の人数は減ってはいるんですけれども、新たに今回来ることになったアーティストをおもしろいかもと思って参加していくという人は増えてきている。だから総体としては減っているけれど、状況自体が違ってきているっていうのがあって、藤井さんの作品のために100人のエキストラを募った時も思ったより早く集まったとか、特にプロジェクト型の、例えばナデガタ インスタント パーティーの作品に対してはけっこう持続的に自主的に活動を続けているサポーターの方たちもいるんですね。なので、ケース・バイ・ケースで、一概にボランティアの人が全然集まらないというわけではないと思って少し補足を入れさせてもらいます。

小森 真樹 小森: いろいろなモチベーションで参加している人がいるということですよね。「サポーター」がとか「アーティスト」がと一括りにして語ってはいけないのは大変重要な点だと思うんです。その上で言いますが、先ほどおそらくおっしゃっていたのは、サポーターの話です。芸術祭によっていろいろ呼び方がありますけど、一般的には「ボランティア・スタッフ」と呼びますよね。彼らがいないともはやアートプロジェクトや芸術祭自体を回すことができないとふうに運営が成立しているんですよ。どのように芸術祭を運営していくべきなのか。実際プロジェクト・ベースの表現が国際芸術祭、こういう芸術祭の中核を担うようになったという歴史的な推移があって。そうであれば、ボランティアに依存して運営を回すということでいいのだろうか。簡単に言うと労働力ですよね。労働力として非常に過酷な現場もある。でも、その参加したいって人はいろいろなモチベーションで参加していて、ある人はこのアーティストと一緒に仕事がしたいっていう人もいるかもしれない。

 

またある人は、ちょっと芸術祭に参加している雰囲気を味わいたいとか、また、それこそブランドというか、こんな芸術祭のボランティア・スタッフやったんだよというような、それくらいの動機の軽い人もいるかもしれない。というときに、それぞれのモチベーションに満足させる形で何か現場の経験であったり多彩な選択肢を提供できるなら、ある意味需要と供給が一致するので一番いいのかもしれないんですけど、そのあたりのことについて伺ってみたいんです。実際にプロジェクトをやってらっしゃってボランティア・スタッフあるいはエキストラの方を使って――「使う」という表現はすごく悪いですが―—— 彼らと一緒に仕事もしていた藤井さんであったりとかいかがですか? 募集をかけてこういう仕事ですよっていうときに、いろいろな言い方ができると思うんですね。そういうことをアーティストやディレクターの立場だったり、広報に携わっている方はどういう思いをされてきたのかなという話から少し広がるのかと思うんですが。

とことんトーク 12人が語るアートプロジェクトのこれから 全2日間総集編! no.2

とことんトーク総集編タイトル小

とことんトーク 1日目-2

1990年代から2000年代へ 行政の文化予算・政策の変化

吉本: 行政との関係でまさしく今ご指摘になったことをコメントした方がいいと思ったんですけど、90年代と2000年代で比べると特に都道府県、市区町村の文化行政に対するスタンスが圧倒的に変わったんですね。日本の文化予算っていうのを経年変化でずっと見ていくと実は1993年にピークがあるんですよ。それは都道府県、市区町村それから文化庁も入れてだと思うんですけど、93年度の日本の文化予算は1兆円あったんですね。それをピークにしてどんどん減っていて4千億とか3千数百億になっていると思います。その90年代でトータルでは5兆とか6兆というお金が使われたと思うんですが、そのうちの3兆何千億円かは建物に使われてハードに消えていて、これは箱モノ批判ということで随分言われたわけですけども、90年代にはカウントの方法によっては5日に1館ずつ新しい文化会館ができたという時代でした。それが2000年以降そうかといいますとそういう状況では全くないんですね。行政の側から税金を使って文化をやるっていった時に、実は先程藤井さんがおっしゃった、地域プログラムをやってほしいと言われたというすごく象徴的だと思うんですが、文化施設を建てる時もそれがどういう目的のために使われているかっていうことに自覚的だったとはとても思えない。でも2000年以降になって結局予算が減って、その中で文化に予算を出すということの意味付けを行政の論理の中でちゃんと説明しなきゃいけないって時に、ヨーロッパ型のアーティスト・イン・レジデンスでアーティストが一定の期間、普段とは違う場所に滞在して、そこの空気を吸ってアーティストの作品の中にいつかはそれが昇華されるだろうみたいなレジデンスのあり方では行政は説明できないんですね。 なので滞在した作家さんに、例えば6カ月でとにかく作品作って残して下さいとか、地域の子どもたちや地域の人に何かやって下さいとか、行政が出してるお金が直接的に入っていく理由が見えやすいので、そういうことになっているんじゃないかと思います。

吉本光宏随分前の話なので言っていいと思うんですけど、実は2006年にうちの研究所で(前出の茨城県の)アーカスプロジェクトの次の展開を考えるためにリサーチをやらせてもらったんですね。その時どういう意図で仕事を発注されているのかずっとわからなくて、話をするうちに要するに県が出す予算を継続するための県内部への説明のロジックを考えて下さいということだったんです。 一言で言うと。 違うな、アーティスト・イン・レジデンスって本来はアーティストの創作活動支援するという位置から始まったのに、どっかでずれてるっていうことかな。今そういう時代にあると思うんですね。それで今の雨森さんの話もありがちで、別に人材育成をやっているわけではないわけですよね。それはやっぱり役所の論理になってくると、税金を使ってそのことで人材が育成されるってことだと、税金を使う理由はあまり説明しなくていいわけですね。だからそれは別にアートのプロジェクトじゃなくても構わないわけで、そういうものに今雨森さんがおっしゃったように、行政から与えられた課題をこなしながら実は本当の目的のことをやっている。これはこれでひとつの考えだと思うしやり方ではあると思うんですけども、本当にそれでいいのかなとすごく感じるところですね。

アートプロジェクトの評価方法――3つの階層

吉本: ここでもうひとつ別の話をさせていただこうと思うんですけど、たぶん今日の議論の中でひとつ大きなテーマになるであろうアートプロジェクトをどうやって評価するかっていうことなんですが、最近評価といった時に3つの階層に分けて考えることが多くて、アウトプット、アウトカム、インパクトっていうんですね。 アウトプットっていうのは何人来たとか何回公演やったとかそういう数字でわかるものですね。アウトカムっていうのは本来の目的を達成したかどうかという質的なこと、更にインパクトって長期的に見て、例えばみずつちを50年間やり続けることによってどんなふうに変わっていくのか、あるいはそれをやっていくことによって人材が育成されたとか、経済的な効果が出てきたとか、そういう3つくらいの階層があると思うんですね。3つ目を目的にするとずれていっちゃうっていうか、経済の活性化っていうのは、確かに人が来れば結果的に経済は活性化する部分はあるんだけども、経済の活性化を目的にみずつちのようなアートプロジェクトをやるっていうと、やっぱり軸がぶれちゃうと思うんですね。確かに効果はあるんですけど、そこを目的にすると事業の目的そのものが変わってしまう。そこはすごく難しいというか注意しなきゃいけないところで、すごくしたたかに役所には言いながらこっちはちゃんとやりたいことをやるっていうね。これは今の正しいやり方というか、生きるためにはそういうことかなと私は思いました。

行政とアートプロジェクト――取手

羽原: まさに取手のケースもそうで、取手は文化芸術課という課があるんですね。市町村レベルであるというのは割と珍しいと言われているんですけれども、それでもやはり継続性の観点から言うと毎年行政内での引き継ぎを取手アートプロジェクトが請け負っているようなものなんですが、吉本さんがおっしゃるように、行政の求める成果の見えやすいものが自分たちの第一目的ではなくてあくまで副産物だっていう自分たちの理解を求め、でも副産物の効果をきちんとアピールするというのが行政と付き合い方のコツなのかなと思っています。

取手のおもしろいところは、もともと東京芸大のキャンパスが取手市にできたので、パブリック・アートを設置して下さいと市がオファーしたところ、いやもう物じゃない、事だ、と当時の教授陣はおっしゃって。その逆プレゼンテーションがあって、じゃあ取手の競輪というのもあるし、地元にたくさんある放置自転車をテーマにしてやろうっていうので「取手リ・サイクリング・アート・プロジェクト」というのが始まったという経緯があります。なので、最初の時点で市のオファーを覆して始まっちゃった。アーティストがおもしろがって個人的な欲望だったりその時の問題意識に応じて始まったプロジェクトだったので、比較的幸せな道のりを歩いてきているのかなあとうかがっていて思いました。

取手市とやっぱり付き合っていく上で、生々しい話を皆さんとできればいいなと思っているんですけれども、「取手アートプロジェクト」自体は市から補助金をいただいています。でもそれは補助金という形なので、これをしてくださいっていうわけでなく、事業自体は現場に任せていただいている状態なんですね。なので、NPO法人を設立して長期スパンでこういうことやりたいと言った時に結果が全く出ないんですね、1年では完結しないので。実は2009年まではフェスティバルをやっていたので、その年の来場者数はいくつで、こういう取材を受けてっていうような目に見える定量の評価ができたんですけれども、それが年度を超えて見えづらくなってきている点から徐々に文化芸術課からの確認というとあれですけど、本当に大丈夫なんだろうなお前ら、みたいな確認が入るようにはなっています。

ひとつのわかりやすい事例として実際、今団地で事業展開をしていて、そうすると遊休施設ではなく、すでに使われている場所を使うので、ダイレクトに住民の方が日々受け取っている状態。写真をお渡ししたのを見せていただけるようであればイメージがつくと思うんですけれども、まさに生活の真っただ中でプロジェクトをやってみることをやらせていただいていて、NPOの法人格もとったので、文化芸術課ではなく高齢福祉課と繋がってアートプロジェクトをやり始めています。これは今の団地の中にある拠点なんですけれども。胡散臭い写真になっていますが、小さい子から高齢の方まで一緒の場所を作ろうとしていて、高齢福祉課のニーズから言うと、すごく団地の中に高齢者が多いので福祉の観点で34%も65歳オーバーを超えている団地なんですね。見守りどころということで、元気でいるのだろうかこのご老人は、という場所が必要だというニーズがあったんですけれども。それは逆手にとるという程逆さまでもないのですが、アートプロジェクトと組んで若者の力を入れる仕組みを作りませんかと提案したところ、事業として県のお金もいただきながら継続的に続くことができるようになっています。なので、行政の付き合い方の一例としては違う担当から攻めていくとう切り口もあるんではないかなと現場としては感じています。

雨森: さっきの補足なんですけれども吉本さんのお話を受けて、私もその行政の要求に応えながら、一方で好きなことをするというある種ねじれた不健康な状態というのをできるだけなくしたいというのがあって。政策ですとか、アクションプランを行政側と一緒に考えていけるような状態に持っていけないということで、いろいろ話をするようにしています。なので、人材育成となった時に、人材育成してるんじゃありませんっていうのではなくて、いったんそれを受け入れつつ、人材育成はプロジェクトの結果としてあるわけで、本来のプロジェクトの目的はそこにはないというか、そういうことをいかに伝えられるかを常々模索しているという状態です。

杉田: 今の雨森さんと吉本さんのやり取りというのはおもしろくて。ある意味で行政の論理っていう枠の中で何ができるのかっていうのは考えなくてはならないし、もうちょっと大きな枠から見た時に、行政の論理自体をより健全なものに変えていく必要があって、じゃあそこに向けてのアクションというのはどういう形で可能なのかっていう、たぶんひとつの提言だと思うんですね。それは一体どのように可能なのかっていうのは今後も考えなくてはならない問題だと思うんです。

あと、もうひとつ先程気になったのは、アートプロジェクトの評価の問題で、アート観というかそれ自体の質っていう評価っていうのは、正当な評論をしている人と話をするとアートプロジェクト自体に対する批評がないというような話があって、例えば越後妻有っていうのは大きな成果をあげたんだけれども、同時にいろいろな問題を抱えつつあって、そういったものを検証していないとか、あるいは先程も雑談している中で話をしていたんですけれども、例えば海外のアートのプロジェクトっていうのはそこに出たこと自体がある種のキャリアになっていくようなものになっているんだけれども、日本のアートプロジェクトというものはキャリアになっていくのかというと、アートプロジェクトっていうのはそういった意味でなかなかできてないと思うんですね。もちろんそういった限りのなかで、アートプロジェクトの中でご自身のキャリア、何のいやらしさもなく本当の意味でのキャリアなんですが、そういった意味では丁寧にというかしっかりと考えてらっしゃる。

 

例えば、「ドクメンタ」に参加した場合と、国内のプロジェクトに参加したっていう場合というのは、プロジェクト自体の質っていうものが違うというか、なかなかアーティストにとって、そこに出るのが魅力かっていうのが大きな問題だと思うんですよ。

アートプロジェクトの評価――アーティストのキャリア

藤井: 今お話になったキャリアの話は、一般的に言われるアーティストの社会的な評価というか、アーティストの活動がどのような社会的な認知をされていくかという話である一方、アーティストの個人的なキャリアというか、自分の美学的な探求をいかに構築していくかという自分の制作における変化というキャリア、それは違う時間として考える必要があるのかなと思います。 例えば今回の芸術祭では、自分がこれまで発展させてきた思想なり技術が活かされ、次の課題に向かうという意味において幸せな場でした。自分の研究が進められ、研究費が出たというような感覚です。一方で社会的なキャリアとは、このような芸術祭に出展したという結果が重要で、それによって作家が権威を獲得してく、そのような近代的な制度を基礎にしています。そして、僕はこれまで社会的なキャリアを脱構築していくような形で、美術館や芸術祭とは違う領域の活動を作ってきたという側面もあるので、その観点から、今日の例えば新潟のアートプロジェクトみたいなものを再考してもいい時代なのかなと思います。

杉田: 白川さんはどうでしょう。

白川昌生

白川昌生

白川: 僕はキャリアに関してはいろいろあるんです。僕にはキャリアとかないんで。確かに僕には一生縁がない世界なんだろうなと思ってるんで。でも自分が社会の中に生きていてアート活動を通じていくことでなにか他の人とかあるいは自分が生活している場所ですよね、例えば群馬にいてそこの場所の生活とか人とか歴史とかそういうものから何か作っていける、表現していけることをまず作りたいなと思っていて、僕はそれが一番というかこれは僕だけの思い込みだけかもしれないんですけど、やっぱり近代もそうだろうけども、おそらくアート活動やってた人っていうのは自分が生活している時空感みたいなところでそれを表現に変えていくことはずっとやってきたと思うんですね。近代になって普遍的な言い方とかいろんなことができてシステムもこういうふうになっちゃったので発表する場所もインターナショナルになってサクセスとかいろんなことも起こるし。でも自分が実際生活している場所とか世界をあんまり普遍的なことばっか考えていても仕方ないので、まずそこをおもしろくしたいなというのはありますね。そういうものから出発するような。あるいはそういうものを通じて他の人と繋がっていける、あるいは次の世代に渡していけるような何かそういうものからしか出てこないような気がしてるんで、勝手に自分で思い込んで、キャリアはなしということでやっています。

大熊(客席): ちょっと質問していいですか。私は大熊といいます。 みずつち芸術祭の参与という形で参加させていただいています。

 

今皆さんの意見を聞いていて、せっかく税金を投入することがいいのかという話になっていて、それをどう決着つけるのかなと思って聞いていたのですけども、芸術祭に参加したアーティストのキャリアの話にポンと飛んじゃったんで、せっかくだから税金を投入してよいかどうかの結論を出してから次に進んでほしいと思いましたんで、途中だけどついつい発言させてもらいました。

杉田: たぶん結論は出ないと思います。

 

結論を出す場所ではないので。順序としてはキャリアといっても今のキャリアっていうのはアーティストのキャリア自体を問題にしているわけではなくて、これはアートプロジェクトをどういう観点で評価するかっていう話からきてるんですね。評価をどうするかって話をした上で、例えばそこに対して公金っていうものをどのような形で投入し得るのかという話は当然出てくるかと思うんですね。そこでできれば御辛抱いただいて、おそらくストレートではないひねくれた形から意見が出てくるとは思うので、ちょっとお待ちいただいて、それでも出てこなかったら、もう一回ちょっと。

大熊(客席): 結局このみずつちやる時も、要するに今回は2億7千万円、前は4億7千万円、なぜそこに税金をつぎ込むんだと常に市民から問われていて、市議会でも問題になったところであり、それに対して我々はどう答えていくのかっていうのは非常に重要な側面で、それが議論になっていたのだからそれをもうちょっと深めていってほしいなと思った次第です。

杉田: はい、わかりました。おっしゃる通りだと思うんですね。最終的にそこらへんのことをこういった枠組みの中で話をしていかなければならないのですが、ちょっとだけ待っていただいて。今話をしていておもしろかったなと思うのは、要は先程指摘していただいた問題というのは、例えば地域の問題とか社会の問題に対してある種のアートの役割っていうのをそこで押し付けてしまうっていうことが実はアート自体の問題ではないんじゃないかと。評価の3つの層の中の3番目だけが肥大しているんじゃないかっていう話をされていて、それに合わせて僕は2番目はじゃあどうなんだっていう質問を皆さんにしたんですが、実はこれは僕は関係していると思っていて、アートプロジェクト自体の質っていうのは興味ないと言ったけど、じゃあどれに興味があるんだというのが実はすごく関係してると思うんですよ。おそらくヨーロッパとかだと、アートプロジェクト自体の質を高めるってことが、芸術の必然性みたいなのが最初からある程度前提とされている国々の中ではそれを高めるってことがおのずと求められて、3つの層でいくと3番目の地域社会にどういう還元があるのかってことがあまり問われなくても済むってところがあると思うんですね。日本の場合だとそこはどうも肥大していて、お話を聞くと、どうしても例えば藤井さんが言っていたアートプロジェクト自体を脱構築しなきゃっていうのはその通りで、藤井さんがそういった意味、僕がこれから言おうとしている意味ってそれぞれそういうふうにおっしゃったわけではないんだけれども、アートプロジェクトの質的な意味自体に興味がないとなると、例えば地域社会に貢献するとか社会に対して還元するという非常にわかりやすい目的が出てくる。例えばそうなった時に、地域社会に対して非常に貢献するとか人材を育成するとなると、先程もうちょっと待っていただきたいという話をしたんですけれども、税金を投入するという側からすると、実はアートプロジェクトをやると人材育成ができるんだよとなるとある程度道筋はできる。だけどもそれは吉本さんが言われたように、どうもアート本来の姿とかけ離れている。で、二枚舌にしてそこで活動を続けていくと実はどうも意に反した目的のためにアートがどんどん誘導されていくということが起きるわけですよね。この問題の結論は出ないと思うんですけれど、今からいろんな方に意見を出していただきたいと思います。

プラス、その時に少し気になるのが、ひとつの成功事例として徳島県の神山のKAIR(ケア)というアーティスト・イン・レジデンスが紹介されていますが、神山ではとても不思議なんですけど、10年間アーティスト・イン・レジデンスが続いています。そこで担当者に聞くと税金を使っている。で、そこで何%の人がそこを認めると町としてはいいのだろうというような議論をした時に、できれば100%の人がそれを素晴らしい芸術のプログラムだというのがいいねって僕らは考えがちなんですけれど、実際にKAIRを動かしてきた人たちに話を聞くと、これがかなり違うんですね。それはなぜかっていうと、20%でいいっていうわけですよ。 20%の人が興味を持ってくれればいい、で20%の人がそれに興味をもって後の80%は何か変な人が来ているでいいんだっていうような形で神山は動いてますよね。これがスタンダードになって他の町とか行政区に適応できるとは思いません。けれどもこれはひとつの違った考え方だと思うんですね。あるいは彼らに、過疎地にアーティスト・イン・レジデンスでアーティストを招いて、展覧会をやってそこにいろんな人が来て、過疎を止められるのかという質問をすると、そうではない、止められっこないって言うんですね。アートの力によって過疎を止めることはできない。けれども緩やかに過疎化することはできると。そのために公共のお金を使うってことが、当然その20%の人にしかわからないことをやっているので、どうも80%の人は何やってるんだかって目で見てるって言うんですけど、かろうじて今そこのバランスの中ではそこに税金を投入するっていうことに対してとりあえず、大きな声のイエスではないんだけど、ゆるやかに止められると言う意味では成り立っている。

杉田敦例えば今質問に出た、公金を使っていくアートがしっかりと自立していれば公金を使う必要もないだろう、それに対して税金を投入するというのはどういうことなのかっていうのは実はとても大きな問題には違いないですよね。例えば最近話をする機会があった有名美術雑誌の編集長なんですけども、大学に招いて話をした時に、彼は村上隆とかああいった大きなマーケットを持っている人が実はアートを支えている、社会の問題を扱っているような芸術祭っていうのは非常にナイーブなものだっていう言い方をする。僕はそれだけではなくてマーケットで自立しているある種のアーティストもいるけども、そうではないアートの活動というのも日本では認められ始めている。ただまだ成果というのはわからない。つまりそれは、税金をそこに投入していいのかどうなのかわからない、判断もわからないというのは当然だと思うんですよ。ここに対しては皆さんどうですか。僕らも今回招かれているというのは税金を使ってるわけですし、あるいはもっとプロジェクト自体として税金を使って活動してきている人もいると思うんですが。今の質問に直接答えるという形でなくていいと思うんですが、全て密接に絡み合っていると思うんですね。アートプロジェクトの評価の問題。アーティストがどういう活動をするのかという問題。それとそういったプログラムをある種の税金あるいは公金がそれを支えているという状況。この状況はきれいに取り出してイエス/ノ―で答えられる問題ではないと思うんですけれども、少し乱暴にいろんな思いを出してみることがむしろひょっとするとひとつの答えらしきものになるかもしれない。だからちょっと勇気を持っていい加減な意見を少し言ってみた方がいいと思うんですけれども。

公金と芸術祭

吉本: 先程のアウトプット、アウトカム、インパクトって言った時のアウトカムの部分ですね。その事業が本来目指す目的を達成しているのかどうかと、それはみずつちの芸術祭が何を目的としているかっていうことが関係していると思うんですね。それで僕、不勉強で手元にあるのがこれ(ガイドブック)しかないんですけれども、これで見るとテーマがあって、テーマは転換点。これは芸術祭全体の、僕なりの理解なんですけども、その作品とかそういうことに対することだと思うんですけど、ちょっと(ページを)めくっていくと市長の挨拶の言葉があるんですね。開催にあたって。中段に2009年に開催した時のことが書いてあって、「新潟市内全域に点在するアートを訪ねるうち、市民は新潟の素晴らしいところや美しい集落を再発見しました。新潟を訪れた方は豊かな食や朗らかな人情に触れて多くは新潟ファンになってくれました」。っていう一文があるんですけど、例えばこのみずつちの芸術祭を行うことで、市民の方が、自分の暮らしている町がそういう歴史をもっていたということに気がつき、新潟に対して誇りを持ち、この町に住んでよかったと思い、さらにこの町に住んでいこうと思い、あるいはこの町をもっとよくしていこうと思うっていうようなことはね、仮にこのみずつちをきっかけにしてそういうことを考える市民が増えたとしたら、それはアウトカムのひとつだって言えるのかなと私はそういうふうに思ったんですね。そうするとそこに税金を使う意味はあるんじゃないかなと言えると思います。  税金を使うっていうことはもともと市民のお金ですから、結果的にそこに住んでいる市民に何が還元されたかと、もちろん人がたくさん来て、地元の商店街がにぎわって、経済的に潤うということも重要だと思うんですけど、それは経済的な目標を達成するだけなら芸術である必要がないわけで、今日来たばかりで全然見てないんですが、とりあえず僕は全部大かまぼこで時間を費やしたんで、そこにボーっといるだけでいろんなことを考えさせられる空間がそこにはあると思うんですけれども、ああいう時間とか空間を作る能力があるのがアーティストで、そのアーティストがその場所に来て、何かをつくることによって、何らかのメッセージが市民に伝わっていくっていうようなことが起これば、それはアウトカムって言えるんじゃないかと思うんですね。ですから例えば竹久さんとかディレクターの方々に、「水と土の芸術祭」はこういうことを目指していますというふうに何か目的が与えられ、それに基づいて今回のテーマでそういう答えを出していきましょうというようなことが、もしそういうやりとりがあったとするんじゃないかと。実際ディレクターにどういう課題が与えられたのか私は知りたいなと思うんですが、その辺は丹治さんいかがでしょう。

丹治: はい、すごく難しい質問ですね。この芸術祭は、2009年の時はまず新潟市が政令指定都市になって、人口80万人という大きな都市になってそこに我々が住んでいるわけですが、私自身やっぱり勉強不足で、「水と土」というキーワードの中、先人が培ってきたいろんな営みがそこに宿っていたというすごく大きな気付きがあったんですね。それが前回2009年の時にフラムさんが与えてくれた財産だと私は感じました。 今回2012年に「水と土の芸術祭」をあらためてここで行うことに関して、作品が広域に広がったことによって作品が見えなかったっていう反省があったんですね。逆に新潟市のいろんな場面でやったから見えてきたこともあって、今回はもう少しこの場に集約して、ここから新潟市の持っている財産を発信できる場を形成すること、ぎゅっとそこにエネルギーが溢れるような形でここから芸術の持っている意義であったり人が集うことの意味であったり、あるいは新潟の財産を来た人に感じてほしいというふうに私は感じています。 芸術祭がこれからどうなっていくか私もわからないんですが、そこに携わったことによって、ゆっくりと市民とともに一緒に紡ぎ出せる時間が宿ればいいのかなと私は感じています。

竹久侑

竹久: まず丹治さんたちが声をかけられたタイミングと私が声をかけられたタイミングにはけっこうなズレがありまして、私は7月に声を掛けられたんですね、開幕の一年前なんです。その時点でけっこういろいろなことが決まっていたんですね。声をかけられた際に市長に直々に会うということはなくて、事業計画書案みたいなものを見せていただいてその中に書いてある開催趣旨があったんですけれども、それが示唆するキーワードが地域振興だったんですね。その地域振興っていうキーワードがあって、これをどういうふうに実行委員長は思っているのかも確認はしてないんですよ。ただ、多くの人々が訪れることを望んでいるということは事務局を通してありまして、いろんな人に新潟の良さを知ってもらうっていうことを地域振興のひとつとして考えてらっしゃるのかなという印象を受けました。けれども、私は実際新潟に呼ばれ下見でいろいろ見ていくなかで、新潟自体がおもしろいというか魅力的な場所がたくさんあったので、このままでいいじゃないかってちょっと思ったんですよね。いい部分を地域の皆さんが誇りに思えたらそれでいいんだろうなというふうに思ったので、それを何か浮き彫りにできるような作品を、芸術祭を通してつくっていくというのが私にできることのひとつかなと思いました。

杉田: 他の方どうでしょう。白川さんどうですか。

白川: 公金を使うということもありますが、僕自身は今回こう……話が変わってしまうかもなんですが、僕が関わった理由というかそれは、ここの場所、今沼垂の場所でラジオ局やっておりますけれども、あそこの沼垂の場所を見て非常におもしろい場所だなと。それからそこに住んでいる人たちとディレクター堀川さんの紹介で去年の時点でお付き合いを始めて地域の人といろいろ話をして、人もおもしろいし場所もおもしろいということで何か一緒にやれるようなことがあれば、というようなイメージで私は今回始めています。税金を使うことというか、今まで僕も税金を使ったような作品もありますけども、ここの場合ではむしろいくつか具体的な形で僕なんか税金を使うなかで考えたのが、一番最初に、妻有のトリエンナーレ一番最初にやった時なんかの場合、税金使ってここでやるんじゃないかとかいろいろあったんですが、当時そういう時僕は地域のことなんか考えたりしていたので、自分がもらったお金をそのまんま材料費として消費する時に地域で材料を買って、地域の場所でそのお金の一部を還元するという形でやっていけばいいんじゃないかと、2000年の妻有の時には私は作品は妻有で作って妻有の石屋さんにお願いしてそこと連絡をとって材料費は全部そこで消費するという形でやりました。今回ここの場合はですね、私たちはラジオ局をやるということで腹を決めて、7月から12月まで毎週末沼垂に来て、ラジオ局を、実際の放送活動をやると。地域の人と一緒になって半年間やるということでアパートも借りましたし、そういうことでとことん地域と付き合って作品を作るという、こういうやり方もあっていいんじゃないかと今回私は考えています。ちょっと質問いいですか。小森さんがあんまり発言してないんで、小森さんにもいろいろ聞いてみたいです。社会学的なお金の問題とかどういうふうに考えているのか、ちょっと。

小森 真樹小森: お金の問題ですか。直接予算などについての話ではないのですが、今までの流れでお話を伺っていて質問させていただいて議題を投げるという形でつなげさせていただいてもよろしいでしょうか。最初に杉田さんからディレクターのお二方に質問されたのは、大きな目的があるとしたらディレクターのお2人は具体的にどのようにそれを要請されて、どうやって形にしたのかっていうことだったと思います。伺っていて、僕はもちろん行政の立場ではないし、一緒にお仕事をした経験もない、あとこういった公金を使ったり上の方がこういうことをして下さいって形で何かの企画をしたという経験もないので、現場がどういうふうに動いているのかに興味があります。今お話を聞いていたら、上から特にこれやってくれっていうのもそんなになくて、じゃあディレクターの方の意見を聞いて具体化するような会議があるのかと言えばそうでもなくて。なにか曖昧に伝えられているんだなというのがすごく意外というか、同時に、なるほどこれが噂に聞くやつかという両方あったんですが。竹久さんがおっしゃったように、「地域振興」のキーワードが与えられればそれをディレクター各自が解釈して広げていって具体化して……こういうことしたいんだっていうのを自分たちでつくってから上と対話するというのは当たり前なのでしょうか。

竹久: 私も事例をこれしか知らないので当たり前かどうかはわからないんですね。どうですか、取手は。取手は市から来たんですよね。

羽原: 何を目指すかっていうのはやっぱりこちらの側でいくつか軸を作って「取手アートプロジェクト」の事業全体の中でこのミッションを達成するために、ミッションに関しては一番堂々と掲げているのは、新しい価値観を作ること、それを社会に提案することだと。アートプロジェクト全般、どの規模のものでもミクロではなくマクロの部分でも、それを目指すということで、私自身は公金を投入する価値があるのではないかと思っています。それをどういった手法でやるかという点では、芸術祭がミクロの部分ではそれとして機能しているという事例も新潟で拝見させていただきましたし、「取手アートプロジェクト」ではもうちょっとローカルな団地の中でそれをやろうとしている。竹久さんがおっしゃっていた芸術の公共性ということにもおそらく通じると思うんですけれども、公金を投入する権限を持っている側の勇気というか、先程藤井さんがおっしゃっていたアーカスの件で、すみません事例になっちゃうからちょっと言わない方がいいのかもしれないけど、また同じような状況にあるんですね。存続のために県の中でどう理由をつけて事業継続をするか、そのために検討するっていう、財源を持っている側がそのある一定の投資の勇気がないために、アーティストが何かの制約を課されたりだとか現場が制約を課されたりだとかっていうような事例が、やはり公金を使う時には軒並みついてくるのかなというのは実感があります。

杉田: 藤井さん、ちょっと意見があったみたいなんで。

藤井: なんか議論がね、白川さんや竹久さんが自然な感じで独特のローカリズムにはまっていくというか、そういうことをぽろぽろと言ってしまうところにすごい気味悪さを感じます。つまり新潟が美しいだの、そういう話ですよ。 新潟という行政区分の話をこうもそのまますんなり話していく、それは新潟のお金が使われるから、じゃあ新潟について話そうみたいな。税金といっても解析度をあげて眺めれば、新潟のお金を使っているから新潟に下ろさなきゃいけないっていう論理こそ間違っていて、新潟だけで経済がまわっていたらそりゃそうですよ。でもここはさまざまな企業が連携しながらネットワークの中で経済が生まれているわけで、決して全てをここに落としていくのがどうのこうのっていう話はナンセンスというか微妙かと感じます。かつ、僕は新潟水俣病という題材を扱っているので、それが主催者にとって格好の使える素材である、芸術祭を行政に対して正当化するために僕の作品は役に立つんです。市長のブログにも僕の作品のことが書いてあるし、市民に対し自分たちの活動を説明する時に新潟水俣病とか社会性のあるものというのは説得力というか、運営側の素材としてあった方が有利であることを僕は知りつつ参加していますけど、ただ自分の作っている作品が、いわゆる新潟の負の歴史を扱っていて、それは社会資本だと思っていますが、それが新潟に還元されるのかとか、そこの人たちにっていう話になってくると、はっ?て感じで、別にここで作った作品は他で上映されてもいいと思うし、なんか議論がこの土地にどんどんどんどん引きずられていく皆さんのお話が薄気味悪いということ。

杉田: 何が還元されるかになりがちなんですよね、地域の話をしていった時に。地域がそれを主催して資金援助をしているのでじゃあ地域に何が戻ってくるのかという時に、地域の人たちはそこに戻ってくるものを最初から見えているのかっていう問題もあるわけですね。何が戻ってくるのかを期待しているのかっていう。ひょっとするとそこの地域の人たちが知らないものとかが戻ってくる可能性もあるわけですね。 例えばその藤井さんの作品っていうのは扱いやすいとは言ったけど、逆に扱いにくいところもあって、映像として見ることが今までできたのか、あるいは行政主導でそれを制作するってことができたのか。あるいはイメージ形成とかある種の記憶としての歴史みたいなものをアーティストの手を使わないで自分たちで作れたのかというと、たぶんつくれてなかったから存在意義があるってところも、強引に言えばあるとは思うんですよ。ちょっとおいしい素材だったんですよみたいに言われたけど、決してそんなことだけを思っているわけじゃないと思うんだけれども、ただ一方で今言われた全ての議論が地域の問題になっていくっていうのは、やっぱり3.11以降はかなり大きな問題になっているわけですよね。行政区なんて全く意味がない。風向きやある中心からの距離によっていろんな人が影響を受けたり受けなかったりしたのを目のあたりにしたので、そこの行政区にはお金が払われるけどそうじゃない隣の行政区には払われないっていうのを経験しているわけなんですよね。それ以外も、今藤井さんが言われたようなもろもろの関係だって、それを全ての土地やそういったものに集約して語れるのかという投げかけだったのかと思うんだけど、あるいは語りすぎじゃないか君たちは、ということだったかと思うけど、どうですか。

大熊(客席): 私は今から20年前に「阿賀に生きる」という映画の制作に携わった者です。それで今藤井さんが言われたことは逆に言うとよくぞここまでそういう段階に来たのかなという印象ですね。それまでは全く何もできなかったというなかで、今、行政が新潟水俣病に直接携わることもできる。そういうなかで今患者さんたちがかなり申請もしやすくなってきたとかいろんな問題があって、今、私としてはよくぞここの段階まで来たのかといった感じがします。そういう意味で市長も知事も率先的に発言してくれることで、差別・偏見問題も少し改善しているように思っていますので、藤井さんが今回取り上げてくれたことに私自身も感謝しているという次第です。

それと私そろそろ退席しなければならないので一言言わせていただきますと、明治以降の日本の近代化の中で遊びということが大変ないがしろにされてきたと思うんですね。 遊びということは、とくに自然の中で遊ぶということは、まさにその過程で人間形成をしていると思うんですね。ともかく明治以降、殖産工業だとか高度経済成長のために、勤労ということに対しては高い評価を与えてきたけども、遊びということに対して高い評価が与えられていない。今もまだ、例えば私も「新潟水辺の会」ということをやっていて、日曜日に船で閘門を通らせてくれというと、お前ら遊びだろ、そんなものに職員は働かすことはできないと言われます。そこに筏や船が通る時は生産に関わることだからと職員が派遣される。あるいは川の中でラフティングやるためにブロックが散乱しているのを片づけてくれと言っても片づけてくれない。私はそれも公共投資で片づけていいと思っているんです。ともかく未だ行政の方は遊びということに関してはなかなかお金を投下しようとしない。

今アートもひとつの遊びですよね。こういう中で大きなお金が投じられるようになってきて、私はやっぱり大きな転換点だというふうに感じています。明治以降百何十年という時間の中で考えた時に、この動きは大変大きなことだろうというふうに思っています。私に対する質問はみずつち芸術祭に関係していて、こんなに2億7千万円も使っていて、もっと福祉行政に使うべきだと必ず言われるんですよ。同じ水辺の会の会員からもそういう質問を投げかけられています。私がみずつちに関与することに関して、批判がいくつも出ています。私はその時、遊びに投資することもいいんだと、我々は明治以降遊ぶことが下手になったと、江戸時代はもっと遊ぶことが上手だったじゃないかと、もっと遊ぶべきだと言っています。遊ぶというと、いろいろ問題はあると思います。まぁパチンコにのめりこんでお金を使っちゃうのは問題があると思いますが、パチンコも一概に否定できない側面があるので私はその存在があってもいいと思います。ともかく、遊びも人間形成をする上で大事なところがあるので、そこに税金をつぎ込んでもいいじゃないかと考えています。まあ明治以降の近代精神を反省するという意味のひとつとしてあり得るのではないかと思います。ちょっと長くなってごめんなさい。そろそろいなくなるので許していただけますか。ありがとうございます。

杉田: 今大熊さんがわかりやすい言葉で言って下さったんですけども、感じとしては吉本さんが言われたこととあまり変わりなくて。地域振興とかある種の目的とかわかりやすくそれにひっぱられる必要がないということだったと思うんですね。 たぶん我々の議論をむしろそれをわかりやすく噛み砕いておっしゃっていただいたというふうに理解します。ちょっとまだもやっとした状態で、特に藤井さんがもやっとしているので藤井さん後半暴れるんじゃないかと思ってあれなんですけど、ちょっとここで一度大熊さんも退席されるみたいなので、一回ブレイクをして、後半はこの流れの中でプレゼンテーションするのもやりにくいのかなと思うのですが、芹沢さんに短めのプレゼンテーションをお願いして、その後また議論を続けたいと思います。

~休憩~

杉田: はい、ブレイクの後に後半始めていきたいと思うのですが。

 

ちょっと後半の最初にですね、先ほど予告したように、芹沢さんのほうから2000年代現場から考えること、というタイトルで短めのプレゼンテーションをしていただきます。じゃあよろしくお願いします。

芹沢高志プレゼンテーション「2000年代現場から考えること」

芹沢: はい、えーと、一応作っては来たけど、今までの議論の流れを壊したくないので後半は喋ることはもう考えてきたこととガラッと変えます。ただ前半僕が経験したことだけはお伝えしていこうと思っているんですけど、では先行きましょう。

実はですね、僕自体がこうやってアート関係に加わっていくというのは最初からではなかった。一番最初はこうやって地域計画の仕事、まさに磯辺行久さんのオフィスでこういうことやっていたのが一番最初です。それが次、1985年ぐらいだったと思うけど、東京の新宿と四ツ谷の間にある、ある寺のですね、400年経つんで伽藍を新しくするっていうプロジェクトに加わって、そこからですね、本当に人生が変わってしまって、現代アートのほうに入ってきたと。  まぁ、パッパッパッとこういう寺院を作って、このお水を張った境内の下にロフト型の空間を作ってしまう。まあこれくらいの。これを寺の講堂として設計したんだけれども、寺が使ってないときに今生きている人のために開放したらどうだ、という提案をして、まぁめでたくそれは通るんだけども、じゃあそれをいったい誰がやるんだという話になって、それを運営するためにP3というチームを作っていくことになります。本当にもう四半世紀前なんで、時間が経つのは早いね。

芹沢 高志なぜそんな話をしたのかって言うと、たまたまなんだけど、僕はもともと最初そうやって都市・地域計画のような計画分野にいた。そして本当に偶然アート、あるいはアーティストっていうのと出会った。その話をちょっと最後、さっき藤井さんの言っていたような問題提起にくっつけて話したいなと思います。でも、一応用意してきたものを先に見ていきましょう。この自分の経験した2000年代のアートプロジェクトって言うよりむしろフェスティバル型の物ですけれども。2002年には帯広というところでですね、(とかち国際現代アート展)「デメーテル」というものをやりました。これは帯広が開拓されて130年くらい経つとか商工会議所ができて80年とかっていう節目になんかやりたいっていうことで現代アートの展覧会をやることになった、「ドクメンタ」に触発されての話です。でも基本的にはこれ、ちょっと乱暴な言い方をすれば地方博ですね。10年に一度北海道では地方博があったんで、食の祭典みたいなものですが、その延長で考えられたところがある。なんで現代アートになったかっていう話をすりゃあ笑い話になるのですが、長くなるからやめますね。それで場所を探していく中で、そこにすごい時間がかかってしまいました。しかし帯広競馬場という場所を見つけられたので、俄然そこからやる気が出ました。このような帯広の駅から1キロぐらいのところに帯広開拓時代の風景がちょうど風景のアーカイヴみたいな形で残っている。それで競馬場を借り切っちゃってそこの中に作品を点在させて、この風景の中を歩いてもらうというような形にしました。まあパッパッパッといきましょうか。それでこの時に川俣さんを誘って参加してもらってやってもらったんですけれども、ご存知の方もいらっしゃるかもしれないけれども、これもまた偶然、彼が「横浜トリエンナーレ2005」の総合ディレクターを引き受けるということになる。嫌な予感がしてたんですが、やっぱり電話がかかってきて手伝えってことになって、こういう100人規模のフェスティバルは興味ないって言って断るはずがですね、今でも覚えてます、青山のスパイラルのカフェでねばられて、どうしようかなって思っているときに山下埠頭の3号・4号の上屋を使うんだって、今使ってる、日常的に使ってる倉庫、それも保税倉庫をこうやって開けてやるんだって聞いたときにやっぱりどうしても場所というものに僕自体はすごく惹かれてしまってその誘惑に勝てなくなって、それですぐ考え直して、そうかと思って川俣さんはアーティストでしょ? だから僕はどっちかっていうとさっきちょっと言いましたけど、1人と1人のアーティストと密にやっていくプロジェクトしかできないっていうか、それが一番体質にあっていて、だから考え方を変えて100人のフェスティバルを手伝うというような感じじゃなくて、川俣という1人のアーティストの作品を作るんだというふうに考えようって思ったのです。最初はなんとかディレクターっていうのをやれって言われたんだけど最終的にはキュレーターっていう形で参加します。でも、こういう大型のフェスティバルの総合ディレクションとかってやっぱりしんどいっちゃしんどいし、毎年なんてやってられない。北川さんはすごいね。本当体力的にもすごいと思うけど。僕なんかは本当に3年ぐらいがやっとこさみたいな形で。

それで今かかわっているのはこの別府です。 で、別府では「混浴温泉世界」というタイトルをつけてしまったから、ディレクターはそんなにいやらしい人間じゃないんだということを説得するのに一年ぐらいかかりましたね。別府という場所を知ってらっしゃる方もそうでない方もいらっしゃると思いますけど、僕自体も行くまでは本当にあの、ステレオタイプの大型の温泉観光地という頭でしかなかった。でも行ってみてその場所の力みたいなのは確かに感じることになった。こういうまだ風呂を中核としたコミュニティがやっとこさ生きている。 でも生きているけどそのコミュニティも崩れかけていて中心市街地と言われているところはどこでも見るようなこういうシャッター街になっていた。そこで初期のデメーテル、競馬場の風景の中に作品を置いたようにアーティストとロケハンを行って、いろんなところに彼らの作品を点在させて、それを見るほうは回っていく。回って行くんだけど、その作品を求めて回っていくんだけど、思わず町の中を歩いて行ったら、別府本来の持っている場所の力に思わず触れてしまう。そういうことができればなぁと思いました。

あともう一個だけ付け加えると、2002年から「アサヒ・アート・フェスティバル」っていうのの事務局もやっていて、これをさっきちょっとお話ししたみたいに、最初は公募ではなかったんだけども2005年の段階で全国に作品、作品というかプロジェクトの募集をかけるというやり方にしました。ここでの特徴はディレクターをもう置かないということ。 これはこれでひとつの実験として僕自体はすごくおもしろいなと思って進めていますけれども、とにかくそこに参加してくる方の主体性を一番にしてどうやって自己組織化していくかってことにおもしろみを感じてやっています。これは2012年の参加団体分布ですが、これくらい全国でいろんなところが活動している。これらはほとんどが小さなアートプロジェクトで、それらが集まってネットワークを形づくって全体を作っていくということをしています。 一応年表的に見れば、一番最初に振られた時話しちゃったからほとんどおさらいですけれども、改めてこうやって大型のフェスティバル的なものを並べてみれば、確かに2000年に越後妻有(の「大地の芸術祭」)が始まって、2001年に「横浜トリエンナーレ」が始まる。2002年に「デメーテル」とか今言ったAAF(アサヒ・アート・フェスティバル)が始まり、アーティストの川俣さんが総合ディレクターを務めた2005年の「横浜トリエンナーレ」がある。

こういう流れのなかで今大急ぎで僕自体が関与したフェスティバル型の3つのものについてお話ししたんですけれども、ちょっと振り返って考えるとこの3つ、枠組みが全然違うんですよ。で、1回目の帯広っていうのは越後妻有が始まった頃には計画も立てられていたもので、ある意味どういうふうにやっていいのかもよくわかんない。それから枠組みとしてはさっき申し上げたみたいに地方博覧会的な残り香がずっと残っていて、たまたま食じゃなくて現代アートになっちゃったというような形で、ほぼどさくさに紛れてという感じで成立したところもある。しかしだからこそ、実験の余地がありました。次に関与した「横浜トリエンナーレ」というものはある意味かなりできあがっている。シティセールスがアジアで特にどんどん激しくなっていて上海でも光州でもどこでもビエンナーレ、トリエンナーレというものが起こっていく。一応外務省的に言えばアジアの盟主たる日本に名だたる国際展がないのはいかがなものか的なとこから始まっていったところがあると思うんです。 なので、全部お膳立てができていて、ここの部分をやってくれと依頼される形。やっぱり特殊なのはこの別府で、別府なんかがこういうふうに出てくる、「水と土の芸術祭」の細かいことは僕自体も把握してませんけども。でも、ややもすると2009年に関してはトップダウン式の何かがあったのかなとは思いますけど。しかし、別府はアーティストが主導しているBEPPU PROJECTというアートNPOがある種勝手にですね、急にここで国際展やりたいって言いだしてしまうわけですよね。別に別府市が頼んだわけでもないし、商工会議所の人が頼んだわけでもない。そこから始まっていくその枠組み自体はすごく共感する部分があったので総合ディレクションということで協力してBEPPU PROJECTとしてやっていこうとしているものを側面から支持していきたいというふうに思ったというのがこれです。2000年代を振り返るみたいなことはこの辺にしときましょう。

とことんトーク 12人が語るアートプロジェクトのこれから 全2日間総集編!

とことんとーく総集編タイトル大

2000年代、生活圏や風景のなかで行う芸術祭やアートプロジェクトが、各地へと波及し定例化していきました。 2010年代、本芸術祭第2回を行うにあたり、ゼロ年代を通じて浮かび上がったアートプロジェクトの問題とその意義について、実践、批評、研究などさまざまな立場から芸術に携わる12人のスピーカーと、客席を交えながらじっくり話し合いました。ここでは、2日間にわたって行われた10時間に及ぶトークの全文を掲載します。同じような取り組みの参考になることを願って…。

企画:竹久 侑 (キュレーター、水戸芸術館現代美術センター学芸員、本芸術祭ディレクター)

モデレーター:杉田 敦 (美術評論家、女子美術大学教授)

出演

雨森 信 (キュレーター、大阪市立大学都市研究プラザ特任講師、Breaker Projectディレクター、NPO法人remo理事)
大倉 宏 (美術評論家、本芸術祭アドバイザー)
小森 真樹 (ミュージアム研究、芸術社会、東京大学大学院総合文化研究科博士課程)
白川 昌生 (美術家、本芸術祭参加作家)
芹沢 高志 (都市・地域計画家、P3 art and environment統括ディレクター)
竹久 侑 (キュレーター、水戸芸術館現代美術センター学芸員、本芸術祭ディレクター)
丹治 嘉彦 (美術家、新潟大学教授、本芸術祭ディレクター)
冨井 大裕 (美術家、本芸術祭参加作家)
羽原 康恵 (取手アートプロジェクト実施本部事務局長)
藤井 光 (美術家、映像監督、本芸術祭参加作家)
吉本 光宏 (ニッセイ基礎研究所主席研究員、芸術文化プロジェクト室長)


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とことんトーク 1日目

杉田敦

杉田 敦

杉田: こんにちは、杉田です。普段は美術評論などをやっているのですが、今回竹久さんから話をいただいて、是非やらせて下さいということでやらせていただくことになりました。ただ1日5時間といっても×2で10時間とかなり長いので、昨日も少し打ち合わせをしたのですが、緻密にプログラムを組んでやっていきましょうとやってもかなり無理があります。長丁場になりますので、是非皆さん気楽にというかちゃんと自分の体調とかも考えながら、出入りも自由ですので、出入りされながら参加していただければと思います。また、発言もしていただきたいというふうに思ってます。通常だと、こういうパネル・ディスカッションとかをやりますと、パネラーの方それぞれに10分、15分ずつ話していただいてそれからじゃあ始めましょうという形になるんですが、なんせ人数が多いですから、例えば10分ずつ話すとほぼ100分になってしまって2時間くらいになってしまうんですね。なので随時そういった形で「じゃあ○○さん少しここでご自分の話をしていただけますか」という形でさしはさんでいこうと思っているので、最初はお名前だけこれから紹介することにして、あの人は何やってるんだろうというのはパンフレットの裏面を見ていただいて、その方がある程度まとまった発言をされるまではその情報でこういうことをやっている方なんだというように確認していただければと思います。

実際の話に入っていく前にですね、いくつか大きな芸術祭が日本でもしっかり開かれるようになって大変喜ばしいことなんですが、同時にいくつか問題点が出てきています。例えばアートで本当に地域を振興することができるのだろうかとか、あるいはそういった地域振興型のアートプロジェクトに関わったときに、アーティストはやりたいことができているのだろうかとか、あるいは税金を使って一部の人が喜ぶようなプロジェクトにお金が流れていくのはどういうことなんだろうかとか、あるいはアートのボランティアっていうけども僕がやったのは実際単なる労働ではないかとか、さまざまな問題点や疑問点というものがあります。あるいはアーティストが東京からやってきたんだけども、全然地元のことをわかってくれなかったとかいろいろな問題がそれぞれの局面で起こってると思うんです。そういったことをいろいろな形で話すことができればと思っています。今日はまだお2人、いらっしゃってない方もいますが、最初にお名前を紹介していきたいと思います。こちらのチラシ順にやっていきますのでちょっと起立してお顔を見せていただきたいと思います。

最初はさまざまなアートプロジェクトをされている雨森信さんです。それで今回のディレクターをされている竹久侑さんです。同じく今回のディレクターの1人である丹治嘉彦さんです。芸術社会学の研究をされている小森真樹さんです。アーティストで参加作家でもあります白川昌生さんです。取手アートプロジェクトの理事でもあるアートコーディネーターの羽原康恵さんです。今回の出展作家でもあります藤井光さんです。さまざまなアートプロジェクトを実際に運営されてきた芹沢高志さんです。 ニッセイの基礎研究所で文化政策などの研究をされアドバイザーをつとめておられる吉本光宏さんです。

最初に口火を切っていくのはとっても難しいと思うので、どなたにしましょう。誰も視線を合わせてくれない…。(笑)まず大局的なところと実際の経験を踏まえつつということで、僕の隣で嫌な予感をされていると思うんですが芹沢さんお願いします。

地域アートプロジェクト――ゼロ年代の経緯

芹沢高志

芹沢高志

芹沢: すみません、ほとんど打ち合わせも何もしないで来たもので。でも後でまとめてスライドでお見せしようと思うんですが。確かに今度のテーマというのは竹久さんからお聞きした時も「そうだよな」と思ったんです。詳しい話はしませんけども2000年代というところを通して僕の場合には割とこういう大型のフェスティバルのディレクターをやることが多かったんですよ。もちろんそれは僕自体の興味は風景とかそういうものがあったわけだから動機としては真っ白い美術館の部屋ではないところで何か作品を展開していくっていうのがすごく興味を持って最初は始めていったわけだけど、当然それはそこで生きている人がいたり、風景っていうのはいろんな生き物が形づくっていたりするわけだから、一方的にアーティストの思いとかディレクターの思いを押しつけることはもちろんできないわけで、やりとりしていくなかのおもしろさと大変さみたいなものをだんだん実感してきました。

それは今も続けているんですけれども、それと同時に2000年代っていう時代がね、乱暴に言うと前半部分で、やっぱり小泉構造改革ではないけどもそういう日本の社会の時代的な変化が出てきたと思うんです。いろんな地域を回っていて、2000年代の前半部分においてものすごく地域、特に中核都市といわれているところとかの疲弊みたいなものも目に見えて感じたりして、その一方で2000年くらいから越後妻有(の「大地の芸術祭」)とか「横浜トリエンナーレ」とか超巨大なフェスティバル型のものが進む。僕自体はアサヒビールと組んで「アサヒ・アート・フェスティバル」って全国のアートNPOとネットワークを組んでやる仕事もしているんですけれども、ここんとこでやはり2005年に一般公募したときに日本中からいろんなアートNPOが応募してきて、初めてそこのところで一堂会いましてその時のことをすごくよく覚えていて…。そういうふうに例えば札幌から出てきたり那覇から出てきたり、それぞれ最初紹介しないとうまく進まないんじゃないかと思って事務局的にうまくお膳立てをしないといけないと思っていたんです。でもね、実際やってみたらいっぺんに事務局が介入する必要もなく勝手に話が始まっていって、それでいろんな人たちが抱えている問題とかなんかがそれぞれ孤立して、なんでそんな地域でアートなんかやるんだとけっこう悩んでいる人たちが割といっぺんに集まったもので、爆発的にネットワークができていった日のことをよく覚えています。2005年くらいのところで一個大きなディレクションをドーンとやっていくのと違う、草の根といっていいのかわからないけど、そういう小さいものとか弱いものが結びついて何かの動きをつくっていくっていうのも2000年代の真ん中あたりから出てきたと思いました。その方向がどんどん5年ぐらいすすんでいくなかでもう一方大きなフェスティバル、例えば瀬戸内だったり愛知だったりすごく大きなお金も使い、興行的にも成功するといったものがでてきて、もう一方ではすごい町中の小さな商店街の親父さんたちが主導したり奥さんたちがやったり、本当に小さい町の中で起こっている動きっていうのがこっち側であったり、今すごいこういうふうに分極化しているなと思っているときに、改めて言う必要もないけれど昨年3月11日が来るわけで、我々が10年くらい抱えてる日本社会としての閉塞感みたいなものが、ある種地震とか原発みたいなものでぱーっとこういうふうに見えてくる。そこのところでどういうふうに行動したらいいのかみんな模索しているところだと思うんだけど5年ずつくらい大きな変化があったのではないかと思いました。

杉田: 今芹沢さんがおっしゃられたように、2000年代に始まった日本の場合は越後妻有(の「大地の芸術祭」)の功績が非常に大きくて、それの効果の部分が見えてきて、それに対して各自治体いろいろ運営団体がそれ的なよい部分を利用しながら何かアートプロジェクトできないかっていう動きが急速に広まるっていうのがあって、それがたぶん311によってその意味を見なおそうっていうような気運も一方ではあると。大きな流れを具体的に話をしていただいて示していただいたと思うんですが、また個別で芹沢さんがやられていた1個1個のプロジェクトなどについては午後のブレイクをはさんで後半の冒頭でプレゼンテーションをしていただこうと思っていますのでそのときまた詳しくしていただけると思います。 今芹沢さんが整理していただいたような大きな流れを今度は逆に、調査するというか研究するという立場に立っておられる方が2人おられると思うんですが、小森さんと吉本さん、今芹沢さんが2000年からの大きな流れというのを示していただいたと思うのですが、それについて補足やこういった部分もあるということがもしあればお願いできるでしょうか。

小森真樹

小森真樹

小森: 小森真樹です。よろしくお願いします。今のお話と関わるので自己紹介も挟みながらお話しさせていただくことにします。今芹沢さんからお話しいただいたのは、大型の芸術祭のことと、背景として社会がどうなっているかということで、そこで現在の芸術祭などの基礎をつくってきたような芹沢さんたちや周辺の方々が具体的にどういう動きをしていたか、アートスペースが美術館を超えて社会に拡大していく歴史の概観だったと思います。

それに対して僕が今日ここに呼ばれたのは、大学院で芸術社会学を研究している立場からの視点と、もうひとつが実際に現場でアートプロジェクトをやっていた当事者の立場からの意見を求められてのことだと思います。2010年夏のことですが、僕は実家の岡山県でアーティスト(三宅航太郎、蛇谷りえ)の2人と3人でチームを組んで「かじこ」という期間限定のゲストハウスのプロジェクトをしていました。「瀬戸内国際芸術祭」の開催期間にほぼ合わせてオープンして、瀬戸内への窓口になっている岡山市を会場にすれば人が来てくれるんじゃないかと。ゲストハウスなので来館者は宿泊することができるんですが、そこに同時にアーティスト・イン・レジデンスであったり、ギャラリースペースやイベントスペースであったり、地域のコミュニティスペースであったりというさまざまな機能をあわせてスペースを運営するという3ヶ月間のプロジェクトでした。竹久さんは実際に来て下さったんですが、僕が研究者と同時にプロジェクトのオーガナイザーという立場を兼ねているところに興味を持ってくださったようです。

小さなプロジェクトの当事者という立場から言えば、先ほど大きな歴史的な流れのなかでお話しいただいたなかで、2005年頃に「下からの流れ」が可視化してきたというご指摘がありました。 「トップダウン/ボトムアップ」という言葉が適切なのかはさておき、下からのアクションが大きな芸術祭の流れにうまく絡みあい始めたのが2005年頃だとすれば、それは活動していた当事者としても感じていました。僕が大学に入ったのが2001年のことですが、研究だけではなくてアートに関心を持って友達と遊んだりしていて、やはり大きな芸術祭だったり何らかのアートイベントに遊びに行くなかで、実際に「お客さん」として参加するだけではなくて自分たちでも何かできるんじゃないかというふうに実感し始めたのが確かに2005年頃だったかと思います。実際に「瀬戸内国際芸術祭」なんかの大きなアートプロジェクトと絡めた形で「かじこ」の活動を起こしたのは2010年のことだったんですが、既にある舞台じゃなくて、自分たちで何か企画ができないかとか周囲と意識を共有し始めたのが2004~5年とかその頃だったように思います。個人的な実感なので補足になったかはわからないのですが、もしかすると、例えば竹久さんのように既に大きな美術館で何か経験があってそちらの方に参加していくのではなくて、単に一観客として楽しんでいた人たちが何か自分たちもプレイヤーになれるんじゃないかというような実感を持ったことは現場の活性化にはやはり大きいのではないでしょうか。自己紹介からこうした実感を紹介しておきたいと思います。

アートプロジェクトとアートNPOの関係

吉本光宏

吉本光宏

吉本: ありがとうございます。ニッセイ基礎研究所の吉本と言います。 アートプロジェクトに関して体系的に研究したわけではないので、まとまった話がうまくできるかわかりませんけれども、先程芹沢さんがアートプロジェクトが起こってきた流れを俯瞰してくださったんですが、もうひとつそれと並行して起こっている大きなことが市民とかNPOとかの動きだと思うんですね。今日ここに参加されている雨森さんもいくつかNPOを作ってアートプロジェクトをやられていますし、それから芹沢さんが関わってらっしゃるBEPPU PROJECTもNPOが主導している。つまり、アートプロジェクトとアートNPOっていうのは日本で並行して大きな動きになっているのではないかと思います。

NPOの方で言いますと、2003年に神戸で「第一回全国アートNPOフォーラム」というのが開かれまして、それまでは全国各地でみんな地域に根ざしてアートで何かできないかって、ある意味孤立してみんな頑張っていたんだけどどうにもいかない状況になり、それをみんな集まって話しましょうというので2003年神戸で行いました。その後も、フォーラムは毎年開かれているんですけれどもおそらくその時の議論が一番熱かったのではないかと思います。 全国で情報を共有して大きな動きにしていった方がいいよっていう意見の人がいる一方で、そんなの作る必要ないよという人が明らかにいて、けっこう熱い議論になったんですが結局ゆるやかなネットワークを作ろうということで幕が下りました。以降毎年全国各地を回りながら、フォーラムというのが行われていて、2006年には「アートNPOリンク」というそれを推進するためのアンブレラ・オーガナイゼーションがきました。1回目の2003年は神戸のKAVCっていうところで公開で行われたんですけれど、実はその前のプレイベントが同じ年に横浜で行われました。  横浜のバンカートが開館する前に同じ建物でそれをやっているんですね。ですから以降あちこちを転々としていくんですけれどもそれぞれの場所で使われなくなった遊休の施設などを使ってですね、なんか閉ざされた場所があるけどなんだろうというところをわざとフォーラムを使って開けていくことをずっとやっています。例えば淡路島でやったときは2008年か9年だったと思うんですけど、淡路の真ん中に赤レンガの倉庫があってそれはずっと使われてなかったんですね。それで淡路島アートセンターだったかな、山口さんっていう方がやってらっしゃるNPOの方が中心になって市と交渉して、そこを開けてもらって、フォーラムのためだけに電気を引いて、さすがに水まではできなかったのでお手洗いはバケツに水を汲んでおいてみたいなね。そうやって開いていってるんですね、そういう動きとアートプロジェクトというのはすごく有機的につながっている。

アートに限らずNPOが制度化されたのは1998年にできたNPO法なんですけれども、それができるきっかけが1995年の阪神淡路大震災なんですね。ボランティアが活躍したから日本もNPOが活躍する仕組みを作りましょうとできてきたというのがあって、実は今日本で認証されているNPOは4万5千件くらいあると思うんですけど、1998年の法律が成立してから1日あたり10件以上NPOが誕生してるんですね。すごい数なんです。そのうち学術文化芸術またはスポーツの振興っていうのがNPO法の第7号の目的に規定されていて、それを定款に掲げているNPOはだいたい3分の1あると言われています。 ですから4万5千の3分の1といって約1万5千ですよね。

 

1万5千の中にスポーツや学術もあるので、単純に3分の1したとして5000件ぐらい。そういうものが全国で動いていると。もちろん中には趣味の会的なNPOもいますから、社会に対して何かするという意識のないところもあると思うんですけれども。ですからこのアートプロジェクトというのは、全国で昔から従来の劇場や美術館の中で行われるものとは違う形で市民に何か芸術の問いかけが行われている動きだというふうに私は思うんですけれども、そのこととNPOの動きというのはすごくリンクしてると思うんですね。

羽原康恵

羽原康恵

羽原: どうも茨城県の取手市から参りました。取手アートプロジェクトの事務局長をやらせていただいております羽原と申します。今アートNPOという点で一応補足しておかないとって。遅ればせながらなんですが、人口11万くらいの都市なので新潟とは比べ物にならないんですが、都心から40キロくらいの取手市という郊外都市でのアートプロジェクトをずーっと実行委員会形式でやってきたものの、実際の継続性を考えたときに、単年度ではやりたいことが実現しえないだろうということもあって、その運営の基盤、お金の部分とかも法人格をとる必要があるだろうということで今はNPOの事務局が実行委員会を運営する事務局であり事業全体をまわす事務局でもあるという機能をしています。なので、NPOによるアートプロジェクトとして連動している事例としては取手もあるのではと思います。

雨森 信

雨森 信

雨森: 雨森です。大阪でremoというNPOを立ち上げて運営していたり、大阪市の文化事業として大阪の新世界、西成の下町で「ブレーカープロジェクト」という地域密着型アートプロジェクトを企画しております。先程の吉本さんの話を受けて、アートNPOとアートプロジェクトの関係なんですけれども、私も最近考えているのは、美術館やアートセンターと違ってアートNPOは最初から行政の予算がついていたり、場所があるわけじゃなく(行政からの予算が最初からついているというところはほとんどないのではと思うんですけれど)活動場所を探したときに、安くて借りられるスペースっていうのは、町中のシャッター街になりつつある商店街の空き店舗ですとか古い空き物件になっていくわけです。そういった場所を使うときに地域との関係を作らざるを得ないというところから関係づくりが始まって、アートプロジェクトにつながっているんではないかと考えています。

地域アートプロジェクトの興りに対してアーティストは?

杉田: 今たぶん、小森さんの大きく整理するとボトムアップとトップダウンっていうのでボトムアップの方の動きを下支えするというような形でNPOというのは増えてきたって理解していいと思うんですが、おそらくアーティストの方っていうのはそういった組織未満の活動をそれこそたくさんされています。例えば藤井さんとかも個人の活動もされてますけど、comos-tvとかもありますよね。いろいろな活動をされていて、それが組織として知っている人は知っているんだけど、NPOとかそういうものでもないし、何かある種の団体、言ってみればボトムアップの本当に下の部分です。comos-tvもそうだしあるいは僕らもよく関わっているCAMPもそうだと思います。そういったような活動を実際にされている一方で、大きなアートプロジェクトにご自身の活動として入っていく立場ではどうお考えなのでしょう。

藤井 光

藤井 光

藤井: はい、藤井です。

 

「水と土の芸術祭」に出展するということでこのような大型の芸術祭に関わっていますが、今杉田さんがお話になられたように、大きな枠組みを持たない自主的な活動をいろいろとやっています。 そのひとつがお話にあったcomos-tvというアートに関わるさまざまな人々が番組の内容や構成を手がけるインターネット放送番組などがあります。また、僕は自分のアトリエを開放して、居酒屋での話を今日は禁酒でお願いしますという形で話し合いができる場を作っています。その話と今回の芸術祭をどう結びつけていくかというアクロバットな課題は難しく、その話はもう少し自分の中で整理してから話していきたいと思います。

まず、2000年から今日に至るまでの話がされていたと思うので、今までの議論の補足として、ひとつデータとして、2005年に日本にやって来た自分というか、それまで10年間ヨーロッパで活動していて、2005年に父が突然亡くなり一時帰国という予期しなかったことが起こり、ただ帰って来るのもなんだと思って、茨城のアーカススタジオというレジデンスに行きました。そこで半年ほど活動してヨーロッパに戻ろうと思っていましたが、アーカス滞在中に日本の文化状況に興味を持ち始めてしまった。どういうことかというと僕がアーカスに行った年にレジデンスの予算が落ちているんです。  それまで半年間の滞在期間だったものが5カ月間に変わっています。 予算の関係上。そして、アーカスの事務局側から、地域と連帯したワークショップをやってくれないかという依頼を受けるんですね。その背景にはアーカススタジオが市民の税金を使っていますので、税金をどう市民に還元するかという問いが極めて具体的な形でアーティストの課題となってきます。アーカススタジオというのはヨーロッパ型アーティスト・イン・レジデンスをモデルにしているので、基本的には滞在中は制作に集中できます。一方で、もし可能なら市民と関わるようなワークショップをやってもらうと嬉しいなという雰囲気もありました。というのをデータとして出しておきます。  2005年です。

杉田: それさっき最初に芹沢さんが言われていたようなことと関係あるんですかね。ボトムアップ的なものが上がってくる時期と、ちょうどその時期的には一緒なのかもしれない。一方ではヨーロッパ型といって括ってもいいのかもしれないですけど、北九州のCCAのようなアーティスト・イン・レジデンスはしっかりと海外では認知されている。あるいは神山でやっているKAIRというアーティスト・イン・レジデンスがあって、そこもかなり運営側の意識が高くて、地域への還元という部分が許されているというところもあるかと思う。むしろそういったことをあまりアーティストの場合、今日まで、藤井さんの場合も強要されてこなかったと思うんです。やらなくてもいいですよということだったんですけど、そういう気運に群がってはいけないというのもある。少し整理してお話いただきたいと思うんですけど、藤井さんと同じようにアーティストの立場で関わられているお2人、丹治さんと白川さんにお話を伺ってないのですが、丹治さんと白川さんそれぞれ立場もかなり違うですね。丹治先生の場合は教育の場にもいらっしゃって、なおかつ今回ディレクターの立場に関わられていて、ちょうど中間地点をよくご存じだと思うんですけど。

丹治嘉彦

丹治嘉彦

丹治: 中間地点を行ったり来たりしてなかなか明確に答えが出しづらいところがあるんですが、個人史的なことを話させていただくと1999年にアメリカのバーモントにおいてレジデンスを経験してきました。その後2000年に「大地の芸術祭」に参加したが私の中では大きな境目になっていて、それまでは活動の形態にいわゆる画廊であったり美術館であったりっていうのが作家としてのいわゆる決まり事であったような気がしてました。でも2000年の「大地の芸術祭」で、こんな場所でアートが機能するんだ、あるいは人がこんな風に動きを出すことでアートの断片が見れるんだというのが私の中では相当大きな振り幅があって、それが基盤となって私自身が大学というところにいる関係上、やはり教育というものにも当然関わっていかなきゃいけないと。

2001年から大学がある町でプロジェクトを始めました。シャッター街になっている中で、ここに作品や行為があったら、あるいはここで新たなことが展開できたら何か新しい道筋が見えるかもしれない。学生と地域の人とできることで新たな可能性が見える。そういう仕組みができたらおもしろいかなというところが出発点になっています。

 

ものをつくるという立場ではあるんですが、制度の中で起きていること、何の疑いもなく美術館であったり画廊が存在している中、逆にその反対側においていろんな人の絡みが生まれること、あるいはそこで新たな時間が生まれること。2000年以降のアートの仕組みに寄与してきたのかなと感じるところではあります。

杉田: 白川さんはどうでしょう。ヨーロッパの現状とかももちろんご存知ですし、日本固有の問題点というのも当然感じられていらっしゃると思うんですけど、そういう視点からみてどうでしょう。

白川: 私の場合は今2000年から2010年の話になっていますけれども、私という人間は90年の初めの頃、94年ぐらいから前橋の町なかにある古い建物、明治時代に作られた建物があってそれがもう日本の高度成長期の流れ、70年代以降の中では使われなくなって、歴史的な建物としてただ残されている。その場所を美術的なアートを発表できるんじゃないかと提案して活動をし始めたんですけども、初めいろいろ教育委員会と議会がなかなか難しくて、許可をもらって展示を始めていくような活動をしていきました。それもなんか日本でバブルが弾けて、私が勤めていた専門学校が倒産したので私は職を失って、空白状態というか。そういう中で発表できる場所が何にもなくなってきた中で、自分が地域で活動していたことの核として前橋の無人駅の場所を使ってゲリラ的ですけれどそこで活動する。 地域の中に残されたさまざまな場所が記憶を持っていたり歴史を持っていたりということをあえて取り上げたりすることもアートとして必要なんじゃないか、と私は考えてそういう活動をしました。それから2000年に初めて第1回目の「大地の芸術祭」に参加したんですね。その時にですね、あまり肯定的ではない経験をして結局私が関わった村の人たちは妻有トリエンナーレ、まぁ1回目でしたからあれでしたけど反対の人が多くて、なんでこんなことやるんだと言われたんですよ。場所を見に行ったんですけど、ずっとなんでこんなことするんだ、お前は自民党か公明党か!そういうものが村に絡んでいるんですよね。 たまたま僕の名前が白川だったんですけれども、そこの地域にそういう名前の政治家が出ていて、初め着いたときは、その親戚かって聞かれたんですよ。釈明から始まって、名前は同じなんですけど親戚でもなんでもありませんというところから話が進んでいくと、どんどんどんどんさまざまな問題を村の人から言われて、それで私もなんかそれまで北川さんに声をかけられて活動して、その時も疑問を感じたんですけど妻有ではガツンと疑問を感じて正直なところ(それ以降)私、妻有に行ってないんですよ。それで北川さんとの関係もなくなってきたんですけれども。今はすごく妻有では賛成者が増えてよくなって、たまたまこの3日ほど毎日新聞の全面広告で妻有の案内が出ていたんです。 妻有トリエンナーレ、宿屋とか、観光としてのちゃんとした宣伝が入っていて、ここまでついになっちゃったんだ、すごいなっていうか。 1カ月前には新幹線の中でカラ―の雑誌が出ている無料の、その中に妻有の特集がカラーで全部出ていて、至れりつくせりのきちんとしたプレゼンテーションがあったりして、それを見て一番最初との落差が。僕はやっぱりくじけないで黙って北川さんについていけばよかったのかな。(笑)その後に瀬戸内とかに、知っている当時出たみんな同じような作家の人たちが出ていますから、まぁそういうことがひとつ疑問というか自分の中で地域の人との関係、アートがそういうことできるんだろうかということを考えなきゃいけないということと、もうひとつは難しい問題ですけれどもやっぱり僕はそういうズレを感じたのが2005年あたりだったと思うんですけれども、前橋の商工会議所で文化メセナの話があったんですね。地域の会社の人を呼んで取手のプロジェクトを見せてこんなふうに素晴らしく芸術はなります!アートのためにお金を出して下さい、支援してくださいってやってるんだけれども、みんな経済的に良くない群馬の状況なんですよ、ほとんど基幹産業の織物がなくなって、ほとんど自動車も群馬からいなくなったし、ほとんど地元に産業という産業がない非常に疲弊した状況の中で、そういうアートによって町づくりができるっていうことを伝道師のような形でこられていて、まあ日本中でこういうことが行われているのかなと思ったんですが、本当にこれでいいんだろうかということを感じたんですね。あとは2005年というのがちょうど前橋で全国アートNPOフォーラムがあった年で私もなぜか呼ばれて。

 

なぜかって私が行政に逆らう人間だっていうことで、だいたい公の場から排除されてきたんですけれども、なぜかそのときは呼ばれて参加したんです。その時に前橋の中でアートNPOを立ち上げたいという若い人たちがいて、立ち上げたんですね、ところがなかなかうまくいかない。先程から出たようにうまくいった人もいるんだけど、うまくいかなくて消えていくというか。僕なんかも行政指導の入念な町おこしに関わったことがあるんですけど、行政が求めているものとアートNPOに関わっている人たちのイメージのズレが大きくて、端的に行って行政の方は成果を求めるわけですね。例えば新聞に出た記事もそうだけど人数が何人集まったとか土産がいくら売れたとかね、将来これが更に黒字になるみたいなそういうことを言い続けなきゃいけないんだけど、僕らがやったものでは不可能だったので、赤字出してできないってことを言ったんですね。でもあなたたちは若者を支援するというか若者を頑張ってほしいということでやってるんだったら、一年で黒字になるわけないんだから、5年ぐらいの年度みてくれないですかっていうふうに嘆願したんですが、はい終わりーみたいな感じで。そういう経験から2度とあそこにはいくもんかとね。もう金がなくてもいいから自分たちでやるっきゃない。行政には頼らない。観客がいるとかいないとか人数が何人来たとかそういうことを考えているより、自分たちの表現を小さいところでいいからこつこつ集まってやるしかないみたいなそういう思いをしました。

地域に何を残せるか

杉田: 今の白川さんの発言の中に今回話すテーマ全部入っていたと思うんで、全部を一気に取り上げることもできないんですけれども、順を追ってそういう話ができればと思います。特に最初に言った地域に対して何をバックできるんだろう、あるいは何をできるんだろうということ。

 

それは行政の思惑と、実際の運営者との思惑がずれているのが、かなり大きな問題だと思うんですね。たぶん行政と地域の問題にスポットを当ててもいいんですけど。行政主導の今回のようなアートイベント、「水と土の芸術祭」もそうだと思うんですけれども、それとNPOとかのボトムアップ的なものをベースにした活動との大きな違いは、継続性だと思うんですね。昨日もこの会で何を話しましょうと飲みながら話していた時に、どうやってこれを継続させていくかということがあがって、それは後継者の育成も含めてなんですけれども、どうしても単発的なアートのイベントとかプロジェクトというのはそこでの成果がすぐその場で求められて、かなり短いスパンで支援を打ち切られるということがあったりするわけですね。「水と土の芸術祭」もディレクターっていうのは継続して次にもやってもらいましょうってことではなくてまたゼロからになるとか、さらに行政の担当者っていうのもまた全部変わってまたゼロから作らなくてはならない。それに比べるといろんな問題があったんだけれども、越後妻有はその辺をうまく調整しながら今回で5回目ですね。希有な事例なんですが。継続させていくという意味では、実際今回運営されていて、また継続性の問題あるいは前任者の実現とかいろいろな問題について感じられている方は2人いらっしゃると思うんですが、丹治さん、竹久さん、どうでしょう。

竹久 侑

竹久 侑

竹久: まず私は、水戸がベースで水戸芸術館現代美術センターの学芸員であるということと、また美術館の職務とは一線を画す形で任意団体のメンバーでもあって、そういったふたつのレベルの活動をしているという立場にあります。それは長い目で見て自分たちが本当におもしろいと思うことをすることが町をおもしろくすることになるんじゃないかということで、別に「地域のため」とうたわないですし、普通に自分たちにとっておもしろい企画をしようと、本当に個人的な衝動や欲望で集まって仲間ができて、仲間ができたからこそ1人じゃできないことができて、細々ではありながらも何らかの流れがうまれていくような例が、私の関わっている水戸の任意団体にはあります。一方で、水戸芸術館の学芸員として、館外で展覧会に限らずプロジェクトを行っていく上で地域にどう関わっていくかっていう別の問題もあるんですが、どちらにしても水戸の場合は継続性も含め長い目で見た上での効果しかみてないんですね。だけども新潟に呼ばれたときにさて第3回はどうなるかはわからないと言われているので、これが成功すれば次の市長がやりたいって言うかもしれないけれどという話だったんです。私の中では、芸術祭というのがこのままこの規模で残っていくのが一番よいとは必ずしも思っていない部分があります。何らかの形で効果というか成果が出てくるべきだし、そういうつもりで企画に取り組み作家を選んではいますが、それイコール同じスケールの、例えば税金を使って芸術祭を次もできるというのが成功の証明ではないと思います。本当はもっと見えにくいところで、この芸術祭が示したあるプロジェクトに関わったことで仲間が増えて、地道に動き出していくとか、ちょっとさびれていた商店街のシャッターが開いて人の動きが活発になり始めるとか、そういうことの方が喜ばしいと思うんですね。それが地域振興なのであればアートができることもあると思うんですけれども。そういうことを考えながら今回もやっています。

丹治: 私は竹久さんと同じ考えのところと、またさっき白川さんがおっしゃられたところと別な部分を感じているところがあります。例えば、どれだけ人が入ったかがフェスティバルの優劣を決める。 それは全然僕は悪いことじゃないと思っている。例えば瀬戸内で90万人入った。それがある意味興行優先的な面が独り歩きしているところがあり、フェリーに乗れなかったり長蛇の列をみたりすると私も何のための芸術祭なのかなという感じを得たということも確かなんですけど、例えば逆に、東京の大きな某美術館で印象派の展覧会に何十万人入ったと、そういう来場者の多い展覧会が美術としての価値を有しているのかっていうと、私はそれよりもむしろ、こういうプロジェクトに人が入って、その入った人たちの中である種の気付きが起きているとは思うんですね。人が入れば、そこでお互いの何かが微妙に変わってくる情動的な変化はあると思うし、それ自体否定はしないつもりです。私も実はいろんなところで泣いたり苦しんでいるんですけれども、でもやっぱりこの芸術祭の結果が出たときに、ある程度覚悟していた部分もあるし、どこかでできればみんなと笑えればいいな、楽しかったなという瞬間を共有できることこそがゴールだと思ってみんなと邁進しています。ただやはりそう言いつつも、私は大学で「うちのDEアート」というのを年に一度やっています。本当にさびれた商店街で学生ならび地域の人たちと一緒にフェスティバルを行うんですけれども、実はそのアートというよりは盆踊りを一緒にやったりとか、あるいは夏祭りで一緒に神輿を作ったりとか、2年に1度はプロジェクトを行っているんですが、そういう行為は毎年行っています。今の若い学生なんか絶対そんなのやるはずないと思っていたんですけど、こんなこと言うと怒られちゃうんですけど、すごく興味を持って取り組むんですね。我々もすごくおもしろくて、そういった冠をつけてそれに向かって動くというより、その前の出来事の方がおもしろく、人が絡みながら時間が動くことは、今言った大きな来場者数の問題とは別という気がします。私自身は今日のトークで何か投げかけるというよりはむしろそれは皆さんにお聞きしたいなといったそういう場面であるんですね。誰が主役なのということしか投げてないんですけど、大きいプロジェクトの中でのその問題点もあると思うし、そこで今までの日本美術を考えた時にそこでの功績もあると思うし、あるいは小さなプロジェクトの中でも問題点をはらんでいると思う。むしろその時間で得られるものの気付きも生まれて来る、そのへん僕は皆さんに逆に投げかけてお聞きしたいなということであります。

 

竹久: すみません、ちょっと補足させて下さい。さっきこの芸術祭が成功して同じようなものが次もできるということが成功の証明ではないと思うという話をしましたが、私が興味深いと思っているのが別府なんです。別府が1回目と今回とで展開ががらっと変わったじゃないですか。まず出品作家の数が少なく絞られていて、じっくり付き合って何かを作るタイプの作家をお選びになっているんじゃないかと思うんですね。同じ芸術祭の枠組みの中で1回目と2回目で大きく変えようと思った気持ちとか、それはまあ別府の違う部分を見せるというところもあるんでしょうが、何か運営面とかで考えた上でもたくさんの人数よりも小さな人数でって思った何かがあったのかなぁと、ちょっと憶測ではあったんですけど思っていたというのがあって、そのへんはどうでしょうか、私自身人数がたくさんの、いわゆる祝祭的なフェスティバルっていうものを越後妻有がつくりあげてきた有り方で、みずつちも同じようにやっているんですが、その方法論ではない方法っていうのが同じ行政主導でもあり得るとおもしろいなと思ってるんですね。違うやり方っていうのがもしこれが成功して3回目があるときに模索できるのであればすごく意義があるなと。いろんな1回目と2回目の課題を踏まえた上で、その辺の構築からディレクターとかプロデューサーにあたる人が考えるっていうところから入っていけばちょっと新しい展開が生まれるんじゃないかなと思っているので、別府のお話をお聞かせいただければと思うんですけど。

芹沢: 1回目と2回目はいろんな成立のための条件が変わったのは確かなんですけど、人数のことで言うと考え方は変わってなくて1回目も実は少ないんですよ。別府のフェスティバルについてご存知ない人が多いと思うんですけど、あの時もビジュアルアーツでは8人だけだった。他にダンスとか音楽もありましたけど。ひとつだけ古いアパートを若い2人のアーティストに管理人みたいなのをさせてそこから勝手に呼んでいいよっていうようなプロジェクトを一個作った。

 

遠藤一郎たちは最初20人くらいでいいやって、で、勝手にやってって。そのやり方は「横浜トリエンナーレ2005」のときに考えたようなやり方をそこの中に移植させてやったのね。そしたら20人なんてものじゃなくてどんどんどんどん増えていって、誰が来ているのかも分からなくなって、あそこだけで140だか150だか来ているか、それを足して1回目は170数名の参加作家がいてとかいってもいくら聞いても全然実感はなくて、だから付き合っている数っていうかプロジェクトの数は本当に同じようなもんなんです。

でも1個だけ言わせてもらうと竹久さんが今おっしゃった意見は僕自体もすごく考えるところがあって、自分の体質からも100人規模の大型フェスティバルっていうのが合わなくて、一番最初にやった帯広のプロジェクトは8組くらい。それくらいの、そもそもおもしろいなと思ったら1人とか一組のアーティストとじっくり作っていくというのがおもしろかったから、そういうやり方は変えられない形で続けているんですよ。

 

杉田: 今竹久さんが指摘した問題ってすごくおもしろいですね。北川さんは大学で立ち話しをしている中では、本来越後妻有はもう少し小さい規模であるべきだと言っていて、つまりそれは明らかにそこの社会構造からみて大きすぎるわけなんですね。もともと彼らが越後妻有のモデルにしたミュンスターの彫刻プロジェクトをみてみると、やはり町の規模とあんまりアンバランスじゃなくてちょうどその適正規模っていうのがあるんじゃないかなという感じがするんですね。ただ、どうしてもその、難しいところで、先程丹治さんが来場者数っていうのは一概に否定できないとおっしゃいました。その通りだと思うんですが、例えばそこを確保しようと思った時に今度はどちらかというと人数を増やす方に動いてしまうか、あるいはちゃんとビックネームを呼んでくるとか、いろいろな形をとっちゃうわけですね。けれども、おそらく町とか行政区に対して適正規模のプロジェクトっていうのはあって、それがどうもアートの中では曖昧にとらえられているところがあるんじゃないかと思うんです。ただこの話を伺っていると、アーティストは常に恒常的にやっている活動があって、時系列上でここで大きいことをやりますよ、みたいなのを行政が用意すると、どうしてもその中にうまくアーティストたちの恒常的な何かが取り込まれないんじゃないかと思うんですよね。もちろん先程丹治さんが言われたように、そこの中でアーティストが活動して起こっていくさまざまな人との関係とかそこの中での小さな動きの中の気付きみたいなものによって、そのプロセス自体に意味があるんだという言い方ももちろんできていくかなと思うんです。おそらくそういった形でディレクターの方が考えられていると思うんだけど。行政の方たちがその様な形でアートプロジェクトを捉えられているのかはどうもちょっと違うんじゃないかなと思うんですけれども、そのへんは実際僕なんかよりも行政の方といろいろなプロジェクトの経験がある方、あるいはそこの事例を知っている方から何か発言していただけませんか。

行政とアートプロジェクト――大阪

雨森: そうですね、私自身も大阪市と2002年から仕事をしてきたんですけれども、大型のアートフェスティバルと違って、文化振興の枠組みの中で事業を展開しているというところで、地域再生とか地域活性化、また来場者数を問うイベント性を求めるものではなかったというのは極めてラッキーだったと思います。ただ、大阪市も市長が変わって文化事業も大変なことになっていますけども、それまでも紆余曲折がありまして、当初始まった頃から担当者もどんどん変わっていく中で、市のアクションプランもがらっと変わったりだとか、そんな中で、「ブレーカープロジェクト」も首の皮一枚でつながってきたというところがあると思います。「ブレーカープロジェクト」というのは、少しずつエリアを広げつつも、10年同じ地域で活動しているアートプロジェクトなんですが、6年目くらいからでしょうか、行政側から別の地域で展開できないのかと言われるようになりました。大阪市の中でこの場所だけで事業を展開しているというのは行政としては平等性に欠けるからまずいというわけですね。でも本当の意味で地域に根ざすには継続する必要があると、なんやかんや理由をつけて同じエリアで活動を続けているというのが現状です。

昨年から市のアクションプランが新たに策定され、このプロジェクトの枠組みが人材育成になったんです。もちろんこれまでも、実践を通して若手アーティストやサポートスタッフだったりが育成されていくということはプロジェクトの目的としてはあったわけですが、人材育成を第一の目的とはしてなかったんです。 新しくなったアクションプランに沿って、大阪市の要求を満たしつつ、これまでのようなプロジェクトの本質を変えずにどう実現していくかということに知恵を絞る必要がありました。「ブレーカープロジェクト」は公共の事業であるべきだと考えているので、行政の事業として継続していくということを優先したいと考えているからです。

杉田: そこでは継続性っていうのは考えられる全てですか。

雨森: そうですね、その場所に根ざして活動を継続していくことでしか、アートがその町、場所に及ぼす影響、効果が見えてこないと考えているからです。アートがあることで人々の意識が変わり、町がどのように変化していくかというところが私の一番の関心ですので、継続性というのは重要なポイントです。でもやはり行政の予算ありきのところもあるので、いつ予算がなくなるかわからないという状況は常にあって。  予算がなくなった時にその地域でこれまでやってきたことがすべてなくなってしまわないように、残していく仕組みも考えるようになりました。例えば、昨年からは人材育成の一環として、地元の住人でいつも協力してくれる人たちを地域コーディネーターと位置づけて、より連携、協働する機会を意識してつくるようにしています。もうひとつは、昨年から古いアパートを活用して地域に根ざした創造活動拠点をオープンしたんですが、ここでの狙いは、そこを若いアーティストなどにアトリエとして一部屋ずつ借りてもらって、その家賃を大家さんに入れる。そうすることで、万が一プロジェクトの予算がなくなったとしても、その場所は継続されるのではないかと。

 

その場所が残り、地域コーディネーターの人たちが残っていっていくと、このエリアで蒔いた種、活動は何かしらのカタチで継続されていく可能性があるのではと考えています。現在、継続については、そういうことを考えながらやっているんですけれども、ちょっとずれてきましたね。行政との関係においては、常に行政が何を欲しているかということを探りながら、いかにアーティストと地域の中で双方にとって意義のある実験的なプロジェクトをやり続けるかということに挑戦しているという感じでしょうか。

杉田: もう少し大枠からみた時には、例えば文化施設の位置付けっていうのが少しずつ変質しているのかなと思うんですけど。

かもめ企画 みずつち 発見と創造の演劇プロジェクト 出演者とスタッフ募集します

市民プロジェクト「かもめ企画」では、10月の公演に向け出演者、スタッフを募集しています。

 

経験は問いませんので、演劇や創作活動に興味のある方はぜひこの機会にご参加ください。 稽古や公演の日程など詳細については、下部にありますチラシ(pdf)をご覧ください。

募集要項

  • 出演希望の方

原則、ワークショップ、稽古、本番の全日程に参加可能な方。

 

演劇の創作を楽しみたい方。

 

演技経験は問いません。 第1回、第2回のワークショップが同時にオーディションとなります。

  • スタッフ希望の方

小道具や衣装作りなどの美術分野、演奏など音楽分野、制作など舞台創作現場を経験したい方。

  • 参加費用

ワークショップ参加費として、10,000円(各日2,000円)ワークショップは5日間(9月21日(土)~9月23日(月・祝)および9月28日(土)、9月29日(日)に行う予定です)

  • 応募方法
  1. 氏名、年齢、住所、電話番号、演劇経験などの簡単なプロフィールとやりたい役職を明記してください。
  2. 次のテーマのどれか一つを選んで400字以内の作文を書いてください。
  3. テーマ「新潟について」「演劇について」「水について」「土について」郵送またはメールで、以下の申し込み、問い合わせ先までお送りください。
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